第47話 風の虹繭とホブゴブリン進化
「誰だ、オメェ!」
外から聞こえたバジルの絶叫で、ヴァンダーは目を覚ました。
上体を起こすと前日までの不自由な気だるさはなくなっていた。
余命二ヶ月とは思えないほど体が軽いことを素直に喜ぶべきだろうか。
部屋を出ると、外からバジルがばたばたと居間に飛びこんできた。
「ヴァンダーの旦那。タイムが大変っす!」
「バジル、今日は必ず鹿か猪を仕留めてきてくれ。食料の備蓄が底をつきそうだ」
「え。まじすか。了解っす。じゃなくてっ。タイムが大変なんすよ!」
「どう大変なんだ、メスゴブリンがメスオークにでもなったのか?」
「ビミョーに違うっす」
「なんだその表現は。まったく、カレンだな。ゴブリンに変な言葉を教えてほしくないんだが」
「ねえ、旦那ってばぁっ」
「わかったわかった。とにかくみんなを連れてこい。朝飯にしよう」
今朝はカレンが裏庭で魔力練成をしていたが、雑談ばかりで身が入っていなかったようだ。一体どんな話に盛り上がっていたんだか。
ポーチの前でカレンが栽培していたパタータを収穫して、台所で丁寧に洗い、芽と皮を丁寧に取り、厚めに輪切り。バターとにんにくでソテーにした。もちろん残ったソースも上にかける。
カレンはこのソテーを朝食として認めつつも、単調だと言う。
「カレン。それじゃあ、どうすれば単調でなくなる?」
「うーん。旨味がほしいかも?」
「うまみ? それは、どんな味だ?」
「え、どんな味? うーん。うまく言えないんだけど、美味しいって感じる味よ」
わけがわからない。
それにしても、カレンが育てたこのパタータは、狭いプランターで早く育ったのに一個が拳大もある。普段は赤子の拳ほどだ。こんな大きなパタータは初めて見た。これも魔族の知識か。
「あのゴブリン君は、朝から騒々しいですね」
マーレファが旅支度で部屋から出てきた。
「どちらへ?」
「ヴェレスです。ミキと二、三日、再調査に出かけます」
「この時期にですか?」
マーレファはいつになく圧をかける眼ざしで、弟子を見つめた。
「必ず、手がかりを掴んで戻ってきますよ」
「はあ、承知しました」
そこへホブゴブリンたちがどやどやとやってきた。
その中の一匹だけ、人族の女性の背丈ほどもあるゴブリンが混じっていた。ほぼ全裸姿で。
「ほっほぅ。これは珍しい。ウルク=ハイですね」
タイムをひと目見るなり、マーレファの目がキラリとひらめいた。
ウルク=ハイ。
古モンドール語で「オーク人間」と訳されているが、古代モンドール帝国において上級オーク(ウルク)に人の錬成した魔力を与えて品種改良をくわえたとされた。具体的には身体強化によって日光に耐性をもたせ、強襲兵として実戦投入されたという暗黒秘術の伝説が残るにとどまる。
現在、その秘術も死滅し、ウルク=ハイの名すら魔法界隈でも死語となり、オーガ種の中に人工物が混じる可能性さえ皆無とみなされた。ヴァンダーも古い書物の挿絵で一度しか見たことがない。少なくとも師匠に言われなければ、ゴブリンが人族女性に煽情的に化けたとしか見えなかった。
さしあたり、タイムがホブゴブリンの時に着ていた布切れで前を隠して、ほぼ全裸姿ではかわいそうだし、こちらも目のやり場に困る。ヴァンダーは自分の古着を持ってきて渡してやる。
「俺の部屋で着替えるといい。着かたはわかるな?」
「すまねぇですぅ」
やれやれ、女性用の衣類を揃えるのも安くないんだが。
女性のことは女性陣に任せるか。多少不安だが。
「師匠。ホブゴブリンがウルクに進化しますか?」
「そうですね。魔物進化論で言えば、可能性は無きにしもあらず、といったところでしょうか。ウルク=ハイは人工物と見なされるので、鬼族種の進化系譜として観測されていません。とはいえ、ゴブリンもオークも、元はオーガの下位系統に分類されていますから、進化の中間点と考えれば。でもこの進化ケースはオーク寄りのウルク=ハイに比して、人に寄ってますから〝
普段は朝に弱い師匠が朝っぱらから饒舌だ。
「では、誰がタイムに膨大な魔力を注いだ、か。ですね」
「ええ。念のため言っておきますが、さすがに私もそこまで暇じゃありませんよ」
「他に考えられるとすれば、居候の魔王殿ですか」
「どうかしたの?」
噂をすれば魔王サトウミキが外から戻ってきた。
「ミキ。今朝ゴブリンに会いましたか?」
「え、ゴブリン? 今だけど……あれ。キミ、昨日いたっけ? スタイルいいわねぇ。そんな男物の洗いざらしなんかで出歩いてたら、オジサンに見られるわよ。洋服作ってあげようか?」
オジサンで、悪かったな。
「ミキ。彼女はホブゴブリンだった、タイムです。膨大な魔力を吸収し、今朝ホブゴブリンからハイウルクという種に格上げ進化したようです」
すると魔王は目を見開き、ついできょろきょろと視線を泳がせると、頭をかいた。
「あー、ごめん。実はついさっき……四、五分前かな。〝虹繭〟捨てたわ」
「練成結晶を捨てた、どこに? 属星は」
不見識だ。思わずヴァンダーも眉をひそめた。
「
「ミキ、彼らは隣の家具店の屋根裏に棲んでいるのですよ」
「え、屋根裏? あーらら、そいうこと。ほんとごめん。完全に不可抗力だけど、あれを魔物が拾って食べちゃう可能性まで考えてなかったわ」
魔力のポイ捨てで上位種の魔物を生み出されても困るんだが。
「魔王様。オレもハイウルクになりたいっす!」
バジルがサトウにせがむと、われもわれもと
ゴブリンに限らず集団欲求として、そうなるか。ヴァンダーはたしなめた。
「まてまて。魔物進化するほどの魔力がどれだけ必要だと思ってるんだ。魔術師でも、おいそれとできることじゃないんだぞ。それより席につけ。今日は食料調達の仕事もやってもらうぞ」
無理やり話題の
それにしても、サトウミキはほんの十数分の魔力練成で結晶化まで昇華できてしまうのか。
ドラゴン級の魔族。魔王はどこまでも魔王か。いや、〝星霜〟のマーレファが彼女に無償の教授をするほどだ、天賦の才どころか前人未到の
ヴァンダーは台所の窓を開けた。風が初夏の匂いをつれてくる。
「カレン、先に朝メシを――なんだ、ティグラートもいたのか。仕方ないな、お前もこい」
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