第10話 転生者でもわかるゴブリン概論



 クレモナ地下水道。

 町に張り巡らされた地下水路で、町の南端を流れるポー川の増水を和らげる仕組みとして、またクレモアの町の生活水として長らく活用され続けている、クレモナの生命線インフラだ。


 生活水は井戸から汲み上げられるが、各家庭で砂や木炭を入れたかめに移し、撹拌かくはんしてゴミを沈殿させてから使用される。直接飲むことも危険なので煮沸させて飲むことを義務づけるお触れが三ヶ月ごとに定期的に出される。


 このお触れだけでここ二年のクレモナにおける疫病患者は四分の三も減少した。王都から出戻ってきた魔術師の弟子の意見を聞き入れた、バルデシオ執政官の功績だった。


 そんな町なので、住民は町の地下水道に魔物が住むなんて誰も考えていない。その手の魔物災害はヴァンダーが生まれた時からも表沙汰になったことがなかった。


「いやいや、お前さんがいない間も、まったくなかったわけじゃないさ」


 そういったのは、市街北区の衛兵長のジェルマーだ。


 六十を過ぎたが、いまだに背筋もまっすぐ伸びた現役の衛兵で、彼のような頑固一徹の〝親っさん〟もすくなくなった。ジェルマーは「周りからまだ降ろさせてもらえない」と笑っていた。


「魔物災害、あったのか?」


「毎年じゃないがな。三年の間ポー川が大人しくしてたり、その年の冬がひどく寒かったりしたら、地下水道で何かが湧くんだ」


「今年が、たまたまゴブリンだったと?」


「まあ、うん。そうだな。毎年パラディーゾ山脈の雪解けで増水する以外は、地下水路を気にかけるやつはいない。冬は毎年寒いしな。それに近隣の森も年々減ってきてる。廃城も取り壊されて、石壁は町の建材に変わった」


「つまり、俺たちがゴブリン達の住処を奪ってるってわけだ」


「ことゴブリンに関しては戦争みたいなもんだ。奪わなければ、奪われる。ゴブリンは家に忍びこんで悪さする妖精だと思われとるが、とんでもない。ゴブリンはゴブリンだ。共存は無理さ」


「ああ、情はかけられない、よな」


「ヤツらは小麦も食い荒せば、人の女子供もさらって食う。繁殖期には男たち総出で洞穴狩りだ。森や廃城を足がかりに町を食い物にされたら目も当てられんよ。お前さんと市長の判断は間違ちゃあいないさ」


「とすると、町の北側からゴブリンがでたのは偶然じゃない、か。規模はキャンプと聞いてるが」


「それは間違いない。五十を超えてなかったが、寝耳に水の襲来だ。これから潜ってみるのか」


「他ならぬ悪友の頼みだ。肩を貸してやらないわけにもいかないだろう」


「あいにくと若い連中はさっき、マリステラへ人員を取られたばかりでな」


「知ってるよ。例のチェルス殺しの再調査を俺がバルデシオに頼んだ」


「あれが、ゴブリンの仕業じゃないって?」


 ヴァンダーはかぶりを振った。


「物証があるわけじゃない。ゴブリンの襲撃は確かにあったんだろう。だが豚十八頭という数は小鬼にしては運びきれない。人が事件後にまとめて売り捌くにしても、盗まれた豚はあのチンタ・セネーゼ種なんだ。どうしたって足がつきやすい」


「やれやれ。主人から盗んだ罪をゴブリンにおっかぶせて逃げおおせようって筋書きか」


「そう思えた。だから念のため、チェルスの蓄財と証文をな。バルデシオの口ぶりからして、最初はゴブリン襲来のことしか頭になかったみたいだ」


 ゴブリン発生は、大きくなろうとする町にとって頭痛案件だ。執政官は小作人家族だけ全員無事という報告を鵜呑みにして疑念を抱いていなかった。主人家族が全滅なのにだ。ヴァンダーは妙だと思った。


 ジェルマーは窓を見つめて鼻息した。


「チェルスの使用人たちはな、三つの家族全員、納屋の地下に住んでるんだ」


「え?」


「皮肉だな。主人が生かさず殺さずでコキ使って収穫物の下に押し込めていたことが結局、彼らを助けることになったんだから。これも因果応報ってやつか」


 お互いに押し黙った。農場主人と小作人の身分差はそこまで違うのだ。


「なあ、ヴァンダー。ゴブリンの襲来は間違いなくあった。だがお前さんの言う通り、あるべきブツが出なければ、火事場泥棒もあったと見るべきだと思う」


「ジェルマー。主人の物を盗んだ使用人は、吊るし首だよな」


 老衛兵は、憐憫れんびんの息を地面についた。


 農場主人が惨殺されている。冷遇され続けた使用人に殺してない立証はまず、不可能だ。ましてやゴブリン襲撃後に窃盗の痕跡がでれば、〝襲撃加担〟になる。どんな申し開きもできない袋小路だ。


 クレモナの執政官には行政権や警察権はあるが、裁判権がない。クレモナが国王から特権をゆるされた自由都市ではな国王の直営都市だからだ。司法手続きは、王都から審問官が一人、事務補佐官とやってきて、この町で裁かれる。


 審問官は、主人殺しに情状酌量などという温情は見せない。それどころかゴブリン襲撃を小作人反乱にすり替える悪質な場合もある。彼らもハデな現場実績で名声を挙げなければ、上への出世がないからだ。


「せめてチェルスの女房と娘をゴブリンの巣から助け出して、盗んだ額をそっくり返せば、減刑できそうなもんだがなあ」


 そこまでいって、老衛兵はおもむろに椅子から立ち上がり、見つめていた窓を開けた。


「ジェルマー?」


「ふふ、子鬼だ。子鬼がいた。お前さんの後をついてきたんじゃないのか、ヴァンダー」


 思い当たる節が多かったので、ヴァンダーはすぐ駐在所を出て、裏手に回った。すると折よく小さな子鬼が膝にぶつかってきた。


「カレン。家にいろといったろ」


 転生者の言葉でやんわりと叱る。少女は悪びれるどころか、頬を膨らませて下を見つめる。


「わたし、ヴァンダーの役に立ちたいと思ったから」


 転生者のさがなのか。マコトも旅やトラブルの話は大好物だった。


「その心意気は王都をでてくるときに理解した。お前の魂は聖騎士にも勝るが、体があと十五年早いんだ」


「わたし〝荊の森〟なら、ゴブリンくらいやれるわ。ゴブリンは魔物の中でも最弱だって聞いてるし」


 まいったな。四歳児にゴブリンの何たるかをわからせねばならないのか。


 ヴァンダーは内心、困惑した。小さな手を引いて駐在所に戻ると、ジェルマーが苦笑まじりに事務を始めたのを横目に、少女を椅子に座らせる。


「いいか。ゴブリンは、今のお前と同じ体型と身長だ。だがナイフを持たせれば大の大人をなんのためらいもなく刺し殺す。理由はわかっていない。そんな凶暴な性格の魔物を、最弱と侮ることは危険だとは思わないか?」


「それは……そうかも、だけど」


「ゴブリンの戦闘は基本、集団で襲ってくる。少ない規模でキャンプと呼ばれ、一度に五十以上だ」

「えっ。五十匹?」


「一度にだ。俺が将軍だったとしても、一人なら逃げ回りながら戦っても五分と持たない」


 ゴブリンが最弱という認識をどこで知ったかしらないが、極端に打たれ弱いことは確かだ。ひどく痩せぎすな上に骨が脆いのだ。


 だが例外もある。まれに上級クラスであるゴブリンロードになると、体質が一変する。


 筋骨隆々で巨大化し、知恵も悪辣あくらつでより狡猾こうかつになる。師匠はこの突然変異を「過密集団における生存本能の魔力暴走」と位置づける。


 ロードの出現で顕著なのは、ゴブリンの群れ社会に個体優劣の格差が生じて組織化され、群れが強化されることだ。階層社会の一極集中だけでは説明がつかない急成長個体だ。


 ヴァンダーもロードには職務行動中に二度だけ出会でくわしたことがある。この町に存在していれば地上で下級ゴブリンのつけ上がり方が目立っているはずだ。


 ここ二年、この町で隠居しながらバルデシオとゴブリン繁殖の予防策を打ってきた。それなのに町の直下である地下水道に巣をつくっていたら、二年の時間が砂に消えたことになる。


「ゴブリンに限らず、一匹では最弱であっても数が多ければ凶悪だ。どんな名剣士も大魔法使いも喉を食い破られ、奴らの餌になる」


 軍隊用語で、規模によって呼び名が変わる。キャンプで、五十匹。ビレッジで、三百匹。キングダムで一千匹。パンデミックと呼ばれる最大規模にまでなると、その数は五千匹以上になる。それだけの規模がはじければ、一国が滅びかねない。


「国が滅びるほどなんだ」


「そうだ。俺たちはゴブリンが魔物だから慌ててるわけじゃない。数が多いから困ってるんだ」


「それでは、ヴァンダー。むしろ一人で行くのはかえって危険ですよ」

 開いた窓から揚げ足を取ってくる魔術師の指摘に、ヴァンダーは苦虫を噛み潰した。

「さあ、お腹が空く前にさっさと済ませますよ」


 窓からぬぅっと差し入れられたのは、ヴァンダーが朝稽古に使っている金棒だった。


「そしたら、遠征用の背嚢リュックを持ってきてやろうかな。それに子鬼を入れておけば両手があくだろ」


 ジェルマーが老心のアイディアをみせる。


 どいつもこいつも、この魔族の小娘には魅惑チャームの素養でもあるのか。


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