第37話 狼狂症候群(リカントロピー シンドローム)後



 水車税。

 収穫された小麦を粉にするため、粉挽き人に支払う使用料をそういった。

 厳密には税金ではない。使用料は貨幣ではなく、現物の小麦で前払いされるのが慣例だったからだ。もちろん、その徴収には執政官や領主から特権として認められなければならない。


 チェーザリ家は六代にわたって、その特権が認められたクレモナの古豪であった。


 長年にわたり製粉所だけでなく、運輸業や飲食店など幅広く経営して財を成し、貴族並みの生活をしていた。


 なので、同じ粉挽き人から執政官まで出世したバルデシオ家とはやたら肩を並べたがり、週に三度は市長の陳情に現れる〝粉かけ屋のガットネロ〟の揶揄やゆは市庁舎では有名で、バルデシオから鬱陶しがられていた。


 そんな六代目ガットネロは、十八歳で結婚したが十年子宝に恵まれず、ようやく長男ヴァレリオが生まれた時には三日間もお祭りになった。

 しかしその三年後、長男の体に謎の文様が浮かぶようになり、魔女に診させたところ呪いだと判明した。


『でもこの子は死なないよ。先祖にあった魔族の血が、呪いから抗う力を得てるのさ』


 この噂は瞬く間にクレモナを席巻し、町衆は囁いた。


 これも因果応報、と。


 ガットネロはそんな風聞に抗うように長男に愛情を注いだ。

 実際、長男ヴァレリオは跡継ぎにふさわしい聡明で親思いの優しい少年に育った。


 その聡明さゆえに弟のレオナルドが十二歳になると廃嫡を願い、両親を大いに慌てさせた。

 二年に渡る家族会議の結果、孤児院に入ると決めたのは十四歳で、富豪チェーザリの家名を捨てた。

 

 ここまでヴァレリオが急いだのは、クレモナの慣習として孤児院の卒院は十八歳とされ、成人式を迎えた満十五歳以上は孤児とは認められず、孤児院に入れなかったからだ。


 それから歳月がたち、ティグラートが十七歳のときだった。

 三度目の兵役検査にも落ちて荒んでいた時に、魔術師が臨時教師で現れた。もとは修道院の援助者だったが、読み書きと計算を教えるようになった。


「その刺青が、身体強化の証?」


「ああ、まあ、世間じゃ呪いとか言ってるけどさ。そういう魔法スキルっていうか、体質っていうか。女神の恩恵ってやつでさ」


 ティグラートは地面に深く埋まったレンガを一つ花壇から抜き取ると、両手で左右から圧壊してみせた。


「それで子供たちを左右の腕に二人ずつぶら下げて走り回っても、ものともしなかったわけか」


 的確な指摘にティグラートも変に納得した。そうか、あれも身体強化か。と。

 この臨時教師――ヴァンダーはよく子どもたちを見てる。


「そのスキルというのは、他にもあるのか?」

「他? えーと」


「生活に役に立ちそうなものだ。たとえば、パンを捏ねるのがうまいとか」


「うちは粉挽き屋でもパン屋の真似事はできねぇよ。……あれ。マジねぇな。うわ、ガチガチに戦闘特化で選んじまってる。兵士や傭兵になる以外考えてなかったからな。うーむ。あとはスキルじゃねえけど、ウイスキーの製法は頭に残ってるかな」


「ウイスキー? この国の言語ではないな」


「蒸留酒のことだよ」


「なら、原料や醸造法が違うのか?」


「そうだな。うん、ぶどうから作るグラッパじゃなくて麦から作るんだ。その、なんていうんだ。何言ってるのかわからねえと思うけど、夢の中で親が自家製ウイスキーに凝っててさ。映像を見たり、本で読んだりしてるのを、おれも一緒に見てた。醸造前を少し飲ませてもらったけど、黒糖のような麦芽の甘さだった。ああ、完全に思い出した。懐かしいな。そういや、ワインボトルと地下で軟水見つけたから、ここ出る前に醸造してみっかな」冗談半分だった。


「ふむ。夢の中の記憶、か」


「蒸留酒つっても、熟成に三年ほどかかる難点はどこも同じなんだけどさ」


「蒸留酒がエールのようにはいかないのは、国王でも知ってる」


 それで話は終わりかなと思ったのに、ヴァンダーは立ち去らず、その場で長考を始めた。


「ティグラート。それ、試してみないか」


「は? 試すって、ウイスキーを?」


「麦から蒸留酒を創れる知識があるなら試してみるべきだ」


「試すって、蒸留ポットは? この世界に泥炭なんてないだろ?」


「泥炭? いやあったぞ。確か……この町から北へいったイゼーオ湖の湿原にあったはずだ」


「えっ。ちょっ。マジか。ヴァンダー先生、本気かよ」


「最初は規模も小さく、密造になるだろうが、貧乏人に売らなければ三年で軌道に乗せられるはずだ。儲けがでてくればクレモナ市に登録税を払って、初手から信頼できる他の密造酒商会と一緒にギルド起業すればいい。自由競争が許される世界じゃないが、修道会の寡占を、領主も苦々しく思っているのはどこの国でも同じだ。領主の庇護を受けられれば勝ち目もある」


 ヴァンダーの口から次々と飛び出してくる異世界アイディアに、ヴァレリオは魔法にかけられたみたいに胸が熱く昂揚した。


「そうか、ウイスキーを商売にか……けど、肝心の資金がねえ。孤児だから当然、文無しだ」


「なら、貸してやる。初期設備と五年計画で、金貨一五〇〇枚でどうだ?」


 てっきり元親に頼れといわれると思っていた。ヴァンダーは自分を紐つきの孤児とは見ず、対等な男と見てくれていたことが嬉しかった。


「先生、相当の物好きだな」


「そう思われないよう、ちゃんと契約書はとるからな。それと、貸す条件がある」


「うん。そこから先はわかってる。弟妹たちをその商売フネに載せろ、だろ?」


 ヴァンダーは強くうなずいた。


「彼らは卒院しても、簡単な読み書きができるようになっただけだ。就職先は修道院長がお決めになるが、最近は門地のわからない孤児は断られるらしい。不届き狼藉が起きれば身分保障がないからだ。となれば卒院後の未来は決まってる。男は日雇い、女は……わかるだろ?」


「うん、それじゃあ今から蒸留酒をつくって、経営を考えないと三年先まで間に合わねぇな」


「密造酒の世界はナワバリの奪い合いだ。最初は修道院へ就職予定のスカルペッロと腕っぷしの強いセーガやマルテッロを誘うのも手だろう」


「わかった。にしても、まさかヴァンダー先生からワルの道を勧められるとはな」


「俺も元はこのクレモナの裏路地を歩いていた。二年ほどだがな。そこで今の執政官とも出会って、魔術師に拾われ、今がある」


「そっか。運が良かったんだ」


「ああ。だがそこから二十年はちっとも楽じゃなかったぞ。だから俺も、お前たちの魔術師になれたらと思う」


 ティグラートはふいに鼻先につんっと痛みが走った。


「ヴァンダー先生、おれを口説いてんのかっ?」


「口説かれている暇はないぞ。金貨一五〇〇枚の出資損失はさすがに俺も痛いんだからな」


 そういって差し出された古傷と剣ダコの多い手を、ティグラートは握り返した。契約成立だ。


 あの時、未来につながる道なんてどこにもなかった自分に、ヴァンダーが目標をくれた。


 彼のような誰かを希望へ導いてやれる大人に、いつか自分もなりたいと思った。


 なのに自分でもあずかり知らない〝呪い〟は、その翌日深夜、発症した。


 チェーザリ家が怨嗟の沼から這い出ることを許さぬように。


   § 


 事件現場に到着したのは、東の空がようよう白くなりかける早朝だった。

 クレモナ屈指の名士チェーザリ家の受難に、衛兵隊は端緒の北区、管轄の南区、加勢で東区の一五〇人態勢で敷地内に臨んだ。


 老ジェルマー北区長が陣頭指揮をとり、現場検証が始まった。


 彼らが注目したのは、庭と裏庭に無数に残された足跡だった。館までの通路に戸板を渡し、足跡一つ一つに石膏を流し込んで靴跡を採る。前世界の警察ドラマと同じことをしている。


 ヴァンダーと佐藤さん、わたしの三人は北区衛兵隊とともに館内に入った。

 ロビーにまで漂う血の臭いに鼻先を叩かれ、わたしは顔をしかめてしまった。


「サトウとカレンは三人一組で二階を見て回ってくれ」


「あたし、先に現場を見ときたいんやけど?」


 佐藤さんがむっとヴァンダーを睨む。


「衛兵隊の検分が終わったら、特別に見せてもらおうな」


 駄々っ子を宥めるようにあしらって、ヴァンダーはジェルマー衛兵長と食堂に向かった。


「なんなん。自分はちゃっかり一番乗りしといて。ずるいわ」


「あ、あのぉ。それじゃあ、あちらの階段で行きましょうか」


 気の弱そうな若い衛兵が貴族令嬢を扱うように階段をエスコートしてくれる。


「階段くらい見りゃわかるわよっ」


 ぷりぷりしながら佐藤さんは衛兵に先導させる。三人で二階へ昇り、踊り場まで来たときだった。

 急に佐藤さんが前を歩く衛兵の首をマーレファの杖で搦めとった。


「ぐえっ」


「血の匂いが二階まで続いてる。衛兵、集中すんで。……カレン、ヴァンダーを呼んできて」


「はいっ」


 わたしは一階に駆け下りて食堂へ行った。血の臭いが濃くなって、わたしは不快感に喉元がざわついた。ちょうどわたしと同じような顔をして廊下へ出てきた衛兵に声をかけて、ヴァンダーを呼び出してもらう。


 ヴァンダーはすぐに廊下に出てきてくれた。


「どうした」


「二階にあがった直後に、廊下からも血の匂いがするって、佐藤さんが」


 ヴァンダーはふいに廊下の床に目を落とした。わたしも彼の視線の先を追う。


 廊下に血痕が、点になって玄関ロビーへ続いていた。


 ヴァンダーが食堂の衛兵長を呼ぶ。


「ジェルマー。レオナルドが二階にいるようだ」


「なんだって、外へ逃げたんじゃないのか。応援いるか?」


「向こうは相当気が立っているかもしれない。まず俺たちで刺激しないようにやってみる」


 廊下を歩き出したヴァンダーの背中を追うように、わたしもその赤黒い点をたどっていった。

 二階に着くと一番奥の部屋の前で佐藤さん、背後に若い衛兵が剣の柄を握っていた。


「サトウ」


「ヴァンダー、ここっ」佐藤さんが小声で手招きする。「この部屋の前で血痕をみつけた。外から〝案内蝙蝠〟フレーダーマウスを放ってみたら、窓際の隅で膝抱えてるのが一名。男性。二十代前後。大柄。あと入口のドアは椅子で施錠されてるみたい」


 短い報告にヴァンダーは確とうなずくと、若い衛兵を見る。


「カルロ。伝令だ。ジェルマー衛兵長に伝達。生存者捕捉。魔法で壁を破壊して突入する」


「りょ、了解っ」衛兵が踵を返して走り出す。


「カレン。俺が先に突入する。レオナルドを荊で拘束しろ」


「了解。でもこういうのって説得とか、しないんだ」


「現場の被害者は三人だ」


「凶器は?」


「主人のガットネロは背後からナイフで滅多刺し。夫人のレダとギオーネは不明だ。喉笛を噛みちぎられて、心臓を握りつぶされていた」


「強靭な心臓を握りつぶす? 呪術的には蘇生阻害のサイン。人の仕業じゃないってわけね」


「そうだ。説得に応じるのを待っていたら、正気を取り戻したレオナルドは自害するかもしれない。おれが行く。サトウ、壁の破壊を」


「オーケェ。こんなん術式解除で余裕でしょ」


 佐藤さんが壁に手をついて、合図を待つ。

 ヴァンダーはダガーを抜いて逆手に持ち替え、うなずいた。


 次の瞬間、壁がカーテンを下ろすように砂となって崩れ始めた、その時だった。

 砂のヴェールを突き破って腕が飛び出してきた。


「まじっ!? しくった!」


 佐藤さんも敵の急接近にとっさへ後ろへ身を引いたが間に合わない。

 彼女の目前で鈍い激突音。ダガーとサラミナイフが咬み合う。


 佐藤さんが廊下に投げ出された時には、ヴァンダーは壁から飛び出た相手の手首を掴んでいた。レオナルドを砂のヴェールから引きずり出すと柔道みたいに腰を跳ね上げる。


 床に叩きつけられたレオナルドはしかし、ヴァンダーの腕を離さず二人はもつれ合うように廊下へ投げ出された。

 獣の咆哮。白眼。よだれを滴らせながら、レオナルドが赤黒く汚れた口を開けてヴァンダーに襲いかかる。


「カレンっ!」


 ヴァンダーの鋭い声で、わたしはいばらを起こす。

 魔法の気配を察したレオナルドは獲物を諦めて、廊下を逃走する。


 わたしは全力で追った。

 天井や廊下を埋めつくすほどの荊の奔流を放つ。ところがレオナルドは壁や天井にはね跳びまわり、人ではあり得ない身体能力で〝荊の荒城〟ハイデンレースラインを躱して二階つき当たりの窓を破って外へ飛び出した。


 逃さないからっ。わたしは荊で追尾する。すると地上で悲鳴が起こった。


「追うぞ」


 ヴァンダーと佐藤さんは、わたしの荊を足場にして外の地上へ降り立った。


「ヴァンダー。あれって、なんなん?」

「さあな。師匠なら何か知ってるのかもな」


「古い、忘れられた呪術とか?」

「師匠に聞いてくれ。どうせ気分のいい話じゃない」


「で。あの怪物の行き先、見当ついてるん?」

「根拠はないが、南区の倉庫街……ティグラートだ」


「ヴァンダー、わたしもーっ!」


 窓から声を掛けると、二人はタタラを踏んで跋悪そうにふり返った。

 あの人たち、絶対わたしのこと忘れてたよ。



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