第34話 執政官の純恋とグファーレ団



 イルミナート伯爵は、確信犯でやったと思う。

 ことの発端は、二日前。

 メッツァ家に王太子コンスタンティンが遊びに来たことだ。


 自分の意思で辺境の小領貴族に養子へ出たとは言え、イルミナートは王太子にとって実弟。プライベートでも頻繁に会っていたようだが、公式訪問はこれが初めてらしい。一泊することも決まっており、メッツァ家は数か月前から饗応の準備で大忙しだったようだ。


 王太子が泊まる客室の壁紙や調度品を一新しなければならないし、晩餐・朝餐・昼餐も贅を尽くした食事を用意しなければならなかったはずだ。当然金もかかる。それ以上に人手が足らず、近隣の村から下働きの男女を集め、付け焼き刃の教育を施さなければならなかった。


 その集められた町娘の中に、カザヴォラ家預かりになっているルクレツィアが含まれていた事実に、ヴァンダーは首を傾げた。


 カザヴォラ家の心情を慮るおもんぱかに、王太子ご逗留に際しての饗応は、領主メッツァ家の名誉がかかる一大事のはずで、豪農家で部屋隅にされていた商家娘を出すとは思えない。王太子に粗相があれば領主の名誉に傷がつくからだ。あのカザヴォラ家当主は想定外だったと思う。


 だからルクレツィアは、あえて領主イルミナートによって指名され、召し出されたのだ。

 あの美貌ゆえに王太子の面前を飾る花に供した。悪意的に。


「師匠もいっていたが、彼女はまったく魔性だな」


「メッツァ家は王太子が見初めるようにしたんだ。間違いねえ」 


 ヴァンダーの感慨を聞き流し、バルデシオはイライラと居間を歩き回る。 


「そうかもな。蓋然の故意だろう」


「がいぜんのこい? こいって、なんだよっ」


 勢い込んでくるバルデシオに、ヴァンダーは小うるさげに手で制した。


「王太子がルクレツィアを見初めるかどうかは神のみぞ知るだが、それでも見初めたら僥倖と思って目に留まる場所においてみたら、案の定。まさに図に当たったわけだ」


「ああ、こいってそっちか。くそ、メッツァ家はおれを友と呼びながら、おれの気持ちを踏みにじったんだ」


「結果として、な。だが領主は、お前が彼女を娶りたいと直訴した時に『やめておけ』とはっきり言っていたぞ」


「それは……ぐぐっ」


「それでも突っ走るお前に、イルミナート個人から私書が来た時点で、彼は充分お前に好意的だ。文面からもお前の神経を逆立てる事実内容ではあるが、行間からも謝罪がうかがえる。お前だってもう気づいてるんじゃないのか。カザヴォラ家も、その上家であるメッツァ家も、レッジョ家の債権相続者であるブラッツィ家をいつまでもメッツァ領に置いておきたくなかった。王太子が見初めたなら、ていよく厄介払いできる。それほど二つの領主には、俺たちのあずかり知らぬ政治上のみぞがあったんだろう?」


「ヴァンダー。メッツァもカザヴォラも、ここまで彼女の財産に目を向けないのは、なぜだ? 債権代理すれば、あの金満レッジョ家から金をふんだくれるんだぞ?」


「だから。関わりたくないんだよ」ヴァンダーは即答した。「メッツァ家は一度、家格を理由に婚姻の申し出を蹴り、カザヴォラ家は彼女のために息子を失った。その後になって持参金が金銭債権に変わったからといって、後ろ盾のない彼女を抱えこむのは風聞、とりわけ婚姻名目で預かった持参金を葬儀費用として強引に借りた債務者レッジョ家への心証が悪すぎる。彼らは実に理性的だよ」


 レッジョ家にしてみれば、領主死亡で破談になった多額の持参金惜しさに、強引に借り入れたことで裁判にまでなった。敗訴したブラッツィ家は遺恨として、前のクレモナ執政官を蹴落とした実績を持つ辣腕家バルデシオと婚礼し、その婚姻仲介の労を政敵メッツァ家がとる、という当てつけとも受け取れる構図が気に入らないのだ。


 庶民からすれば疑心暗鬼にも程があるが、権謀術数とびかう貴族世界はそこまで勘ぐらないと安心できない。否、政敵ならば必ず勘ぐってくる。ケンカの口実のようなものだ。


 イルミナートは十七歳という若さながら、その家門カーサの機微を心得ている。


 王太子がメッツァ家を訪れた理由も、出来物デキブツの弟が十七歳になっても社交界に浮いた話一つ出ないのを訝しみ、世話を焼きに立ち寄るつもりだったのかもしれない。


 弟はその兄の老婆心をも読み切り、その縁談プッシュに辟易していたのかもしれない。

 ルクレツィアを使って、自分の縁談が棚上げになってくれないかと試した。


 バルデシオにわざわざ手紙で「ルクレツィア 王太子、籠絡」を報せてきたことからも、してやったりの結果になったようだ。二つの厄介事が同時に解消できたのだから。


 ただヴァンダーが記憶する限り、王太子は三年前から公式にボルトン王国の第三王女と婚約中ではなかったか。


 地政学においても、南のヴィブロス帝国と事を構えるアエミリア=ロマーニャ王国に大国ボルトン王国の後ろ盾は必須だ。それ以上に、両王家は一夫一婦制を信条とする教皇庁の門徒だ。

 婚礼期日も調わぬうちから地元の町娘に本気になれば、その代償が大きすぎる。


 バルデシオも執政官だ。それくらいの事情は冷静になれば洞察できる。だがルクレツィアに関してはガチ恋の現状が、いつもの視野を狭くしている。いまだ少年のような青臭い義理人情を捨てきれないのが悪友の良さだったりもするが、ことルクレツィアに関しては悪い方へ出ている。


 この純恋おじさんはまっ直ぐにしか走れないのだ。


 ヴァンダーとしては知らず額を押さえていた。友人としてこれほど喜べない恋路もない。踏み出した恋路の行く先には政治、家門、金と三拍子で険しさを増すばかりだ。


「まったく、あの悪ふざけが過ぎる若領主の高笑いが、ここまで聞こえてくるようだ」


 実兄である王太子コンスタンティンにルクレツィアが愛妾として登用されれば、彼女の名が王室や政治の表舞台に出ることはなくなる。政治的に厄介払いができる。

 その一方で、実兄と友人バルデシオ双方を当て馬にデッドヒートさせて楽しむつもりなら、悪趣味にも程がある。


「ヴァンダー。おれはやっぱり、ルクレツィアを手に入れるぞ。そのためには御前試合しかなくなっちまった」


「もうわかった。わかったよ。とりあえず明日から夏まで、錆びた腕の鍛え直しだけしてみるか。厳しくやるぞ」


「ああ、望むところだ」


 そういって、バルデシオははらをくくった顔で帰っていった。

 最悪、俺がルクレツィアを排除する。ヴァンダーは台所の窓を開けた。


「カレン」

「なあに?」


 田植え作業で腰をかがめる王子に、声をかけた。


「それが終わったら、型の稽古をしよう」


 ヴァンダーは友のために鬼になると決めた。


「型を三五まで教える。それで明日の朝からバルデシオを


   §


 レオナルド・チェーザリには兄がいた。


 ティグラートという十七歳の筋骨たくましい青年で、頬まで虎縞の刺青がある。クレモナを拠点に頭角を現した半グレ〝グファーレ団〟のリーダー〝獰猛ティグレ〟である。


 元は製粉組合の組合長ガットネロ・チェーザリの長男だった。だが十四歳のとき自発的に廃嫡を願い、家を出た。それまでも社会的な問題は起こさず両親からも跡取りとして嘱望されていたが、全身の刺青がこれから問題を起こしそうな気配を感じさせたからだ。


「父さん、母さん。申し訳ない。〝刺青これ〟がチェーザリの家に災いをもたらす前に、俺はこの家を去りたい。あとの期待と愛情はレオナルドにかけてやってほしい」


 両親と何日も相談し、頭を下げて、受け入れてもらった。


〝グファーレ団〟の資金源は密造酒モルトウイスキーで、イゼーオ湖近くの湿原地帯から泥炭を採掘し、醸造に使用している。これを「小麦のワイン」として銘打ち、密売した。味も良かったので、公営市場には出回らないものの評判は上々だ。


 この世界のおいて酒造界は、いくつかの修道会とそこから認可を買った酒造ギルドが牛耳ぎゅうじる寡占業界だ。酒造商会を開業するためには修道会に醸造税を払い、領主(クレモナ市)にも登録酒税を払わなければならない。利潤を確保しつつそれらを支払い、値段を安定させるためには大量生産に見あう醸造設備を大きくする必要があった。


 装置をデカくすれば密造の足がつく。それがメンバーたちの意見だった。


 今日も今日とて、ポー川の倉庫街で男性四名女性二名の幹部たちと販売戦略会議をひらいていた。


 まず話題にしたのは先日、衛兵隊によってこの倉庫街に地下水路から入れる抜け道を知られたらしいということだ。


「ゴブリンがここを拠点に立て籠もったって?」


「そうらしい。チェルス農場がゴブリンに襲われて、高級豚を強奪されて結構な騒動になった。翌日、市長みずからが川向うに渡り、犯人の首を切り落としてローマ広場にさらしたって言うぜ。その度胸をメッツァ家にも気に入られたそうだ」


 頭取補佐のスカルペッロが情報を披露する。


「ゴブリンを追いかけたのに、人の首をとって戻ったのか。そいつは剛毅だな。バルデシオのおっさん、事務仕事ばっかだと思ってた」


 保守管理長のマルテッロががっしりした肩を揺する。


「あの騒ぎで、市庁舎職員や修道会のマルスケス司教が、おっさんを腫れ物扱いしてるんだと」


「職員はともかく、司教だけで言えば、次は自分が市長に首を切り落とされるのもアリだからな」


 メンバーたちが爆笑したところに、見張りに立っていたキオードが地下水路から顔を出した。


「ティグラートさん、レオナルドが会いたいっていって来てますが」


「追い返せ。二度とここに顔を出すなと伝えろ」


「わかりました」キオードはすぐに引っ込んだ。


「レオのヤツ……。テメーの揉め事は、テメーで始末つけろって何度いやぁ気が済むんだ」


 だったら、ここにグファーレ団のアジトがあるってぇ!

 衛兵隊に言いふらしてやるからなあ! 兄貴ー!


 下階から弟のわめき声に、ティグラートはがっくりと傾く額を支えた。


「レオナルドも、進歩がねぇなあ」マルテッロが後ろ頭に手を組んだ。


「五、六歳の時もああやって喚き散らして、ティグレの後をついてこようとしてたよ」


「結局、お兄ちゃん子なんだね」総務のコルダが前向きに解釈した。


「あの図体で、あまちゃん過ぎんだよ。あいつ。――ティグレ、どうするん?」


 警備隊長のセーガが耳の後ろをかきむしりながら訊ねる。


「恥ずかしすぎる」


 こうしてグファーレ団もまた、あの魔術師たちに引き寄せられていくのだった。



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