第51話 〝屠竜〟ヴァンダーの呪い
スライムの前にキャベツの葉っぱを一枚一枚ちぎって、おいてやる。
すると、軟体を腕のように三角形に伸ばして、ちょんちょんと確かめてそっとつかみ、体内に少しずつ取り込んでいく。
一見するとナメクジのような軟体動物だけど、透けた青い体にキャベツの葉は透けて見えない。心臓や胃などの内臓器官も見えない。不思議なマリンブルーの魔物だ。
十数秒ほどして、カラカラに干からびたキャベツのかけらを排出した。キャベツから魔素と水分を吸収しているようだ。でも酸で溶かしているわけでもなさそう。
「違う。これ胃酸消化じゃない。この
スライムは食べた物を体内で微生物分解してるのか。数秒でキャベツが腐葉土になった。さらに七、八枚与えてみると基礎体力が戻ったのか食欲のスピードも上がった。排出されるのは良質の肥やしだ。
「アントネッラ、ねえ」
わたしは台所で手を洗いながら、スライムの名前を呼ぶ。
呼ばれたのがわかるのか、キャベツを飲みこむのをふいに止め、それからまた食べ始める。
「そっか、名前。あなたはあのオジサンに従属してるんだね」
スライムから、ふと外の護衛を見やる。
タイムはバンガローのポーチ前から動かない。
警備をしている様子もなく、そわそわと動き回る。単にバジルたち革兜衆の仲間に新調した服を見せびらかしたいのだろう。背中を見てもウキウキした雰囲気がわかる。
呆れ半分で微笑みかけた、その時だった。
「――っ!?」
得体のしれないプレッシャーがズシンと襲いかかってきた。
予告なく視認もできない敵意を叩きつけられ、わたしはカッと目を見開き、総毛立った。
椅子を蹴って台所まで跳び
つかの間、ドアベルが一つだけ鳴った。
ドアは開いてない。
殺気だけがドア付近から湧いてくる。いまだ敵の姿が見えない。
――でも、いる。
いつ侵入されたのかの判断すら、もう遅い。
――来るっ
「ちぃっ!」
くいしばる歯の間から鋭い呼気を吐き、その襲い来る何かを下段から斬り上げた。
目の前に影が現われた。性別もない人の影が二つに切り割かれ、わたしの左頬に痛みが掠める。
邪悪な風が駆け抜けて、消えた。
「今の……ヴァン、ダー?」
なぜかそう思った。普段から存在を感じている、馴れ親しんだ人の気配だった。
気づけば元の居間に戻っていた。
初めての戦闘体験に提げた剣の切っ先がいつまでも震えていた。
わたし一人で、あれを凌げた、のか。
窓の向こうで相変わらずタイムが背中を向けてソワソワしている。
テーブルの上でスライムがキャベツの葉をはんでいる。
左頬の傷だけが、ズキズキと脈打っていた。
「い、生き残、れた……っ。くそ……なんだったのよ、今のっ」
剣を捨て、床に尻餅をついて自分を抱きしめる。
わたしは一体何から自衛するために、何を斬らされた?
§
「気のせいにしとけよ」
ランブルスが、居間の長テーブルに座って愛スラの横でフォカッチャを口に詰め込んだまま、薄っぺらなことをいった。
食べ方がきたない。それ以前に、なんでこんなオジサンにご飯まで作ってあげて、ついさっき起きた怪談を聞いてもらっているんだろう。
なんか屈辱だ。でも不安解消欲求が勝った。
「オレは才能のない魔術師なんでな、お前の不安ってのがなんなのかよくわからん、けどな」
「けど?」
「んー。ヴァンダーの家で、ヴァンダーに襲われた気がしたんなら、そいつはまず、ヴァンダーじゃねえだろ」
「ですよねっ。やっぱりそうですよねっ」
わたしは食い気味に同意を求めにいっていた。
「だいたい、もしヴァンダーの幽霊なら、オレがここに入った時点で斬られてるって」
「おおっ、その手があったか」
「その手があってたまるかっ」
咀嚼しながらコップをあおると、ランブルスは中の白い飲み物を覗きこんだ。
「ん。ミルクじゃねえな。これ、なんだ?」
「ラバンっていうの。酒場の女主人から教わったんです」
ヨーグルト飲料だ。ロッセーラからヨーグルト酵母を少しわけてもらった。
彼女の実家で
味はラッシーより濃いめだが、飲みやすい。そのままだとヨーグルト特有の酸味があり甘くないため、ハチミツを入れて飲んでいる。ヴァンダー家でも満場一致で好評だ。
わたしはそれを料理にも使い、水で希釈して稲や野菜の土壌改良にも使っている。
沈黙。
ランブルスは黙々と食事をするが、目線は下を向いたままだ。
「ねえ。これって〝竜憑き〟とかってやつなの?」
おずおずと尋ねると、ランブルスは煩わしそうに顔を左右にふった。
「知らねぇよ。だいたい、竜討伐そのものが滅多にあることじゃねえんだ。実際の〝竜憑き〟がどんな風なのかすら誰にもわからねぇよ」
饒舌だ。わたしの疑問は、彼が考えていた〝心当たり〟に当たらずといえども遠からずだったらしい。
「でも、ヴァンダー見て、〝竜憑き〟っていいましたよね」
「……」
「話せないこと?」
「呪いだからな」
「どんな?」
「わからん。誰もな。たぶん師匠の〝星霜〟ですら観測できてねぇだろう。殺した竜の呪いってやつをよ。だから独立させた弟子を今もずっと視界の範囲に置き続けてんじゃねえの?」
この家に最初に来て、師弟の掛け合いには意味があったんだ。
『私の部屋はどれでしょうか』
『あんたも、ここに住む気かよ!』
『当然でしょう。ラミアたちに部屋を貸したのなら、私にもそうするべきです』
『借家はライザー家でいっぱいですから……』
『ええ、ですから。ここがいいです』
『だめです』
『なぜです?』
『いつでも処分できるよう必要最低限だからです。それに師匠から自立を許されたのに、いまだ自立しない師匠の世話生活に戻るのは
いつでも処分できるよう。あれは戦場を仕事場にする軍人の姿勢として言ったんじゃない。
ヴァンダーはすでに自分の〝竜憑き〟を受け入れて、死を覚悟し、将来を諦めている。
でもマーレファは二十年経っても諦めてない。
あれはそういう二人だけの会話だったのだ。
「じゃあ、どうして呪いにかかったってわかるの?」
わたしがつくったご飯、食べたよね。
そういう視線を投げつけて、逃さない。
「あの師弟は、あいつらの活躍がすごかっただけに、竜の呪いが凄惨を極めたんだ」
ランブルスは、渋々語りだす。
邪竜サルフォロバス・ソルファタリクスは身の丈七メートル。体を黒く硬い溶岩の鱗で覆い、その体当たりで勇猛な騎士の体を鎧ごとずたずたにした。
[
だが形勢逆転はここからだった。
『お待たせしましたね……』
対邪竜用に開発された〝
対するサルフォロバス・ソルファタリクスも大火炎を吐いて抗う。大魔術師〝星霜〟の大魔法で生み出された溶岩製の大石杭は炎の中を貫いて進み、ついにはドラゴンの口腔に突き刺さる。
『ヴァンダー、今です!』
弟子の魔法剣士は溶岩でできた剣槍を持ち、刺し違えるほどの鬼気で邪竜の顎下からを脳天を貫いた。
竜の体内から大量の黒血が噴き出したのだった。
「それでヴァンダーは、どのタイミングで呪われたの?」
「慌てなさんな。邪竜サルフォロバス・ソルファタリクスの真っ黒で大量の血液が勇者ヴァンダーを飲みこんだのさ」
「飲みこんだ?」わたしはオウム返しする。「ヴァンダーも倒れたってことですか」
「ああ。六人の騎士たちに助け出されたが、その時にはもうヴァンダーは息をしてなかった」
「えっ」
「竜の血液はビチューメン(天然アスファルトのこと)なみの粘性でな。黒い血溜まりからひっぱり出すのもひと苦労だったんだ。ヴァンダーの死体は海の水で血液を洗い流されて、骸布に包まれてジェノヴァに戻る船に乗せられた」
「そんなっ。本当に死んじゃったの?」
「だから慌てなさんなって。ところがその帰りの船の中で、ヴァンダーが蘇った。邪竜そっくりな口調で生き残りたちに言ったんだ」
――
「船内はパニックになった。弟子をかばおうとした〝星霜〟を殴って気絶させ、騎士たちはヴァンダーをみんなでなぶり殺しにした」
「なっ、なぶり殺し……それじゃあ。その時、あなたは何してたんですか」
「う、情けねぇけど……てめぇの荷物を抱えて夜の海に飛びこんだ。一応、役目がすんでも、連中とつるむ気にもなれなくてな。生き残った奴らは全員、疲労と恐怖で狂ってた。ヴァンダーの体で復活した邪竜に怯えてたし、その恐怖が迷信深い船員まで巻きこんで、甲板はもうめちゃくちゃだった」
「そんな。その後どうなったかは……わからないか」
「いや、その船は寄港先のジェノヴァに流れ着いて長い間、噂になってたよ」
わたしは、その先を聞くのが嫌になっていた。
「ロンバルディアからきた魔法使いを残して、騎士は全滅したとよ」
「船員も?」
「ああ、おまけにヴァンダーは死体で運び出されてる途中で、また息を吹き返したそうだ」
「ん。待って。ということは、邪竜の呪いが不死の呪いって知ってるのは、アポリナーレ・ランブルスだけってことですよね」
ランブルスは椅子を蹴って立ち上がると、相棒のスライムをひっつかんで袖の中に入れた。
「だからオレは、ヴァンダーに近づかないようにしてた。それをお前らが無理やり!」
「連れてこいって言ったのは、ヴァンダーですけど。佐藤さん追い回してたんですよね?」
「オレは魔王を捜してただけなのっ。説得するなり、伝言預かるなり、転居先を聞くだけで仕事は終わってた。魔王を
たしかに。どこまでもツイてない人だ。
「じゃあ、ヴァンダー帰ってきたら、教えますから」
「頼むっ。この通りっ。サトウは見つからなかったってケースケに報告するから。だからこのまま見逃がしてくれ。オレ、不死のあいつに殺されるのだけは嫌なんだよ!」
ラミアは余命二ヶ月と診立て、ランブルスは不死の呪いがかかってると信じて疑わない。
どっちが本当なんだろう。
どっちも本当だった場合、なにか別の真実が見えてくるのだろうか。
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