第36話 狼狂症候群(リカントロピー シンドローム)前
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初期で、身体能力の一〇%アップと物理耐性がつく。最大ランクの[獣紋聖痕Ⅳ]で身体能力の三〇%アップと物理無効だったはず。ただ、その設定を裏返すと落とし穴が透けて見えた。
基本となる身体能力は鍛えないと上がらないし、ほうっておくと衰える。人間だもの。
農業に一
「その姿、この世界の家族と問題にならなかった?」
「だから……親に縁を切ってもらった」
「はっ、縁切り? そこまでしたの」
道教は、わたしという地元民に出会ったとわかって、今までの鬱憤をぶちまけるように愚痴りだした。
「三歳で[獣紋聖痕Ⅰ]を自動獲得して、この刺青が身体に現れたんだ。異世界転生なら、いっちょ無双してやるかって獲ったつもりだったのに、現実はちょっと気分で入れてみました的な刺青どころの騒ぎじゃなかった。この世界じゃ強力な呪い扱いでさ。顔まで届く文様が禍々しすぎて、兵役検査に三回も落ちた。
この世界じゃ、呪術めいた
「フーン。それで今、スキルレベルは」
「Ⅲだ。販路拡大でおなじ密造商会と揉めて、仲間守りながら戦ってたらレベルアップした。そしたら刺青がたまに増えやがんの。ガイドが言うにゃあ、あと少しでⅣなんだとよ」
「将来は、転生した異世界スキルでアル・カポネになる気?」
「はあ? まあ、アルかもね」
転生者にしかわからないオヤジギャグで返すの、やめろよ。
「じゃあ、魔力練成するの関係、ある?」
「去年、ヴァンダー先生に[獣紋聖痕]のせいで就職できないんだって愚痴ったら、いっそ上げきってみたらどうだ。っていわれてさ。瞑想型の魔力練成でもスキルポイントが上がるみたいだし、属星耐性も上がってる。少しだけどな」
へー。いいこと聞いた。
「ただ、こいつに欠点があって、俺は退屈なのが苦手だ」
「知らんがな」
この世界というか、おそらくマーレファ式の魔力練成のやり方はちょっと独特だ。
椅子を四本脚の一本で地面に立たせ、お尻を背もたれの左角にのせ、
魔力で椅子を固定させるのが第一段階。乗るのが第二段階。そこから精神統一して、ようやくスタートになる。魔力を保っているあいだ椅子は倒れないのに、座っている場所を思い出すと居心地はサイアクだ。高い所から落とされるわけでもないが謎のバランス状態に監禁される。
これが魔力啓発の初歩だとわかって、わたしをうんざりさせた。
「なんだよ、菊地。一緒に補習やってくれるのか?」
決闘の代償で指定された割には明るいノリ。こいつもヴァンダーを信頼してるんだ。
「補習とか言いかた懐かしいって。[獣紋聖痕Ⅳ]、欲しいんでしょ?」
「欲しいっつうか、それでこの刺青が消えたら、家に帰りたい」
家に帰る。それだけの言葉なのに、わたしは悔しさと間違えるほど羨ましく思えた。
「いいご両親なんだ」
「ああ。二人とも学がねぇって笑うけど、俺の自慢の親だ」
もう道教明慶ではないティグラートが、屈託なくニカリと笑った。両親のことが大好きらしい。弟レオナルドは兄の爪の垢でも煎じて飲むべきだった。
十五分くらいして、成果は割と早く起きた。
「おーい、お前たち。晩メシだぞー」
台所の窓からヴァンダーが声をかけたと同時に、わたしは顔を横から熱風にあぶられた気がして、瞑想を解いた。
「うっし。[獣紋聖痕Ⅳ]ぉ、物理無効ゲットぉ!」
まるでゲーム感覚の獲得宣言だ。呆れながら横を見て、目をみはった。
「道教っ。体!」
「ん……おほぉっ!?」
素っ頓狂ってこういう声なのかも。全身にあった虎模様が胸元に集約していた。
黒炎の狼がこちらを見つめてくる。
あんなデザインだっけ。わたしはなぜか、それが
「やった、消えたっ。ヴァンダー先生、やったぞ!」
ティグラートが刺青のない白い両腕を広げて、自分の上裸を魔術師に開いてみせる。
ヴァンダーも感嘆した様子でうなずいた。
「よかったな。それならガットネロもレダも喜んでくれるんじゃないか。どうする、晩メシは
ヴァンダーの粋な言い回しに、道教は照れ半分嬉しさ半分で破顔した。
「ああ、そうするっ。ありがとう、先生。それからカレンも」
脱いだTシャツをひっつかむと、ティグラートは歓喜とともに通りへ飛び出していった。
「帰る家、か。いいなあ」
「お前だって帰る場所はあるだろう?」
「自分の寝室に呼んでもいないイキり散らかした友達がきたり? 魔法で爆破もされたけどね」
「生まれながらの公人の宿命とはいえ、一定の同情はできる。さあ、メシにしよう」
同情するから、飯を食え。修羅場をいくつもくぐってきた将軍閣下は、切り替えが早い。
§
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
その夜の未明。
ヴァンダー邸のドアを殴りつける音で、わたしは目を覚ました。
隣のベッドにマーレファの姿はない。まだ夜の散歩から戻ってきてなかった。
「先生っ。あぁ、先生っ!」
「どうした、マルテッロ」玄関にヴァンダーが立ったらしい。
「大変なんだ。ティグラートがっ!」
「わかった。中で聞こう。水を持ってきてやる。それまでに話す順番を決めておけ」
深夜の来客を招じ入れて居間に座らされ、台所から水のグラスを置いた。
マルテッロと呼ばれた大柄な若者は血で染まった手でグラスを掴み、一息にあおってすぐ激しくむせ返った。随分急いでいるし、疲れてもいるようだ。
「マルテッロ、落ち着いて話せ」
「ティグラートが、親父さんとキオードを刺したらしいっ。あと、おふくろさんもっ。部屋は血だらけで、それから……それからっ」
グラスを倒して頭を抱えだした若者の肩をゆすり、ヴァンダーが顔を近づける。
「マルテッロ。こっちを見ろ、俺の目をよく見るんだ。ティグラートは家に戻ったんだな?」
「ああ、うん。そう、そうなんだ。あの刺青がヴァンダー先生のおかげで呪いが小さくなったって。祝杯をあげるんだって。うちの商品の酒を持ってこいってティグラートが。それで、おれとキオードが急いで取りに走ったんだ」
「チェーザリ家は喜んでたか?」
すぐ酒宴になったそうだ。母親のレダは泣きじゃくり、呪いに打ち勝った長男を抱きしめてキスの嵐。ずっと離さなかったらしい。あまりにも甘ったるい雰囲気なので、グファーレ団の幹部連中は途中で抜けて帰ったようだ。
チェーザリ家の食堂に残ったのは、目の前にいるマルテッロと若衆のキオードだけ。義理堅く最後まで付き合おうと思ったようだ。
「それで夜も更けて、ティグラートも親父さんも、ぐでんぐでんになってもまだ飲むとか言い出してさ。そんで、そんで、そうっ、蒸留酒が足りねぇってティグラートが。だからおれがキオードを残して酒を取りに外に出たんだ、それで戻ってきたらもう……ううっ!」
そこまでいって、現場の惨状を思い出したのか両手で口を塞ぐと、うめき、泣き出した。
ヴァンダーはそんな若者の肩を何度もなでてやりながら、
「ティグラートは、今どこだ」
「たぶんもうアジト。みんなで担いで運んだはずだ。今ごろスカラベ(スカルペッロ)がボスをヴェネーシアへ逃がす舟を用意してるはずだ。それで、俺が」
「レオナルドはどうした?」
「知らねえよっ。あいつまで探してる余裕なんかねえよぉっ、本当に食堂が血の海で、キオードがそん中にうつ伏せで浮いててティグラートがナイフ握って、親父さんの前で座ったまま気ぃ失ってたんだよぉ!」
メソメソと泣き始めた若者の背中を、ヴァンダーは撫でてなだめ続ける。
「マルテッロ、よく聞くんだ。ティグラートはおそらく、罠にはめられた」
「罠……はっ、罠?」
「そうだ。嵌められたんだ。だから今ティグラートの身柄がこの町から出れば、犯人の思う壺だ。ティグラートが犯人の濡れ衣を着るはめになるぞ」
「けど捕まっても、孤児は大した裁判も受けられねぇって。しかもティグレは親殺し、名士のチェーザリ当主を殺っちまってんだぞっ?」
「やったかどうかはまだわからない。だから舟で逃げるにしても身を隠すにしても、ある程度、状況がわかってからだ。とにかく仲間を急いで止めてこい。それとお前からスカラベに頼んでほしいことがある」
「スカラベに頼む? 何を」
「ティグラートが現場で着ていた衣服と靴一式、それから凶器のナイフもだ。現場のチェーザリ家まで持ってきてくれ。それをジェルマー衛兵長に渡せば、ティグラートの心証は悪くならない」
「ナイフと服と靴? なんでっ」
「事情は事件後に、みんなに話してやる。それとティグラートの両手に傷が残っていたら、それも荷物の受け渡しのときに細かく説明しておけ」
「なかったら? ティグラートはナイフ使いだぞ?」
「なければ、なかった報告だ。俺は、お前が出ていった後に衛兵駐在所へ行き、事件発生を話してチェーザリの家に行ってみる」
「事件にしたら、ティグラートが犯人扱いされるだろうがっ」
「逆だ。事件にするのが遅れるほど、ティグラートの親殺しがチェーザリ家の近隣住民の間で固まる。衛兵は彼ら住民の顔色と話をうかがって、ティグラートを真犯人として捜しだすだろう。そうなったら、ティグラートは追い詰められる。急げよ、マルテッロ。犯人が証拠を消す時間よりも、衛兵が証拠を固める時間よりも、お前たちは早く手を打つんだ。俺たちでボスの潔白を証明するぞ!」
バシン。馬に鞭打つように若者の背中を張った音が、わたしの部屋まで届いた。
「ヴァンダー」
マルテッロが家を飛び出していくのを見計らって、わたしは声をかけた。
銀髪の将軍は部屋に射す月明かりの中で微笑んだ。
「カレンにしては珍しくおとなしいな。聞いていただろう。早く支度しろ」
「うんっ」
「あたしはとっくに準備できてたり、しますけどね!」
着替えに戻ろうとしたら、佐藤さんがマーレファの杖を持って部屋を出てきた。
「新しい服の都合はよかったか?」
「肩周りと胸周りがきつくて、腰回りがダボついてた。でも大丈夫よ、自分の〝鋏〟と〝針〟で補正したから」
そういうと、佐藤さんはわたしを見た。
「あとは、あんただけやで。行く気あんの?」
はい、ただ今。わたしは急いで自室に飛びこんだ。
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