第48話 リーゾの花が咲く前に
「えっ、引っ越す?」
朝食の途中で、ノヴェッリが旅装やってきた。
「うん……。お父さんのいるパヴィアに戻ることになったんだ」
「急に、なんで?」
わたしは反射的に訊ねたが、ノヴェッリはよそよそしく押し黙った。
「ねえ、どうしたの?」
「ぼくの名前さ」
「名前?」
「ノヴェッリ・サトゥルス・デルテスタなんだ」
「うん。それが?」
生返事してから、わたしはどこかで聞いたことがある気がした。
「そうか。カレンはまだ聞いてないんだね。でも、いずれわかるよ」
「ノヴェッリ?」
「米づくり、ぼくもがんばって勉強するから。カレンもがんばって」
逃げるように駆け出そうとするノヴェッリの手を、わたしはとっさに掴んだ。
「ぼくにさわるな!」
払いのけた手に驚いていたのは、ノヴェッリのほうだった。
「カレン、きみがレオナルドの、グファーレ団の仲間だったなんて」
「えっ。ノヴェッリ、違うよ。仲間じゃないって」
「じゃあ、なんでリーダーのティグラートなんかと朝食してたんだよ! カレンもレオナルドと同じ、そっち側なんだろっ」
勘違いされた。言い訳のしようがない。
ティグラート個人とは転生前からの知り合いだったなんて言えようはずもない。
朝から背中に嫌な汗が出た。
「よぉ、朝っぱらから道の真ん中でケンカとは精が出るな、お二人さん」
顔をあげると、バルデシオだった。稽古着じゃなく正服だった。でも徒歩なのか。
「そうか、お前。やっぱりクレモナを離れるのか」
執政官に訳知り顔をむけられて、ノヴェッリはいたたまれなくなった様子で駆け出そうとする。
その腕をバルデシオが掴んだ。
「ノヴェッリ・デルテスタ、心に刻め」
「……っ!?」
「あれは、お前の罪じゃない。お前の祖父さんだけの罪だ」
ノヴェッリは執政官の強面を鋭く見あげ、それから顔をくしゃりと歪めた。逃げ去ろうとするのをしかし、バルデシオは掴んだ腕を離さなかった。
「忘れるな。そこの家の魔術師が、お前の祖父さんがかけたハタ迷惑な呪いを解いた。お前とお前の母親は、祖父さんと違って前に進める。進んでいいんだ。いいか、ヴァンダーの名だけは忘れるな」
少年はしきりに袖で顔を擦ると、何度も頷いた。
「ノヴェッリ、ちょっと待ってて!」
わたしは急いで裏庭に走ると、家主にも内緒で納屋に転がされている〝悲しき生き物〟をまたぎ、トマトの苗を入れていた植木鉢をもって出る。
底の水抜きを塞いだ鉢に今朝、わたしが見せたかった奇跡を一株、土ごと移した。
それを見せると、ノヴェッリは目と口を大きく見開いた。
「そんな、信じられないっ。もうリーゾが実ってる。しかも粒がこんなに。麦みたいだ」
まっすぐに天へ伸びる青い稲穂を見て、ノヴェッリは別の涙を流した。
「まだこの一株だけなんだけど。もうすぐここの穂から小さな花が咲いて、実がもっと太ってくるから」
「これを、ぼくに。いいの?」
「もちろん。このリーゾはノヴェッリからもらった
ノヴェッリは顔を真赤にし、鼻水まで垂らして鉢を両手で受け取った。
「うっ。ははっ、重いや」
「うん、水と土入りだからね」
「ぼく、大事にするよっ。絶対、ここから増やしてみせるから」
「わたしも、ノヴェッリからもらったリーゾ、大事に育てるからね」
少年は我慢の限界だったのか、声を上げて泣き出した。鉢を足下におろし、わたしを抱きしめてきた。こちらも抱き返したかったけど、手が泥だらけだったから腕を回すだけにした。
「元気でね。負けないで」
「うん。カレンも」
ハグをほどくと、ノヴェッリはまた植木鉢を腹に抱え、泣きながら何度も振り返って旅立っていった。
「なあ、カレンよ」
「なんですか?」
「なんで人ってのは、みんながみんな、まるっと幸せになれねぇようにできてんだろうな」
バルデシオはわたしの肩に手をおくと、重い足どりでバンガローに向かった。
わたしは乾いた泥の手を見つめて独りごちた。
「誰かの幸せが、他の誰かにとっての不幸せだから、かもね」
§
「師匠どの、どちらにお出かけですか」
バルデシオがいった。
「ええ。二、三日で戻ります。緊急ですか?」
「王都の魔法局から各都市および執政官への通達で、シルミオーネの〝
マーレファが嘆くように虚空を見つめる。
「なんとも間の悪い人ですね。こちらに向かってきているのですか」
「いいえ。ブレシアへ移動し、誰かを捜しているようだと報告が来ました」
わたしと佐藤さんはきょろりと視線を横へ逃がした。
もしかすると新沼圭佑は、佐藤さんを探しに出たランブルスを捜してるのだろうか。
「ヴァンダー、会ってきてくれますか。ベルガモに入れば、王国軍を刺激すると忠告を」
「承知しました」
バルデシオが慌てだした。
「おいおい、お前が行くのかよ病み上がり。おれは予防策の知恵を借りに来ただけだって」
「だからその知恵を巡らすために情報を集める必要があるだろう? 心配ない、本人と話をするだけだ。サトウミキの行方を訊かれるだろうが、知らないと言い張るよ」
ヴァンダーの反論に、バルデシオは予期せぬ話の流れに困惑顔でうなじをつるりと撫でた。
「気にするな、バルデシオ。今日は体が軽い。大丈夫だ」
「すまん。ブレシアやベルガモの地方執政官レベルじゃ、魔王のご機嫌伺いもままならねぇと思う」
「ああ、わかっている……が」
ヴァンダーは長テーブルで食事をするホブゴブリン達を見やる。
いつもは賑やかな連中が、無言で食事をしている。
タイムが進化成長したことで
「カレン。今日はタイムを孤児院に連れていけ」
「タイムに勉強を教えるの?」
「そうだ。それと市街の古着屋でタイムの服を調達してきてくれ。俺の名で
「わかった」
「あとの……あとのだって、オレら」タラゴンがぼそっと卑屈をこぼせば、
「俺らなんて、タイムより後なんすよ、どうせ」バジルまでへそを曲げる。
「タラゴン、バジル、いい加減にしないと怒るよ!」
カレンが主人として叱るが、ささくれだった彼らの目はほの昏い。
「ミキ、そろそろ出かけましょうか」
マーレファが杖つて歩き出す。佐藤さんは跋悪くて、ゴブリンたちの方を見ずについていく。
「あの、旦那の師匠」オレガノがマーレファの前に立った。
「おれ達もタイムみたいになりたいんだ。強い種族になって、お嬢の役に立ちたいと思ってる。それでもだめなのか?」
マーレファは思案げに沈黙した後、いった。
「お前の意気は尊重に値します。ですが我々魔術師にも、なすべきことがあるのです。それらをすべて達成した暁には、お前たちの格上げを手伝うことも吝かではありません」
「や、やぶさか?」
「じゃあ、どうすればいいの? おいらたち、なんでもするよ!」
ディルがオレガノの横に立つ。
「待つのです。花は葉をつけた直後に花を咲かせません。硬い蕾のまま冬に耐え、美しい花を咲かせ、実をつけるのです。日々の仕事をこなし、心身を鍛え、その時が来るのを待つのです」
「待てば強くなれるんだな……わかった」
「一つ、注意を申しておきましょう。タイムが虹繭を食べた時、繭の魔力量をゴブリンの身体が受けとめきれずに死んでいた可能性がありました。そのことを
「えっ」ホブゴブリンたちは一斉に仲間のハイウルクを見る。
「魔族に限らず、魔素を生命の源として生きる者が魔力によって格を上げるには、命がけになる。そう言っています」
「わかった。命を賭けるだけのことだと肝に銘じる」
マーレファはホブゴブリンたちを見つめて、頷いた。
「お前たちはカレンに愛されようとしています。誰一人、見捨てたりはしません。カレンを信じるのです」
オレガノたちが頷くと、二人の魔術師はドアベルを鳴らして、出発した。
§
「あの、マーレー……あんなぁ」
動き始めたばかりの馬車の手綱が引かれる。
「そろそろ言いだす頃だろうとは、思ってましたよ」
「この通り! もうさ、ウズウズがざわざわして辛抱たまらんのっ。お願いします!」
助手席で柏手まで打って拝むと、マーレファはわざとらしいほど大きなため息をついて、微苦笑する。
「正午の鐘。王都マイラントの外街に、ミッソーリ広場。その付近にある〝ウィッチーズ〟という酒場にいます。そこで待ち合わせましょう」
「正午か……むぅ」
「ミキ」
「はいっ、わかりましたっ。了解であります!」
敬礼ポーズを取ると、サトウミキは助手席を飛び降りて、駆け戻っていった。
「やれやれ。ファッションデザイナー、ですか。法師の修行もあれくらいの情熱を持ってほしいものですねぇ」
マーレファは改めて手綱をあおり、馬車は西を目指して進みだした。
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