第39話 眠れる〝星霜〟の献策
ヴァンダーたちが拘束したレオナルドをチェーザリ家の現場に置いて一時帰宅したとき、マーレファはベッドで眠っていた。
一応、ヴァンダーは師匠の眠りを妨げる禁を
「レオナルドに移った呪いを解くのに師匠の知恵を借りなければならないんだが、我こそは起こしに行こうという者はいないか」
グファーレ団からティグラートが、事件当事者ということで名乗り出た。
「あれ、おれだけ?」
「悪いんだけど、ここの同居人はみんな思い知ってるから。大丈夫、骨は拾ってあげるわ」
佐藤さんが肩をたたいて励ました。
数分後――。
ドスン、バキ、ガタン。
部屋から派手な音がして、わたしと佐藤さんで足をそれぞれ掴み、伸びたティグラートを引きずって部屋から一時撤退した。
「佐藤さん、やっぱりこれ無理そうなんで、起きてくるまで待ちましょうか?」
「待ってもいいけど、レオナルドって子の体力持つかなぁ。身体強化スキルないと呪殺耐性もないだろうし。もたないはずなんだけど」
「それじゃあ、ヴァンダーですか?」
「
居間まで引きずっていき、右頬をパンパンに腫らしてノックアウトされた頭領を見て、メンバーは顔を青ざめさせた。
「セーガ。お前いけよ」
マルテッロがけしかける。
「無理。ナイフも通らないティグレをノックアウトさせる拳とか、もう人じゃねーよ」
そこへ、玄関がノックされた。
ヴァンダーが開けると、額の広い丸メガネの少年が疲れた様子で入ってきた。
「スカラベ。どうだった」ヴァンダーが声をかけた。
たしかに額の丸く広い感じと顎の狭さが、ちょうどフンコロガシに見える。奇面の青年だ。
「ええ、まあ。レオナルドがあんなザマになってるせいか、こちらから協力提出した物証も割とすんなり受理してもらえました。あとでジェルマーじいさんがこの家に事情聴取に顔を出すから、それまで、
「わかった。ご苦労さまだったな」
「それで、うちのボスが珍しく床で伸びてるのは、どうしてなんです?」
「俺の師匠の眠りを妨げる禁を冒して、勇敢むなしく、こうなった」
「ヴァンダー先生の師匠? 確か……片付けベタで大酒飲みの?」
「ん、そんなことまで言ったことあったか?」
「ええ。授業中に、不摂生かつ自堕落になれば、人間どうなるかの好例として。寝相が最悪を突き抜けて危険なんだとか。だから、みんなで竜を想像していたんですが。拳はあったようですね」
冗句を飛ばし、丸メガネのフンコロガシさんは不本意そうに薄い唇を歪めた。
「先生。うちとしてはもう、あの愚弟を切り捨てたいのですがね」
「だが肝心の兄貴が諦めてないぞ。その顔、なにか妙案を思いついたんだろう?」
ヴァンダーが優しい目でフンコロガシさんを見る。
「先生。今この場で、金貨三枚をいただけませんか」
「金貨?」
「うちもこれ以上、商品に手を出すのは
ヴァンダーはそれで察したのか、声にして笑った。フンコロガシさんのアイディアを讃えるように肩を叩く。
「わかった。なら十二枚で買おう。一度お前たちの成果を出資者として飲んでみたいと思っていた」
「まいったな。……じゃあ、今回だけ蒸留水もつけますよ」
「蒸留水?」
「原酒を割るためだけの水です。一ビン銀貨十枚で販売してます」
「蒸留工程で出た煮沸水だろう? 水にまで金を取ってるのか」
「トワイスワップという飲み方です。一見客には売れないブツです。まあ、飲んでみてください。その水が、どれだけうちの酒に合ってるかわかりますから」
フンコロガシさんが、仲間に目顔で指図する。昨晩、チェーザリの呪いを報せにきた大柄な青年だ。
「北区の倉庫いいよな、最後の一本のはずだけど」
「ああ、時間が惜しいからな。念のため、セーガと行け。こんな割に合わないトラブルはさっさと片付けて、商売に精を出さなきゃ赤字だ」
いつもの軽口なんだろう。仲間たちは笑みをこぼして、家を飛び出していった。
農業の歴史はお酒の歴史と言ってもいい。わたしも興味がわいた。
「どんなウイスキーを造ってるんですか?」
「ん? 大麦、ライ麦、トウモロコシだ。ここクレモナは穀倉地帯で、ワインだけでなくウイスキー醸造にも向いているからな」営業トーク完璧か。
「
「リーゾ? いや」
「暇つぶしにイジワル問題を出すなよ、カレン」
頬を擦りながらティグラートが起き上がってきた。
「ウイスキーは発芽小麦の酵素アミラーゼでデンプンを糖化させてからアルコール発酵させる。製造の初期行程はビールと同じだ。でも米酒は糖化と発酵を同時にやる並行複発酵だ。発芽玄米を使ってもいいが、乳酸菌の酸味が強くて
「麹菌……そっか。でもこの世界に、微生物の概念があるとは思えないけど」
ティグラートの腫れた頬に触れて治癒魔法をかけてやる。
「せいぜいカビ程度だ。しかも生えたカビごと食って腹壊してるやつらも日常だ。そもそもおれのスキルは戦闘特化だしな。生物や医学スキルは一つも獲ってないから」
誰かのスキルを当てにしてなかったから、落胆はしなかった。見つけられたとして、わたしはそれをどうしたいのだろう。
ティグラートは前世界から引き継いだウイスキー醸造の知識で走り出した。
わたしは一体何をやってるんだろう。王子の影武者になるという未来は決まっていても、自分の意思でどの方向にも体を向けてすらいないのではないか。
くやしいけど、わたしは今はっきりと、元同級生に後れている。
§
客室。
マーレファがベッドで毛布の繭になっている前で、ウイスキーの封を切り、グラスに注ぐ。
トゥクトゥク……。いい音だ。
芳醇な甘い香りが部屋に広がる。すると毛布がピクリと反応した。
「それで、この水を、原酒と同量だな」
「ええ。軽くまぜて……さあ、飲んでみてください」
ヴァンダーは促されるままグラスを口に運んだ。舌の上でとろりと転がる
「ほぉ、これは……なるほど。うまい。いくらでも飲めそうだ。むしろ金貨三枚分の割引は得だったか」
「そうでしょう。とくにこの雑味が消えたろ過水との相性が良いんですよ」
スカルペッロとウイスキー談義しながら、ヴァンダーはボトルとグラスを持ったまま部屋を出て廊下から居間へと戻る。
すると、部屋で毛布がベッドからぼとりと床へ落ちた音がし、ゴロゴロと廊下を転がって追ってきた。
「ぷっ、マーレー。怠惰の極み!」
サトウが爆笑でツッコめば、策士のスカルペッロも苦笑を禁じ得ない。
「酒呑みの面目躍如と言えるが、本当に図に当たるとは。浅ましい限りだな」
「むぅ、謀りましたね。……ヴァンダー」
マーレファが眠気で掠れた負け惜しみを口にした。ウイスキーの匂いに釣られて居間まで転がってきておいて、毛布の中から恨み節で睨まれても、今さらである。
「彼が、呪いにかかった弟を助けたいそうです」
「のぉろぉひぃ? ……諦められませんか。とっくに死人も出ているでしょう。そっちあなたたちから血の匂いがしますよ」
音もなく突き刺すような指摘に、ティグラートはとっさに言葉に詰まる。
「昨晩のうちに両親と、手下が死にました。せめて弟だけでも掬ってやりたいんです」
「掬ったとて、親殺しは大罪です。早晩、あなたの弟は法の裁きを受けるでしょう」
「チェーザリの全財産をはたいても審問官から弟の酌量を引き出します。あいつも呪いの被害者なんです。ただ、まだ呪いは生きてて、強力で、今のおれ達で助けてやる知恵がないんです。お願いしますっ」
「お酒、ください」
マーレファはくるまった毛布からほっそりとした白い手を伸ばしてくる。
ヴァンダーが心得た所作で、水割りのグラスを師匠に手渡してやる。
「おや……これが麦の醸造ですか。エールのように浅くない、酒精の口当たりも好みです」
起きぬけの一杯にマーレファの声が弾む。
ヴァンダーが目顔で促すと、ティグラートがひと息に昨晩の経緯を話した。
やがて毛布からまた空のグラスが出てくると、弟子は新たな琥珀色を注いだ。
「ヴァンダー。今、現場に人は、いますか」
「まだ衛兵が五十人くらいは残っているはずです」
毛布の中から、大魔術師が鋭い眼差しを向けてくる。
「チェーザリ家の家族が一番集まる場所は?」
「えっ、えっとあの……食堂かな。でも、ヴァンダー先生の師匠。あそこは常に使用人の目が」
「呪殺に用いられた呪物は、地下です。深さはそうですね、二メートルでいいでしょう」
まるですべてを見通すような断言に、ティグラートは口をパクパクさせて抗弁の言葉もない。それに地下を一メートル掘り進むにもけっこう深いし、労力もかかる。
「じゅ、呪物って、何を見つければ、いいんですか」ティグラートがようよう訊ねる。
「掘り出してみないことには呪物が何かわかりません。注意すべきは、掘り返すのに〝案内蝙蝠〟の簡易魔法さえ使ってはいけません。残っている人手を総動員するのです。途中、体調を崩す者も出るでしょう。掘り返したら呪殺術式の解除はヴァンダーが知っています」
ヴァンダー、そしてティグラートは仲間たちを引き連れて、家を飛び出していった。
大魔術師は未練たらしく毛布から手を出し、テーブルの酒瓶をまさぐっている。
「えーい、寝るか飲むか、どっちかにせんかーい!」
佐藤さんは自堕落な蛹から毛布を剥ぎ取った。
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