第二章 転生者でもわかるゴブリン概論
第9話 ゴブリン豚強盗事件・開幕
中部都市クレモナ。
王都マイラントから馬車で三時間。
人口二万人。ロンバルディア王国では第八位の中郭都市、西から東へ物産を運ぶ平底船の中継基地として栄えてきた。
ロンバルディア北西パラディーゾ山脈を源流とし、九つの支流からなる東西大河・ポー川中域に位置する。ポー川の行き先は六百キロの彼方、ヴェネーシア共和国のアドリア海へと注ぐ。
町の主な産業は農業と牧畜業で、塩漬け肉や干し果実などの加工食品を主軸に、小麦とトウモロコシの穀物が豊富で、町の南端ポー川の両岸には水車を使った粉挽き所が多く見られた。
小麦はその四割が町で自足され、残り六割が川を下って国外の流通に載せられていた。
ヴァンダーの家はクレモナの北西、ベルガモ通りにある家具屋ガルネリの隣だった。
「一国の将軍って聞いてたけど、バンガローなんて素敵!」
カレンが部屋の
ヴァンダーは剣を壁の掛け金に置くと、木製のスツールに魔族の小娘を座らせる。
「この界隈はヴァンダー街って呼ばれてる。通称だけどな」
「えっ?」
「そこの通りからこっちは全部、俺の土地だ。四軒長屋を三棟建てて、十二世帯から一般相場より安めに家賃をとってる。それが国王陛下から賜った将軍の特権で、俺の収入源だ。あと、となりの家具屋ガルネリも俺の店だ。職人は三人。家具を作るのが趣味でな」
「へーっ、すごい!」
カレンが目を輝かせる。
「わたしも家具つくりたいっ」
「大きくなったらな。――師匠。そろそろ手の内を明かしてくれませんか?」
部屋の中を歩き回っていたマーレファは、小首をかしげて、
「私の部屋はどれでしょうか」
「あんた、ここに住む気かよ!」
「当然でしょう。ラミアたちに部屋を貸したのなら、私にもそうするべきです」
「いや、借家はライザー家でもういっぱいで……」
「ええ、ですから、ここがいいです」
「だめです」
「なぜです?」
「いつでも処分できるよう、必要最低限だからです。それに師匠から自立を許されたのに、いまだ自立しない師匠の世話生活に戻るのは
「カレンはよくて、私がいけない理由になっていません」
「俺に世話させる前提で理由を求めないでくれませんか。いい大人なんだから」
そこへドアがノックされて開き、無精髭の
「よぉ、帰ったな。ヴァンダー」
「どうした。バルデシオ。市長が昼間から油を売りにきたのか?」
互いにハグを交わして、帰郷の挨拶をする。
「バカ言え。これでも一応公務だよ。こちらの方々は?」
「こっちが俺の師匠の」
「マーレファ・ペトラルカです。マーレファで結構ですよ」
「おおっ。〝星霜〟の魔術師の。お噂はかねがね。クレモナで執政官を拝命しております、フェルディナンド・バルデシオです」
バルデシオはたくましい笑顔で魔術師と握手を交わす。
「栄えている町にしては、平民の市長どのですか」
マーレファが第一印象を
「この町じゃ祖父さんの代から市民として、デカい顔をさせてもらってましてね。ヴァンダーに借りばかりつくってますが、おかげで町衆からはダメ市長どまりで、なんとかやれてますよ」
「なるほど。それは、ご苦労が絶えませんね」
「いや全くです。そちらの子は?」
バルデシオがスツールに座らされた少女を見る。
「弟子のカレンです。才能の萌芽はあるのですが、そのせいで親に見放されましてね」
「なるほど」
ヴァンダーは舌を巻いた。高名な魔術師が魔族を弟子と言えば、みんな納得してしまうのだ。
「バルデシオ。それで今日は、どの件だ?」
ヴァンダーが話を促すと、市長はくつろいだ顔から公務の顔になった。
「つい今しがた、こっち北区の衛兵からマリステラにゴブリンが出たと報せてきた」
「ゴブリンだと……今しがたってことは、後手か?」
「ああ。今日の未明だ。お前も知ってるチェルス家だ。当主のエヴァリストは
「十八頭もか……ゴブリン襲来の通報は、誰が?」
「チェルス家の小作人で、トニってのを含めた三名だそうだ。納屋の下でずっと息を潜めてて、昼過前に出てきたそうだ」
小作人は大抵、農主家の住みこみだ。別棟を貸し与えられて、家族で住む。ずっと。
ヴァンダーは師匠と目配せし合うと、人さし指を立てて確認をとる。
「チェルスの家で雇っている小作人の世帯は」
「三世帯十五人だ。全員が、無事だった。だから……そこからの、通報だが」
答えながら次第に奇妙なことに気づいたのだろう、バルデシオの顔が曇りだす。
「なら、金は」
「金?」
「ゴブリンの襲撃は大抵、深夜未明だ。それで通報は昼過ぎ。襲撃日の一晩、偶然納屋の床下に隠れたってのも不審だし、通報までの時間がかかりすぎている」
「それじゃ、あいつらまさかチェルス家の蓄財を……すまん。おれが衛兵に確認しなかった」
「うん。バルデシオ、衛兵にチェルス家の母屋と小作人たちの家屋を調べさせてくれないか」
「暖炉だな。証拠隠滅の可能性があるな」
「あくまで可能性だ。ゴブリンは金貨や証文なんてもんに興味はない。買い物はしないし、字が読めないからな。だが小作人なら金の価値も知ってるし、自分の名前くらいは読める」
バルデシオがうなずいて外へ向かおうとしたとき、マーレファが呼び止めた。
「念のため、現場周囲の集落外にゴブリンの足跡がないか確認することをおすすめしますよ」
「あーっと、そうだった。だからここへ来たんです。ヴァンダー、地図をくれ」
ヴァンダーは大股で書棚にむかうと、地図を取り出してテーブルに広げた。
マリステラはクレモナの町と北東で接する村落だ。豪農チェルス家が代々その一帯の森を管理している。カレンもスツールをおりて、テーブルの対岸から小さな頭をだしてきた。
「バルデシオ、マリステラはここだ、ゴブリンの足跡は」
「南だ。規模は、キャンプ」
「南に五十でただと? バルデシオ、それは」
「ヴァンダー。オレだって素面で与太話をしに来たわけじゃねえ。南に足跡があった。ここだ」
ゴブリンの発生源がマリステラの南ならば一キロと離れていないここ、クレモナ市街ということになる。
師匠がふむと軽く唸る。
「バルデシオさん。この町の北側に地下水道の侵入口は」
「無論あります。用水路のここ、排水口の鉄格子を破壊されてましたよ」
「ゴブリンという魔物は好んで人を模倣する性質をもっています。洞窟や森に
「心得ております。あなたの弟子に口酸っぱく言って聞かされてきましたからね」
「よろしい。我々がゴブリンを
しかし対策をどうしたものか頭を抱えだした市長の肩に、ヴァンダーは手をおいた。
「ゴブリン捜索は俺たちに任せてくれ。バルデジオはチェルス家の捜査をすませて、後で合流しよう。人手がいるようなら、市庁舎に顔を出すから」
「ああ、わかった。気をつけろよ」
バルデジオが帰った後も、ヴァンダーとマーレファは地図を見つめ続けた。
「東部の地方都市とはいいますが、広い町になりましたね」
「はい。俺と師匠の二人で取りかかるにしても、何日かかることやら」
「ねえ、何を話してたかなんとなくしかわからなかったけど、わたしも何かやりたい!」
カレンがテーブルに両手をついて、ぴょんぴょんと椅子の上でジャンプする。
「お前がやらなければならないことは決まってる。この世界の言葉を覚えるんだ」
「むぅ……それは、そうだけど」
「カレンならすぐ覚えられる。そこから自分のやりたいことを見つければいい」
「ちゃんと帰って、くる?」
意外なことを言われたので、ヴァンダーは目をパチクリさせた。
「まさか俺がゴブリン相手に、やられると思ってるのか?」
「だって……」
「今日は一人でいって様子を見て、夕方には帰って来る。夕飯の支度もあるし、師匠の住む所も探さないといけないからな」
「私はここがいいと言ったはずですが」
「ダメったらダメとも言ったはずですが」
ヴァンダーとマーレファは一歩も退かぬ構えで見つめ合う。
師匠とは、長い付き合いだ。なにか企んでいそうなことくらいわかる。
王子によく似た少女とロッホが遺した魔王調査。派閥争い。それ以外にもまだ何かありそうだ。
洗いざらいしゃべってこちらを納得させるまでは、
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