第38話 呪いの帰還



 その日が土曜日だと気づいたのは、修道士ジャコモ・プッチーニが酒臭かったからだ。


「バカ野郎がっ、身投げなんて、しょうもないこと、するな!」


 あと、川くさかった。

 身投げ。おれが川に、なんで……思い出せない。でも心臓が破れそうなほど脈動している。


「なんで、おれなんか……助けて、くれたんだよ」


「お前がここ最近、ヴァンダーの旦那と楽しそうに話をしてるのを見かけてたせいかもな。それが急に身投げなんて、意味がわからねえだろ」


「おれ、呪われてるんだ」


「らしいな。院長から話を伺ってる。チェーザリから金を積まれなきゃ入院を断ってたそうだ」


「聖職者でも、おれの呪い、解けないのか」


生憎あいにく、うちは悪魔祓いが専門でね。しかもアシュタロトみたいな大公爵じゃなく、木端の小悪魔で精一杯なんだよ」


「おれの呪い、そんな大悪魔と同レベルなのか」


 沈黙。川のせせらぎが大きくなった。


「院長のおっしゃるには、呪いはお前じゃなく家にかかってる。解呪はまず不可能らしい」


「家?」


 ティグラートは上体を起こして下着一枚の修道士を見た。全身に走る無数の傷は月明かりを浴びて陰を作っていた。


「餓狼にまつわる炎の呪紋は『汝、幸福なることを許さじ』ってのが相場でな。少なくとも、身投げした程度じゃ消せなかったみたいだな」


 さらっと重大な秘密を打ち明けられたのではないか。ようやくティグラートも正気づいて、気づけば自分も半裸だった。


「ここ、どの辺?」


「東ポー橋だ。運よく橋脚にひっかかった。神に感謝しとけよ。……お前もしかして飛びこんだことすら、覚えてないのか」


「実は。夕食の時から調子悪くなって、早めに寝たところまでは覚えてる」


「ふん、院に戻ったとき誰か二、三人喰われてなきゃいいがな」


 憎まれ口をたたき、プッチーニ修道士は濡れそぼった体でのっそりと立ち上がった。


「その、修道士フラテ。ありがとう」


「ああ。院長にオレが飲み直しに出かけたこと、黙ってろよ」


 やっぱり独りじゃなかった。

 ティグラートは前の世界でそうしたように、遠ざかる背中へ頭を下げた。


   §


「気づいたか、ボス」


 スカルペッロの細面と広い額が視界に入った。

 ごずっ。反対側からセーガが、彼に頭突きして現れた。


「ティグレ、生きてるぞ! 気をしっかり持て!」


「セーガ。おれに、何があった」


「ん? 知らね。マルテッロが呼びにきて、いってみたら血の海だった」


「セーガっ! 貴様は石頭だけでなく、デリカシーまで石製か!」


 スカルペッロがいつものように喚き散らすが、平常運転だ。


「スカラベ。父さんと、母さんは?」


 スカルペッロは哀悼を表する面持ちのまま、左右にふった。


「我々が到着した時にはもう……殺されていた。あとギオーネもな」


「現場は、おれが三人を殺ったように見えたか?」


 スカルペッロは頭領を抱き起こして、ベッドに座らせてやる。


「ボスに親父さんたちを殺す動機がないのは、ここにいるみんな知ってる。疑ってない。ましてや呪いを克服して両親とあんなに喜んでいたのが演技ヴィランだったとも思えない。そもそも――」


 丸メガネの若頭がティグラートの胸を指さす。


「もう呪いのヤツは、とっくに逃げ出してる・・・・・・・・・・がな」


 コルダが手鏡を持ってくる。胸に集まっていた狼の文様が完全に消え失せていた。


「なんでだよっ!? どうなって……レオナルドっ!? 弟は?」


「我々が駆けつけ、お前をここに運ぶまでの間、姿は見てない。ヴァンダー街から家に送って、井戸で顔を洗わせた時ずっと泣いていた。強くなりたい。ヴァレリオにならなきゃ自分は愛されない。と泣き言は聞いた。詳細は不明。それきりだ」


「なあ、スカラベ。おれの呪いはどうなった。いつもの知ったかぶり、いつもの自己満足を聞かせてくれ」


 スカルペッロは丸メガネをくいっと指で押し上げ、広い額をテカらせた。


「ボスの呪いは、もしかするとチェーザリ家の跡取りに代々取り憑く呪術式なのかもしれない。ボスがこれまで、それを保有し続けていたのは、レオナルドが十五歳の成人を迎える前に家を出て、それきり家に戻らなかったからだと、現段階で推測する」


 成人が条件。ティグラートは目を見開いて、すぐに我に返った。


「おれが呪いを受けたのは、三歳のときだぞ」


「それは当時、チェーザリ家の跡取りがまだ、長男ヴァレリオしかいなかったからだ」


 反論を跳ね返された。ぐぅの音も出ない。スカルペッロは推測を続ける。


「では、あの呪いが以前にも、今回のような惨劇を起こしていなかったのか。その可能性があるとすれば、去年起きたボスの西ポー橋からの身投げだ」


「おい。スカラベ。あの時だって、ティグレは誰も殺してねーだろうが」


 セーガが不平じみた目をして、口を挿む。


「誰も殺さなかったのは、ボスに特別な抑制が働いていたからだ」


「よくせぇ?」


「三年前。ボスが孤児院に入ってきたばかりの時、狼の刺青を貴様がかっこいいと褒めたことがあった。その際にわれらがボスはこう言った。〝女神からもらった身体を強化する証〟だと」


「それがつまり、呪いを抑制するための文様だった、ってこと?」


 コルダが訊ねた。


 スカルペッロは両手を広げて、肩をすくめる。


「ニュアンスはそうだ。実際ボスもそう信じていた。だが事ここに至り、実際はそれだけ・・ではなかった。と俺は推測する」


「だけ、ではない? どう違うわけ?」


「ボスの体表に顕れていた文様は間違いなく、女神からの恩寵とかいう身体強化だったのだろうが、ずっと顕現状態になっていた。すなわち呪いそのものを抑制し続けていたから、文様は消えなかった。その証拠に、呪いが移動したことで、文様は消えた」


「そういうことか」

「ちなみに、その女神の恩寵は、段階があるのだったな?」


「ああ、うん。昨日で最終の四段階目にはいった」


 スカルペッロはその場を歩き回りながら人さし指をふる。


「つまり呪いは、昨晩、最も強力な段階の身体強化によって体内で強く抑えこまれることとなった。文様が胸に集約されたことで、ボスは呪いが寛解かんかい(症状や異常が消失した状態、または一時的に軽くなった状態)したと誤解し、家族へ見せに戻った」


 ティグラートは頭を抱えこんだ。


「おれもついに嬉しくなって……そうか、おれが家に戻らなければ」


「ボス。あんたにとって寛解で間違いなかったんだ。だがチェーザリ家にとってみれば、紛れもない〝呪いの帰還〟に他ならなった。ツキがなかったのは、当主ガットネロ・チェーザリがこの十七年の間も我が子についた呪いに関して不勉強であり続けたことだ」


 絶望に目をさげたティグラートに、スカルペッロはまっすぐ見つめた。


「かくして三年後、チェーザリ家には十五歳の成人に達した跡取りが存在し、呪いは、チェーザリ家の跡取りでなくなった・・・・・・・・・ヴァレリオ・チェーザリより好条件で適合する、その弟に感染うつり、あまつさえこれまで抑圧され続けた反動から、チェーザリ家の全滅を図った。以上、終幕だ」


「レオナルド……すまない、レオナルドっ」


「スカラベよぉ。おめぇ、役者にでもなれよぉ」


 セーガはいそいそと頭領のベッドに潜り込もうとして、コルダに頭をはたかれた。


 ティグラートは腹心を見た。


「スカラベ。おれはレオナルドを、弟を呪いから救うことは可能か」


 スカルペッロは麻袋を一つ抱えると、マルテッロが開けたドアに向かう。


「悪いな。俺たちの未来予想図には、最初からチェーザリは入っていない」


   §


 人狼。

 狼人族ウルブズと区別するために考案された、狂犬病型変異人間の総称である。


 魔法界においては、呪術を介した身体強化法として実験が繰り返され、その失敗作が街へ漏れでて、事件化することは世界各地でたびたび起きていた。


 いわゆる「狼男」はおとぎ話だが、人狼には女性もいる。


 犬のように吠え、馬よりも早く走り、音もなく屋根から屋根へと飛び渡り、拳で壁を破壊するという。一方で、知能は獣。思考力は幼児に劣り、飢渇を満たすために人を襲った。


 それでも魔術師は、人狼の練成を止めない。


 理由は明確で、強靭な身体能力を持った人間は高く売れたからだ。


 狂戦士。古代に用いられて呪術で強化された兵士は、みな狼の皮頭をかぶった。狂犬病じみた狂態を一般の兵士に見せては士気に関わるというわけだ。


 師マーレファも一度だけ、その練成に携わったことがあるらしい。


『でもすぐに脱会しましたよ。造ることはできても、戻すことができないのではお粗末でしたからね』


『兵士練成ならそれも、アリではないですか』


『まあ、いったんアリとしましょうか。では戦争が終わった後、呪術強化したまま生き残ったその兵士はどうなります?』


『それは……処分ですかね』


『そうです。金と時間を使って造っても、普通の人間に戻せない。だから戦争が終われば用済みです。戦場を果敢に走り回ったいぬも、いざ煮殺されるとなったら大暴れでしょう。なので獣化人間というコンテンツはもはや終わった呪術だとるに至ったのですよ』


『それじゃあ、今の流行りとか、あるんですか?』


『そうですね、招来魔法になりますか。魔法術式内での獣化です。魔法術式は獣化することで、組成が安定するのです。おまけに召喚魔法のような煩雑な手続きも高次座標式もいりません。造形美ディティールの追求も可能で、ディティールを高めると威力にも反映されるので破壊力は天井知らず。各国へ仕官するときのアピールにもなるので、ここ一五〇年くらいアツいです』


 魔法使いの流行は長いらしい。



「お嬢!」

 追跡行に、革兜衆が追いついてきた。

「前を走ってるヤツっすか」


「そうっ。だけと不用意に近づかないで。すばしっこくて力が強いから」


「了解っす。総員、鳥撃ち用意!」


 バジルの合図で、五人が腰のボーラを掴む。


「タラゴン、俺にもくれるか」


 ヴァンダーもボーラを一本渡されると、縄の中央をつまんで旋回させる。


「放て!」


 五つのボーラが一斉に人狼へ飛んでいく。レオナルドは更に速度を上げつつ振り返らずにボーラを右へ左へ避けながら走り続ける。


「んなんじゃありゃあっ。足狙ったのに、あんな動きありえねぇっすよぉ!」


「だが、おかげで見切った!」


 ヴァンダーはその場に踏みとどまって、ボーラをサイドスローで投げる。

 ボーラが放物線を描いてゆっくり飛び、やがて人狼の足に絡みついた。


「なんだ、あれ。旦那、説明してくれ」


 オレガノが所構わず教授を要求する。


「音だ。やつはボーラの旋回する音を聞いて避けていた。だからゆっくり投げて回さないように投げた」


「なるほど、だからあんなに高い位置からでも最終的に足に絡みついたんだ。今日の学びだね」


 ディルも熱心にうなずいている。


「カレン。何してんの。犯人確保。拘束っ」サトウが叫ぶ。


「あ、はい!」


 カレンがさっき取り逃がした悔しさもあるのだろう、〝荊の荒城〟ハイデンレースラインで人狼を地面から十重とえ二十重はたえにぐるぐる巻きにした。


「もぉ~。カレンっ。地面に縛り付けたら、犯人拘束したまま動かせへんくなってるぅ!」


 サトウがカレンを叱る。


 魔王と王子。なんだかいい凸凹コンビになりそうな予感がして、ヴァンダーは鼻息した。



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