第44話 おのれを知り、敵を知れば



 洗濯桶に、うさぎの毛皮と木灰を入れて丁寧に洗っている。


 大抵、狩猟したばかりの毛皮にはノミやシラミが付着するので丁寧に洗浄していく。干すと縮むので、それも考慮しなければならない。


 木灰は炭酸カリウムという強アルカリ性で、衣類の汚れを落とすのに向いている。だが入れすぎると手が荒れるし、毛皮も痛めるので注意が必要だ。洗濯桶の水に大さじ一杯くらいでよくてすすぎはしっかりだ。


 タイムとディルの二人も、佐藤さんの手許から見よう見まねで洗っていく。


「ねえ、農家っち。明日の天気、どんなもん?」


 わたしは流し台の窓から外に頭を出して、空の端に目を凝らした。


「晴れ、雲多し、雨の心配は夕方かもですね」


「りょーかーい。これ干し終わったくらいに晩メシだね」


 佐藤さんもごきげんだ。……それに農家っちって。

 タラゴンとオレガノは薪割り。バジルはヴァンダーの指名で、チェスを教わっている。


 わたしの異世界生活がゆったりと流れている、気がした。


「おーい。ヴァンダー、生きてるかあ」


 気がしただけだった。バルデシオ執政官がドアベルが乱暴に鳴らした。


 今朝、森に出かけたときにはなかった。

 誰がこの家にドアベルをつけたのだろう。


「おお、やっとベッドから起きられたのか。どうだ調子は」


「一応な。だが今は、剣も酒も気分じゃないぞ」


「そうか。で、なんでゴブリンにチェスの相手させてんだ?」


「ゴブリンはあと四人いる。明日の朝からお前の稽古相手だ」


「五人。おい、冗談だろ?」


「この弱った俺の体が冗談に見えるか。御前試合、勝ちたいんだろう?」


 バルデシオはムッとしかめ面になり、すぐに憮然にかわるとバジルの横に座った。


「ストロッツァ司祭が手駒にしていたのを、うちの師匠が再雇用したんだ」


「なるほど。あの坊主は結局、逃亡したことになってるみたいだぞ。魔術師は変わり者が多いって聞くが、なんだかなあ。雇ったのは、晩餐会の後なんだろうな」


「ああ。途中で雇ってれば、俺たちに大団円はなかったさ」


 バルデシオはそこで大きく鼻息すると、見舞いに持参した果物かごからリンゴをとり、かじる。バジルがリンゴに目を奪われているので、ヴァンダーがテーブルをノックして引き戻す。


「それで?」ヴァンダーが促す。


「グファーレ団が問題を起こしかけてる」


 執政官の端的な報告に、ヴァンダーの[ナイト]の駒が虚空で止まる。


刃傷沙汰にんじょうざたか?」


「いや、まだ荒事になっちゃあいねぇ。だが時間の問題かもな」


「相手は」

「デルテスタ家だ」


[ナイト]がチェス盤に着地すると、バジルの[ビショップ]がそれをテイクした。


 ヴァンダーは頷き、


「ティグラートに、俺の剣を貸した」


「そうらしいな。チェーザリ家の土地所有者履歴を調べるよう指示したそうだな。あの土地の前所有者デルテスタ家は三十年も前の騒動を蒸し返されて、カンカンだ。審問官の耳に届けば、レオナルドへの心証が悪くなるかもな」


「三十年前の騒動? ……お前の私見は」


「ジェルマーのとっつぁんから聞いた限り、デルテスタは限りなく黒に近いグレーだ」


「デルテスタがチェーザリと最初に揉めた、いつからだ」


「直近がその三十年前のようだ。今回死んだガットネロの先代に当たる五代目当主フランチェスコが二五歳のときだ」


「揉めたのは土地か?」

「それもある」

「それも?」


「今の土地は、デルテスタ家からチェーザリ家へしたの娘の持参金がわりだったらしい。登記簿にその記載があった」


「持参金……花嫁が死んだのは」


「婚礼からたったの三ヶ月後だ。事故で処理されてた」


「死亡の原因は」


「魔女から処方された強心剤の量を越えて服用したらしい。現場に魔女の処方箋の木札も残ってたらしく、誰が見てもボトルの用量が違っていたそうだ」


「三十年前の登記記録にそんなことまで残っていたのか」


「まさかな。衛兵局の事件記録保管庫からジェルマーが当時の調書を見つけてたんだよ。チェーザリの敷地を久しぶりに歩き回って、当時のことを思い出したらしくてな。当時は大疑惑事件に発展したそうだ。チェーザリ家が土地目当てに最初から花嫁を殺す計画だったんじゃねえかってな」


「当時の結論は」


「チェーザリ家の白だ。審問官もデルテスタ家の訴えを退けてる。たぶん仏頂面でな」


 ヴァンダーは頬杖をついてチェス盤を眺める。


「白を黒にする審問官ですら、チェーザリ家を黒とは言えなかったのか」


「花嫁側のデルテスタ家の証言には、いくつか不審なところがあったらしいぜ」


「というと」


 バルデシオはリンゴをかじると、遠い目をしながら咀嚼し、飲み下してから言葉を継ぐ。


「まず第一に、デルテスタの花嫁――マヌエラってんだが、使っていた強心剤の存在をチェーザリ家は誰も知らなかった。第二に、デルテスタ家はマヌエラが実兄との間に肉体関係があったという噂を払拭できなかった。第三に、持参金として渡した土地が金貸しの抵当に入っていたことをデルテスタ家はチェーザリ家に隠してた。登記簿謄本に細工までしてな」


「俗な言い方をすれば、チェーザリ家は掴まされたわけか」


「もちろん、両家もそんな醜聞を公表できるはずもねぇ。衛兵局も公文書偽造ならともかく、そんな名家同士のゴタゴタなんざ知ったこっちゃねえ。だがな、だからこそ残っちまう人の怨みってのは、あるもんだろ」


「そうだな。心臓の弱さを隠して嫁入りしたマヌエラが、土地と金のことでデルテスタ家の借財とチェーザレ家の怒りの板挟みにあっていたか」


 兄弟姉妹で肉体関係をもつのは、富裕層からたまに聞こえてくる。なにせ歴代の教皇の中にさえ妹との間に子供を二人ももうけている人物がいるくらいだ。


 社交にうとく心を許せる異性が家族にしかない場合、たわむれに疑似恋愛をし、溺れる。という流れはいささか歪んだ愛情の萌芽、常軌を逸するが、閉鎖的な世界に住む内向的な男女には得てして起こり得ることだ。妄想の中にとどめておいてほしいものだが。


「ということは、今もデルテスタ家の当主が、その兄か」


「ああ。ダニエロ・サトゥルス・デルテスタ。今、五三歳で、孫も一人いるらしい」


「ほう。三十年前なら二三歳。呪殺の当事者になりえるか」


「マヌエラが死んだ時期の前後、あの土地にチェーザリ家の館はすでに建設中だったようだ」


「憎悪の発生時期としても符合するか」


 行き場を失った妹への愛をチェーザリ家を呪殺する燃料にしたのなら、どこまでも内向的な解決法ではあるが。


「と、ここまでは、ヴァンダーの支援でグファーレ団でも嗅ぎつけられたようだ」


「どれも三十年前の状況証拠ばかり。決定的な物証は掴みきれず、か」


 ヴァンダーは[ポーン]を一歩前に進ませる。その先には[ルーク]が立ちはだかる。


 三十年前に仕組まれた呪殺がレオナルドを狂気に走らせたと心神こう弱を訴えても裁決は覆らないだろう。むしろそれでは審問官にとっての法廷舞台が冷める。


「チェーザリ家の呪殺解除がなった今、ティグラートにデルテスタの当主を斬る理由がない。逆に死なれては、レオナルドの減刑が見込めなくなる。だが肝心のデルテスタは呪殺を認めないだろうな」


 ヴァンダーは自分の[クイーン]を指で押さえて、対戦者のゴブリンを見る。


王手チェック

「あっ」

「さあ、バジル。なぜ負けた?」


 ホブゴブリンは両手を膝に乗せて駒を見つめると、


「旦那が駒を犠牲にしてオレの駒を誘導し、攻めを崩されたっす。クイーンの動ける長さをまだ理解しきれてなかったっす。戦場を見渡す視野が狭かったかもっすね」


「よし、それでいい。バジル。おのれを知り、敵をもっと知ることを忘れるな」


「でもオレ、こういう難しいこと考えるのヘタだし。オレガノやディルのほうが得意っすから」


「あの二人にもいつか教える。お前は仲間の考えに同調できる才能がある」


「オレ、ただの怠け者っすよ」


「お前がチェスから学ばなければならないのは、どうすればカレンを守りつつ、仲間も守れるかだ」


「お嬢を守りつつ、仲間も」


「そうだ。難しいことを考えるのが苦手なら、得意な仲間に考えさせればいい。オレガノとディルの考えのどちらに同調すれば、カレンを助け、仲間を助けられるか。そこを考えるのがお前の仕事になる」


「……」


「囮という戦略効果は、敵の注意を引き付けるのが役割だ。このゲームにおいて囮とは相手に駒を取らせることにある。現実では敵に予定外の動きや損害を引き出せたら逃げたっていい。仲間の命は大事だからな。最大の理想は、こちらは損害なしで、敵の全滅だ」


「そのために、敵の意表をつくんすね」


「そうだ。敵に嫌がられる細工ほど、味方にとって頼もしいことはないぞ」


「何なんだ、このゴブリンは」バルデシオが顔をしかめる。


「明日、俺の意を汲んでお前の敵となる、俺の弟子だよ」


 ご飯できたよー。カレンが声をかけた時だった。玄関のドアベルが乱暴に鳴った。


「ヴァンダー先生!」


 肩で息を切らせてグファーレ団のマルテッロが飛びこんできた。

 ヴァンダーはチェス盤に残る白黒の駒を見つめた。


「マルテッロ、日記と書簡を探せ。鍵がかけられている場所はコルダに解錠させろ。バルデシオ市長の捜査権限を借りて家宅捜索だ。発見物は、スカルペッロに暗記させて複製をとり、到着した衛兵には現物をすべて提出しろ。現場を小細工しなかったことを衛兵と共有するんだ。行け」


「わかった!」


 マルテッロがトンボ返りして家を飛び出していった。

 椅子から立ち上がっていた執政官は、毛布にくるまった悪友を見据える。


「ヴァンダー。何が起きた、いや、何がおきることを待ってたんだ」


「デルテスタ家当主の、自死だ」


「なにぃ!? お前っ、こうなることを読んでたのか」

 

「可能性の問題だ。グファーレ団――ティグラートとスカルペッロなら、三十年前の状況証拠からチェーザレ家に恨みを持つ真犯人を絞りこめるだけの頭脳を持ってる。そして真犯人がまだ存命なことにも気づいただろう。ティグラートにとって親の仇だ。監視を緩める真似はしない」


 最愛の両親を殺され、血を分けた弟を呪いの傀儡にんぎょうに使われた憎悪と怒りは、眼光だけでもって相手の心臓を握り潰さん勢いだろう。


 魔力練成もこなしてきた監視線を四六時中浴び続ければ、犯人も正気ではいられなくなる。たまらず衛兵を呼ぶかもしれない。いや、バルデシオにまでデルテスタ家の抗議が耳に入り、ここまで苦情が回ってきたから事実そうなったのだ。


 だが衛兵も仕事だ、地元の名士に疑問を尋ねることくらいはするだろう。


『デルテスタさん、なんでグファーレ団なんかに恨まれてるんです? 先日、チェーザリ家夫婦が惨殺されたの知ってますよね。そこでグファーレ団のメンバーも一人殺されてるんですよ』


 衛兵はティグラートがチェーザリ家の嫡子であった事実を知らなくても、グファーレ密造団のことならよく知っている。衛兵もティグラートも敵のことなら互いによく理解しているからだ。


「ヴァンダー。あいつらは、町の名士を自死に追い詰めたんだぞ!」


「バルデシオ、大丈夫だ。デルテスタは死んじゃいない。むしろレオナルドの罪を軽くするために死なれては困る。そしてここからお前の出番だ、バルデシオ。頼むよ。ティグラートに貸しを作ってやってくれとは言わない。今夜だけ、連中の肩を持ってやってくれないか」


 執行官は苛立たしげにくせ毛の強い頭をかきむしると、大股で玄関のドアに向かった。


「ふんっ。おれまでお前の手駒になれってか。わかったよ。これで一つ、借りは返したからな」


 ドアベルを鳴らし出ていった。


 これまでの貸しを完済し終わるのに、あと何十年かかることやら。

 ヴァンダーは今だけ、悪友に感謝することにした。



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