第50話 メランザーナとポモドーロ、そしてスライム



「あなた、魔王?」

『お前は?』


 わたしは名乗るのに二秒ほど迷った。


「カレイジャス・ロンバルディア」


『応答が遅えつってんだろうがっ。ロンバルディア? こちらはタカハシユーガだ。聞いたことは?』


「ない」即答した。


『おいおいおい即答ってマジかよ。で、佐藤は?』


「さっき別れた、町を出るって」


 もちろん嘘だ。生地屋の店内でひと仕事終えた疲労に恍惚としてる。タイムの膝の返り血を見たらぶちギレるかもしれない。


『どっちいった?』

「それ、わたしを襲ったボスが訊ける立場?」


『あぁ? ちっ。あいつら、とことん使えねぇのか……悪い、人違いだ』

「ごめんですめば、衛兵いらないよねえ?」


『通信ごしじゃ、んなの目じゃねえよ、クソ野郎としか応じられねぇな。どっかで会って話すか?』

「別にいい。会ってもメリットなさそうだし」


『はぁっああ!?』

 板が音割れするほどの素っ頓狂な声に、耳を離す。

『俺と会うメリットがねぇだあ? ふざけんなよ、メス王子が!』


「あんたがヴィブロス帝国の皇太子でも、会うメリットないでしょっ」


『なんでよ』


 なんで? なんでだろ、えっと……んー。


 何かうまい言葉を探した挙句、わたしは直感を吟味せず口から出していた。


「佐藤さんは、わたしのものだから。触ったら殺す」


 アホだあ。何いってんだ、わたし……っ


 板を地面において、わたしは顔を膝頭に埋めた。

 言っててあまりの恥ずかしさに顔から血が出そうだ。痛すぎる。


 次の瞬間、板から壊れた電子音の塊が飛び出した。


『いいねえ、面白ぇよ、お前。受けて立ってやんよ、田舎王子。その通信カード[正義Ⅺ]は消滅させず、お前に預けといてやる。なんかあったら掛けてこい。俺の通信カードは[皇帝Ⅳ]。俺は〝ふだ〟の魔王、高橋勇雅だ。じゃあな』


 通信を切られた後も、わたしはその場を動けなかった。


「あのさ。あんなタイミングで何言わせんのよ……もうっ」


 わたしは上気したままの頬を手であおった。

 佐藤さんにされたあの質問で、わたしに眠っていた〝もう一人〟が目覚めたのだ。


   §


「別に、街の端まで見送ってくれんでも良かったのに」


 やめてよ。そんな艶っぽい声で嬉しそうに言わないで。

 また顔で血が沸いて蒸発しそうになるから。


「あいつら、佐藤さん狙ってたから。まだ、他にもいそうだし」

「人気者は辛いわあ、ほんま」


 寂しそうに吐息して、佐藤さんが手を繋いでくる。

 わたしは拒まなかったけど、この上なく緊張した。


「どしたん? めっちゃ固くなって」びっくりされて笑われた。

「なんか、こういうの慣れてないみたいなんですよね。もう一人のわたしが」


「ん、もう一人? どゆこと?」

「ううん、なんでもない。うまく言えないです」


「カレン、急に変になってなくない?」

「ちょっと、ほんのちょっとだけ、いろいろありまして」


 後ろからついてくるタイムは口止めするまでもなく、わたしの変化に気づいていなさそう。ありがたい。ずっとそのままのキミでいて。


「二、三日で帰ってこれるんですか?」わたしは訊いてみた。

「んー。たぶんね。マーレーはヴェレス城には二時間もおらんのとちがう?」


「えっ。それじゃあ、あとの四六時間は?」


「移動と睡眠と食事、それから彼の王宮雑務? だからその間だけ、あたしはマイラント観光できそうかな」


 おのれ……異世界クオリティ。


「カレンは農業と剣の稽古?」


「ええ、たぶん。ヴァンダーの体調も気になりますけど、彼もじっとしてなくて」


「うん。彼のこと急がんとね」


 わたしは頷いた。余命二ヶ月。絶対じゃないだろうけど、彼はすでに覚悟を済ませてる。

 正午を告げる鐘が鳴りはじめた。


「もう行くね」


 手の中から、猫の体のようにするりとぬくもりが離れた。

 佐藤さんは銀の物差しで〝ドルイドの鏡〟を開いて、半分だけ振り返って手を振る。


「あのっ、あの人、どうしましょう」


「あの人?」


 彼女を少しでも引き止める話題は何でもよかった。


「アポリナーレ・ランブルス」


「あっ、あー……ねっ」


 ねっ、じゃないが。完全に忘れ去ってる顔をされた。


「みんながいない間に餓死した死体の処理なんてやったことないですよ」


 物騒な単語を出して、助命する。どうか魔王の口から、何事も初めが肝心とか、ゴブリンにやらせろとか鬼畜なリアリティが飛び出しませんように。


「仕方ない。助けるか。でも、カレン。わかってるわよね」


「はい。彼にヴァンダーの余命宣告、聞かれましたから。油断はしません」


 佐藤さんは頷くと、鏡の向こうへ消えた。鏡も縫い合わされるように閉じた。

 シンデレラを見送る王子の気分が、少しだけわかった。


「真夜中の十二時なら、鐘は鳴らなかったのに」


 町に時を告げる教会の鐘は、午前六時から午後一〇時までの間だけだ。

 あのおとぎ話の舞踏会は日中の、午前に開催されたことになる。


 たしかに晩餐会なら夕食だから夜だ。つまり魔法使いのおばあさんがシンデレラに許した時間は舞踏会の午前の部まで、という制約付きの夢だった。王子をひっかけてこい、ではなかったのだ。


 誰も得しない、どうでもいいヒラメキだった。


「見えなくなって、もう会いたいと思えるから、これは恋なんだよ」


 わたしは誰に言い含めるでなく、ざわめく熱い感情をなだめた。


    §


「まず、小便っ、小便させてくれ!」


 アポリナーレ・ランブルスが自尊心の強い男だと知れたのは、拘束されている二日間も室内に糞尿を垂れ流さなかったからだ。


 人は拘束中に排泄を垂れ流すと、自尊心が崩れて抵抗しなくなるらしい。


 尋問はその崩れきった様を見て嘲弄し、自尊心の回復を助けると自白しやすいという。映画知識だけど。


 ヴァンダー邸、裏の納屋。


 薪は外に積み干しされていることもあって、屋内は季節の家具を除けば、砂ホコリだけが積もっている空間だ。


 ボーラをほどいてやると、ランブルスは外へ飛び出した。

 トウモロコシ畑にむかって盛大な放水音が地面を叩いた。


「サイっテー!」


「溜まりきってたんだから、しょうがねえだろうが。なあ、洗濯桶のこれ、なんだ?」


「あーっ、そこにひっかけたら、問答無用でちょん切りますからねっ」


「怖ぇ女。こっちはリーゾで、あっちはメランザーナとポモドーロか。奇花好きか?」


 なん、だと……こやつ、できる!


「ヴァンダーに花を育てる趣味はねえだろうから、お前が育ててんの?」


 花。そうなのだ。どちらも生花市でホオズキみたいに鉢売りされていたのを偶然発見した。青果市の方に実は一つも売られていなかった。この世界にはまだ食べる習慣がないのだ。


「そうですよ。ちなみに花を愛でるだけじゃなく、実も食べます」


「おいおい、知らねぇのかあ? メランザーナはカスカスだし、ポモドーロは酸っぱすぎるだろ?」


 この修道士、自由な身になった途端に勝ち誇った態度で言いたい放題だ。

 人を見下す毒癖は、友達できない以前に人が寄ってこないタイプだ。


 ちなみにことわっておくと、メランザーナは、ナス。ポモドーロは、トマトのことだ。


 前世界。ナスはインド原産で、五世紀に中国をへて七、八世紀には平安京にも伝わっていた野菜の古株で、トマトは十六世紀頃に新大陸で発見されてヨーロッパに渡った健康野菜の女王だ。


 ヨーロッパでは当初どちらも観賞用にすぎず、貴族の所有。その貴族世界ですぐに食用と考える人はいなかったそうだ。


 ナスには味が薄く、アクが強く、触感はスポンジで、濃い紫。トマトの原種は酸味が強すぎて食べられたものではなかったため、〝毒リンゴ〟とあだ名が付くほどだ。


 異世界野菜、食えぬなら、食べさせてみようホトトギス。


「なら今度、食べてみます?」


 会話が切れた。わたしは踵で地面を蹴った。

 納屋の外、けっこう遠くのほうで短い悲鳴がした。


 わたしはゆうゆうと納屋を出た。

 口の悪い修道士が〝いばら〟で簀巻きになって引きずり戻されてくる。


 思いのほか遠くまで走ったものだ。


「お、おいっ。なんなんだよ、このやたら頑丈な〝マルチフローラ〟は!」


「アポリナーレ・ランブルス。あなたのいい利用方法を思いつきました。毒見役です」


「は? どくっ、毒見役ぅっ!?」


 目を見開いて、唾を飛ばしてきた。


「あなたはここで重要な秘密を知ってしまった。みんなはすぐに口封じするべきだと言っていますが、わたしはそんな呆気ない最後は、命を粗末にしていると思っていたところです。毒見役、うってつけじゃないですかあ」


 自分で言ってて、これ以上の適役はいない気がしてきた。


「誰にも言うかよ。言う相手もいねーし」まず減点1。


「ルッチョ・サルターティ書記官長」


「あっ、なんでお前がその名前知ってんだよ。お前とは初対面のっ、はず、だよな?」


「あなたへの信頼が一つ減りました。残念ですよ、ランブルス」


「待て、わかったっ。もう嘘はつかねぇ、逃げも隠れもしねぇ、本当だ。だからこれをほどいデデデデ!」


 荊を締めつけた。ここは服従教育が必要な場面シーンだ。

 どっちが強者なのかをわからせておくことが重要なのだ。たぶん。

 内緒だが、密かになんだか楽しくなってきていた。


「一つ質問を思いつきました。魔王サトウミキにあそこまで恨まれた理由はあるんですか?」


「それは……ノーデデデデッ!」


「この状況での黙秘は自己に不利なナントカですよ」


「尋問宣告がうろ覚えとか、ニワカか。ちゃんと最後までイデデデ! マジ骨まで食い込んでるってぇ!」


「佐藤さんに、何したんですか?」


「それは、だからその、あれだけ異国の魅惑マシマシの美人じゃん? そしたら、うちのパトロンが言うわけよ。お金もっと欲しいんだろうって」


「その先は察しました。サイテーなので処刑!」


「ギャアブデデデ、冤罪だ。不当だ!」


 その時だった。

 修道着の袖からマリンブルーの物体がふるるんと、こぼれ出てきた。


「アントネッラ! よせ、殺されるぞ!」


 突然、ランブルスが人が変わったみたいに真摯な声でその物体に叫んだ。

 そのマリンブルーの半ゲル化物体が、極限に窮まった速度でトマトの苗木にとびかかった。


 わたしは嫌な予感がして、とっさに素手でマリンブルーの水風船を掴んでいた。

 大きさは子猫程度。ひんやりして、でもかすかに体温も感じられて、やだこれ、気持ちいい。


「これが、本物のスライム……?」


「おい、ヴァンダーの弟子っ、アントネッラに罪はねえ。だから殺さないでくれ」


 やけにシリアスに頼みこんでくるので、わたしは顔をふった。


「ポモドーロの葉や茎にはトマチンという毒があります」


「毒? おまっ、さっきポモドーロの実を食うっていったろっ!?」


 よくぞ聞いてくれた。わたしは順番に説明した。


 トマチンは、同じナス科のジャガイモに含まれているソラニンと同じグリコアルカロイドで、未熟果実に多く含まれている。ただし、完熟するとそのトマチンがかなり薄まる。


 その薄まった毒素が人体への致死性を持つ量は一度に数トン食べないと中毒症状がでない。ラット投与実験の半数致死量は一キログラム中に三二ミリグラム。完熟ならまず生食で問題ないレベルだ。


 魔物がトマチンに抵抗力を備えていたとしても、未熟果実と同じ茎や葉を食べさせるのは可哀想だ。


「この子、お腹が空いてるんですよね? 何食べるんですか」


「それはっ、……カヴォロ」


 スライムの主食がキャベツ。いや葉の柔らかい植物かも。リスやウサギと同じだ。


「うちの野菜箱にまだ残りがあったはずだから、それ持ってきますね」


「まず、アントネッラを返せ」


「手放すとまた苗木に飛びかかるかもしれないので、預かります」


「じゃあ、オレも」


「ランブルス。あなたは脱走と虚言で、わたしの信頼を損ないました。ご自身の不徳を懺悔しててくださいね」


 にっこり微笑んで、わたしはスライムを持ち去った。

 友達の少ない修道士はこの世の終わりみたいな叫び声をあげていた。大げさすぎる。


「だんだん佐藤さんが、あの人をイジメたくなる気持ち、わかってきたかも」 


 いちいちリアクションが派手で、お笑い芸人みたいだ。



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