第8話 荊《いばら》の転生者3



 その日の未明。

 月も沈んだ、日の出までの狭間。

 真の闇が目をあける時間となる。


 ヴァンダーは王城の崖をよじ登り、城壁回廊の見張りを闇でかわしてから、王族が寝起きする王宮へ忍び寄った。王子の部屋がある窓は三階だ。


 修復された窓からちょうど太いいばらが二本、するすると降りてきた。

 ヴァンダーが絶句しながら上を見あげると、窓から荊の球がのっそりと現れる。と、球は落下の勢いを利用して速度を上げ、左右の棘蔓とげつるの上を転がり落ちてきた。


 そして、橋の切れた先からジャンプ。


 城壁の上にいる見張りの頭上を難なく飛び越えて、闇の中へと消えていった。


「勘弁してくれよ、あれが魔族の発想だってのいうのか?」


 悪態をついて、ヴァンダーは球の行方を追いかけた。



 少女の姿を見つけるのに、十五分ほどかかった。


 王城の崖を降りた先にある城下外町の噴水公園にいた。

 そこは火災避難地にも指定されており、魔石の明かりで夜の間だけ灯されることが決まっていた。ドレスデン王のアイディアにマーレファが応えた形だ。町衆からの評判もいい。


「遅かったね。おじさん」


 噴水の縁に腰かけて、少女は眠そうな目で微笑んだ。


「ヴァンダーだ。これでも三二だ」


「押しも押されもしない、おじさんじゃない」


「敵じゃないとわかった途端に……まあいい」


「この世界にきたばかりで、距離感がちょっとね」


「距離感? なんだそりゃ」


「わたしのいた世界は、話す相手とミリ単位で計らないと満足に会話もできなかったの」


 そう言えば、マコトも似たようなことをいっていた。


 会話とは、自分のことをもっと知ってほしい代わりに、他人には踏み込んでほしくない。その境界線をどこに引くか、だと。


 他人と仲良くなることは融和ではなく、前線の上げ下げでもあると。


「つくづく魔族ってのは難儀な世界だな。だがその距離感は後にしてくれ。ちょっと寄らなきゃいけない場所がある」


「トイレ?」

「この世界に、そういうものはない」


「でもわたしが泊まってた部屋にはあったよ?」

「あれはカレンが王族だからだ。その、王族の世界からも飛び出してきたんだよな?」


「むっ。出ろっていったのはそっちじゃ」


 少女が反論し終わる前に、空が明るくなった。

 居城の三階部分から火炎が噴き出していた。


「わたし……いた場所」


「殿中で火炎魔法を使ってくるってことは、今朝の連中のボスは諦めてなかったわけだ。王子によっぽど死んでてほしかったのかな」


 ヴァンダーは呆然とする少女を左腕に抱きかかえると、走り出す。

 小さな手と短い腕がヴァンダーの首に巻きついた。震えていた。


「どこに、行くの?」


「カレンがこの世界にやってくる直前に死んだ騎士ロッホ・ライザーの家だ。妻と子供がいる。彼らの馬車に乗って俺たちは王都から逃げることになる」


「わたしのせい?」

「いや、うちの師匠の推理では、カレンが現れる前に、やられてたらしい」


「おじさん。今、なにか嘘ついた」

「ヴァンダーだ。嘘じゃない。実は俺もよくわかってないだけだ」


「大人の屁理屈。それでなにを隠したの?」

「当ててみな。それまでお前との会話は、後回しだ」


 ヴァンダーは闇の中を泳ぐ速度をあげた。


   §


 ホゥ、ホゥ、ホゥ……

 ギャー、ギャー、ギャー、ギャー


「ねえ、おじさん」

「宿題はできたのか?」


「んもうっ。ロッホ・ライザーは、さっきの王宮の火の手と関係ある。きっと知っちゃいけない秘密を知ったか、掴みかけてた。だから魔王と戦闘をやらされて戦死した」


「正解だ。あらためて質問は」


「今の鳴き声、フクロウよね。返事は夜鳴き鳥」


「ああ」


「敵は四人ってこと?」


「いいや。今のは敵がいる方角だ」


「方角? この世界にもあるんだ」


「人も馬も歩いているんだから、当然だろ。東、南、西、北だ」


「それじゃあ、敵に囲まれてるんだ。あの家」


 ヴァンダーは少女を下ろすと、しげみにそっと座らせた。


「だから今から、その囲みを破りに行く」


「それなら……わたしの〝荊の森〟ワイルドスピナが、役に立つかも」


「お前、本気か?」


「大丈夫。姿見えなくても、場所さえわかれば縛ることはできる」


「よし。俺が石に[火]をつけて、敵に投げる。小さな火がでるから、それを見逃すなよ。それにめがけて荊で縛れ」


「わかった。うまくいかなかったらごめん」


「謝らなくていい。何度も挑戦して慣れていけ。ここから遠くで操ることができればバレっこない。大人たちに悪戯して困らせてやる気分でやってみろ」


 カレンはようやく少女らしく微笑んでうなずいた。


 ホゥホゥホゥ、ホー

 ホー、ホー


 合図に応じてから、ヴァンダーは音無しに走り出した。


 敵の数は視認できるだけで四人。サカイら応援を頼んだ傭兵四人には、手を出すなといってある。加勢したがったが、禁じた。今夜の騒動は貴族たちの欲得ずくだ。平民が首をつっこんでいい問題ではない。あと追放中の将軍の片棒を担いだことで、彼らまで連座を受けても可哀想だ。


 腰の革袋から石を出す。ただの川原の石だ。

 土に埋まっている石と違い、水の中で磨かれているぶん角がなく、風の抵抗が少ないのでまっすぐ飛んでくれる。


 それを握りしめて[火]を石に宿し、親指で弾く。

 赤い指弾は、男の額に炸裂して炎上、声もなくもんどり打った。


「なんだっ。おい、どうした!?」


 仲間に近寄った男の後頭部にも命中。地面に派手に倒れる。


「おい……おいっ、返事しろ。敵かっ?」

「敵って、どこからだよ」


「わからん。こう暗くちゃ何も見えねぇな」


「なら、松明をつけるぞ」

「ばか、よせ!」


 闇の中に火花が散った。そのしゃがみこんだ迂闊うかつひたいに石が炸裂するのと、その背後にいた男にいばらが拘束するのはほぼ同時だった。


「へぇ。やるもんだ」


 怖気づくことなく敵の動向を探れている。将来、有望な斥候になりそうだ。


 これで全滅か、と思ったその時だった。


 ピィー! 館の陰から短い指笛、裏から五人が追加であらわれた。


 ホー、ホッホッホゥ、ホー


 ヴァンダーが周りに撤退を指示すると、音もなく少女のもとへ戻った。


「カレン。カレンっ」

「ここ」


 小声で反応があった。腰を低くして駆け寄る。


「どうしたの?」


「館の裏から敵の追加が現われた。こちらの存在を察知してるから、これ以上は数でこちらが不利になる」


「わたしなら全部やれるよ」


「この場において尖塔は時間の無駄だ。館内の住民の避難を優先する。お前と同じ年頃の子がいるんだ」


「むぅ」


「だが現状、敵は見えざる襲撃で動揺している。館の裏が手薄になっているはずだ。やつらが味方の救助をしている間に、館の住人を裏から連れ出す。離れた場所で馬車を待機させているはずだ。俺たちもそれに乗って町を離れる」


「わかった」


 ヴァンダーは少女を小脇に抱えると、足音を消して館の裏にまわる。

 裏手には、不自然なまきと枯れ枝の束が館の壁に所狭しと立てかけられていた。


 台所の小窓に向かって石に[火]を宿した小さな明かりで円を描く。

 すると裏口のドアがそっと隙間をつくった。


「ヴァンダー?」


「俺だ。ここの敵勢は全員、表に回ってる。今のうちにここから脱出してくれ」


「わかった」


「脱出人数は決まったのか」

「もちろん六人全員よ。そっちは二人?」


「そうだ。あと、東城門で師匠が待ってるはずだ」

「マーレファまで? なんか大事になってきてない?」


「話もぼやきも後だ。子どもたちを早くっ」


 ドアがいったん閉じてから再び開くとラミアが娘を、上背のあるメイドが息子を寝間着のまま抱きかかえて飛び出してきた。執事パオロともう一人のメイドが大きな蝦蟇がまぐちカバンとトランクを両手に提げて続く。 


〝眠れ、反逆の炎雷よ

 汝らの眠りを妨げし愚かなる者に

 怒りのつちを振り落とせ〟


 ヴァンダーは右手で魔法陣を描き、壁に立てかけた薪の下にすべらせた。

 赤い魔法陣は土にしみこむように消えていった。


「ねえ、今の魔法っ?何したの?」カレンが興味津々で訊ねてくる。


「さあな。俺たちはもう町を離れる。ここで起きることは何も知らない。いいな」


 十数分後。

 馬車が東城門で手を振るマーレファをのせるために停車したときだった。


 ライザー家の方角から一度だけ、落雷のような火電が夜空を焦がした。


「ヴァンダー。〝埋火雷〟ドンナーミーネですか」


 幌馬車の中で、師匠が赤い狼煙を眺めていった。


「やりすぎでしたか?」


「いいえ。ちゃんと起爆しているので問題ありませんよ。ラミアたちが戻ったときに誤作動する心配もありませんからね。彼らへの警告としても、上出来でしょう」


 彼ら、か。

 ヴァンダーが東城門の落とし格子を巻きあげ、パオロが馬車を町の外へ出していく。


「師匠、落とし格子はどうしますか」


「そのままでいいでしょう。パオロ卿、馬車を隠しながら進みます。ベテロの森へ」


「承知いたしました」


 馬車が進んで程なくして、雑木林に入った。


「停めて。明かりも消してください」


 師匠の制止で、手綱が引かれる。子どもたち三人の寝息がするなか、ヴァンダーたちは疑問を口にせずじっと幌馬車の後ろから周囲を警戒する。やがて、


 ドドドドドッ!


 馬蹄が砂煙をあげながら東城門から街道へ飛び出していく。松明の数は三十本。


「マーレファ、あれはロッホの書類を求める追っ手ですか?」


「ラミア、こちらの問題にあなた方を巻きこんでしまって、申し訳なく思ってます。ですが当面は、彼らも追ってはこられないでしょう」


「えっ?」


 次の瞬間だった。


 ズドァオオン!


 重い衝撃音とともに、街道に赤いが空をえぐった。

 朝を待つ漆黒の空へ、人と馬と泥が塵芥じんかいのように舞い上がった。

 

「おやおや。騎馬三十騎を一度に失うとは、出資者も大損でしたねえ」


「師匠、あのマジックポーションの正体は、これですか」


 特大の〝埋火雷〟である。


「ふふっ、弟子は師匠に似るといいますが、追尾の殲滅法まで似てしまうのですねえ」


 出してください。マーレファの涼しげな一声で、馬車は東へ向かった。

 荷台をおおうほろが御者カーテンの方からゆっくりと白くなっていく。


「ヴァンダー。私はね。私の邪魔さえしなければ、転生派とか保守派とか、どっちだっていいんですよ」


 興味がないことと無関心であることは別だと、師匠は子供たちの寝顔を見ながら微笑んだ。



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