第35話 転生トラックで来た二人



 夕方。

 レオナルドがいかつい連中とともにやってきた。


 今日は追加で買ってもらった洗濯桶・田園第3番に、メランザーナとポモドーロを連作で植える。ちなみメランザーナはナスで、ポモドーロはトマトだ。


 チェルス家からもらった堆肥と腐葉土が上質だったので、わたしは調子に乗ってつい苗を買いすぎてしまい、表のプランターにも植えてみた。だが、それがいい。


 横でノヴェッリが生育日記をつける。木炭で写し取られた苗のスケッチは、わたしよりうまい。


「なあ、君。ヴァンダー先生はいるかい?」


 声をかけられて顔を上げるなり、直感でわかった。

 この男、優しい顔して刺青タトゥ怖っ。あの虎縞……もしかして身体強化スキルかも。それより知らない顔が並ぶ後ろで、不敵にニヤつくレオナルドを垣間見て、用件もだいたい理解した。


「いるよ。夕飯作ってる。わたしに用があるんじゃないの?」


「ああ。だがヴァンダー先生に一応迷惑かけてるし、筋を通しておかないとな。ティグラートが来たって言えばわかる」


 言ってることはまともだし、殺気もない。緊張もない。

 

「ノヴェッリ、ヴァンダーを呼びに行ってきてくれる?」


「う、うん。わかった」


 スケッチの画板を胸にいだいたまま、ノヴェッリは屋内に小走りに戻った。


「ねえ。これなんの草?」


 一団の中の、わたしより少し年上っぽい女性が覗き込んできた。


「メランザーナとポモドーロだよ」


「これが、ポモドーロ? 赤くないじゃん」


 こやつ、本気か。でも赤い実がつくのは知ってるらしい。


「実はまだついてないよ。子供だからね」

「へえ、草にも子供とか大人があるんだ」


 やばい。この人、本気で訊いてる。


「セーガ。今日は勉強しに来たんじゃないぞ」


「いいじゃん。ここ先生んちなんだし。それより、ティグレ。こういうのマジでやってるってすごくない?」


 語彙力。わたしは説明を続ける。


「子供から土の栄養で育てて、黄色い花がついたらお店に出すの」


「知ってる。でもセーガは実を食ってた。食うもんなくて、よく食ってた」


「美味しくなかった?」

「うん。酸っぱいし固いし、青臭かった」

「それはまだ、大人になりきってないからだよ。少しだけ早すぎたのかもね」


「少しだけ、そうなのか?」


「おい、セーガっ。そいつは敵だぞ。話しかけんな!」


 レオナルドがわめいた直後だった。

 わたしのそばに置いていた園芸用シャベルが飛んでいた。早い。鋭い。木製シャベルは正確に仲間のあいだを抜けて的の額に刺さったように思えた。


 犬のような悲鳴があがった。シャベルが木製で命拾いしたな。レオナルド。


「吠えんな、負け犬。あたいのベンキョーの邪魔すんなっ」


 怖っ。どうやら彼らは本気でレオナルドの肩を持とうと殴りこんできたわけではないらしい。


「おお、なんだお前たち。ティグラートも、久しぶりだな」


 ようやくヴァンダーがエプロン姿で出てきた。わたしはほっと胸をなでおろした。


「セーガ。最近、孤児院に顔を出さないな。勉強してるか?」


「シゴトで忙しいんだよぉ。でも今ベンキョーしてた。なあっ?」


 強圧的な同意の眼ざしをこちらに向けてくる。わたしは苗を指さして、


「えーと。草にも子供と大人がいることを少々?」

「そうそう」


 ヴァンダーは鼻息して、セーガの頭をなでてやる。

 彼女は嬉しそうに目を細めて喉で笑う。猫系猛獣みたいな女性だ。


「ティグラート、用件は」


「レオナルドとカレンジャスって子の再戦だ」


「いいだろう。勝敗に何を賭ける?」


「カレンジャスの学校への登校禁止」


「ではこちらは、お前の魔法練成を賭けよう」


「げぇ、またかよ」


 仲間たちがゲラゲラと笑う。


「仕事が忙しいんだろう。暴走させないために使いこなせ。さあ、裏に回れ」


「先生。ちなみに今晩のメシ、何だ?」マルテッロが物欲しそうに訊いた。


「イノシシ肉のコストレッタ(骨付きのカツレツ)。人数分はないぞ」


 ちぇー。若者たちはがっかりしながらぞろぞろと裏に回る。


「ヴァンダー、あの人たちと知り合いなんだ」わたしは訊いた。


「もう三年くらいになるか。カモッラ〝グファーレ団〟だ。密造酒をつくってる」


「有名なんだ」


「彼らは孤児院時代からの幹部で、彼らの下に五、六十人の孤児が働いている」


「あらら。わたし、レオナルドのせいで、そんな裏組織に睨まれたんだ」


「心配するな、ボスのティグラートは理性的な人物だ。弟のレオナルドが構成員でもないのに兄の威を借りて調子に乗り、あちこちでトラブルばかり起こす。ティグラートも弟を気にかけているからこそ、困惑してるんだ。この際、兄の目の前で遠慮なく叩きのめしていいぞ」


「あ、いいんだ」


「頭取のティグラートが出てきたからな。あの男の前で無様を見せたやつは、勝敗に関係なく、切り捨てられる」


「そのルール、ヴァンダーが教えたの?」


 ヴァンダーは何も言わず、あごで裏に回れと促された。仕方ない。


「最後にもう一つだけ、いい?」


「その問いの答えなら、Siスィ(イエス)だ。ティグラートもそのことで随分苦しんだ」


「そっか。わかった」


    §


「カレンジャス・ロン、今度こそぶっ殺してやるぜ!」


「はいはい。次がいらないくらい大負けしたのに、次があった幸運をお兄ちゃんに感謝しとこうね。坊や」


「はじめ」


 台所の窓からヴァンダーのおざなりな合図で、決闘は始まった。


 レオナルド渾身の唐竹割りを体さばきで横へかわし、膝裏を足で引っかける。巨体の重心はあっさり崩れて受け身もとれず背中から水たまりに落ちて木剣を手放した。


 グファーレ団から笑いも声援もない。ただ見てるだけ。静か過ぎて、むしろ彼らが怖い。


 わたしはすかさず定位置に戻る。


 どう動いたって、うちの農作物に突っ込んでいかないだろうという位置で、待つ。


「オレは、オレはチェーザリだ、レオナルド・チェーザリなんだ!」


 こいつにだって、こいつなりに背負ってる意地はあるんだ。

 でも弱いヤツは、声にしてわめくしかない。

 こちとら剣と農業で勝負してんだよ。口ばっか動かすんならもう帰れよ。


 レオナルドは泥だらけの剣を遮二無二ふり回して突進してくる。


 わたしは躱しざま左に回り込む。切っ先をわきの下に通して、木剣で肘と肩を搦めてひねりつつ背後に回り、地面に押さえ込んだ。


「くそっ、何だこりゃあ。畜生っ、なんなんだよぉ!」


「そこまでっ。勝負あり」


 窓からヴァンダーが決裁すると、ティグラートが一つ手を打って、組み伏せられたままの弟に歩みより、屈みこむ。


「レオ。お前に剣は向いてねぇよ。カタギで暮らせ。父さんと母さんを大事にしろよ。次は、家で困ったことがあった時だけ、相談に乗ってやるからな。じゃあな」


「まっ、待ってくれよ、兄貴。こんなの決闘じゃねえよ!」


 未練たらたらで地面から弁解する弟の顔に、ティグラートは笑顔のまま水たまりから泥をすくって塗りたくる。


「あの〝屠竜〟ヴァンダーが立ち会って決裁した正当な決闘で、お前は負けたんだよ。なのにお前は兄ちゃんにまで、お前の泥をかぶれっていうのか?」


「うぶぶっ、それは……っ」


「天然立身流を見るのは二度目だったが、やっぱり大したもんだ。お前じゃどうしたって敵いっこねえよ」


 わたしはとっさに組み伏せたレオナルドから飛び離れていた。洗濯桶の前で木剣を正眼に構えた。


「あなた、誰っ!?」


「セーガ。レオを家まで送り届けてやれ。あとのケジメは俺がつけておく」


 グファーレ団が泥顔でメソメソ泣き始めたレオナルドを両脇から抱えあげて引きずっていく。何か喚いていたかもしれないけど、わたしの耳には入らなかった。


「ねえ、誰? あなたも魔族、転生者なのはわかってる、どうして天然立身流を知ってるのっ」


 ティグラートは泥を水たまりで洗うと、その手を握りしめた。


「おれも実際に見るまで忘れてた。もう昔、ずいぶん昔だ。中三の二学期、体育館に入ってきた異常者を、モップ一本で組み伏せた同級生女子がいてな。あとでモモエが天然系の昆布だって言いふらしてた」


 わたしは思わず懐かしすぎて膝が砕けそうになり、顔をしかめた。


「天然系の昆布って……ふざけんな、ユリコ。なんか周りから生暖かい目で見られてたの、アイツのせいか」


「やっぱりか。菊地花蓮、本当にお前なのか」


 いいながら、転生者が上服を脱いだ。全身を覆い尽くす刺青は闘獣を模した炎をまとっているようだった。


「変質者は、お前じゃい!」


「あ? いや、これは身体強化スキルの[獣紋聖痕パラベラムⅡ]だ。なんかよくわからねぇけど、魔力練成すると破れるから脱いだだけだって」


 やっぱり転生者。しかも天然立身流を知っている。元日本人。

 わたしの中で記憶の断片が一瞬、前の世界から飛んできた。


 死の瞬間に。


「ミチノ……? もしかして、道教みちのりあきら?」


 ティグラートは一瞬驚くと、懐かしそうに微苦笑してうなずいた。


明慶あきよしだ。道教明慶。しかし、お前と人生初めて交わす会話が、他生だとはな」


「あっちでもこっちでも初対面なんだから、お前って言うな」


「ヴァンダーにはカレンって呼ばせてるのにか?」


「うっ、それは……あっちが、師匠だから」


「俺のことも教室で呼ばれてたみたいにミチノはやめとけ。こっちじゃ〝猫ちゃん〟って意味だ。口にした瞬間、俺の取り巻きに殺されるぞ」


「そっか、やっぱり……道教も」


「当然だろ。相手はあの〝転生トラック〟だぞ?」


 道教の抑揚のない即答が逆に事実を雄弁に語り、わたしは心のどこかで抱き続けた一縷いちるの夢が跡形もなく圧壊した。


 あの日々はもう、わたしと道教の中にしか、ないのだ。


    §


〝転生トラック〟


 SNSサイトで一時期はやった、都市伝説だ。


 交通事故にしては不可解なアンラッキー。犠牲者が十代から三十代の男女と幅広く、市街で八十キロ超の猛スピードでやってきたトラックに衝突されれば、異世界に転生できるというもの。


 転生に使用されるのは決まって、大型トラックなのだという。


 わたしと道教みちのりの場合は、コンビニ店舗に配送トラックが突っこんできた。


 夕闇。無灯火のまま時速八十キロ超で窓ガラスから店内に突っこみ、立ち読み禁止の雑誌ラックや商品棚をすべて弾き飛ばし、日配品が並ぶ壁面の冷蔵棚をバックヤードまで押し切って停まった。らしい。


 道教は雑誌ラックで立ち読みをしていて即死だったそうだ。

 わたしは商品棚の下にある商品に手を伸ばしていて、棚の間に挟まれて圧死した。


 運転手は、「水曜日に入る店員の態度が気にいらなかった」と救急車内で自供し、搬送先の病院で死亡した。その態度の悪い店員は、レジカウンターの中にいて無傷だったらしい。


 そんな聞いてもいない後日談を女神が楽しそうに話してくれた。わたしはあの暑苦しい笑顔を、今でも忘れてない。


 だったら、そもそも転生トラックって事故じゃなくね?


 道教明慶とは、中学で同じクラスが二年間、三学年は別。会話ゼロの圏外同級生だった。


 中学三年の進路集会で、体育館に不審者が包丁を持って闖入ちんにゅうし、わたしがたまたま撃退できたことがあった。帰って見たい園芸番組の録画があったのだ。


 お祖父ちゃんから教わった護身術が初めて役に立ったのだが、その騒動がきっかけで、わたしは少しだけ学年内で有名になった。


 天然立身流は、江戸時代に南関東圏で剣の達人が農家に教えたことから広まった剣術流派だ。わたしは道場に通って練習していたわけじゃない。すべておじいちゃんの手ほどきを受けて研鑽を積んだ。


 収穫泥棒は、刈りとり用の鎌やナイフを持っているから。


 近所に住む農業家が、収穫泥棒に遭って外国人旅行者三人組に刺殺された。おじいちゃんの幼馴染だった。以来、わたしを百姓の跡取りにする条件で、指導するようになった。


 収穫泥棒に慈悲をかけるな。そのつもりで五年毎日、打ちこんできた成果とも言える。


 そんなわけで道教とは四年近く、言葉すら交わしたこともない男子群の一人だった。同じ高校を受験していたことすら、あのコンビニで偶然同じ制服を見かけるまで知りもしなかった。


 袖すり合ったことさえ気づかない関係のまま死んで、この世界で顔も声も変わった姿でばったりお互いの過去に気づくなんて、なんの因果なんだか腐れ縁なんだか。


 これが恋の予感? いいや、建たないね。


 Tシャツからモンモン出してる半グレは、ボランティアに勤しむ将軍より、ない。


 だって農業やらないでしょ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る