第31話 農業王子は種籾からこだわる



 カレンが、パタータを収穫した後のプランターでまた何かを始めた。

 カンボニーノ修道学校のノヴェッリもやってきて、プランターを興味深そうに見つめる。


「あの種籾たねもみを、塩水に浸けた?」


 ノヴェッリはいぶかしげに聞き返した。


「じゃあ、これは?」


「えっと、順番に話すわね。ノヴェッリから預かった種籾を水瓶に入れて、塩水で撹拌かくはんして種籾の選別と消毒をしたのね」


「選別と消毒? 米に毒があるの?」


「ううん。そうじゃなくて、種籾は病気に弱いから塩水につけて悪い病気にならないようにする作業が必要なの。これを種子消毒っていって」


 カレンによれば、選別は塩水の中で種籾を撹拌すると、軽いものは水面に浮き、重いものは底に沈む。その浮いてきた種籾だけを取り除いて、沈んだ種籾だけを栽培にまわすらしい。


 そして、冷たい真水で七日間。太陽で温めた水で五日間つけておく。これを浸種しんしゅというそうだ。こうすることで、種籾に発芽準備を促すのだという。


「で、わたしの魔力を使うと、この行程が二日に短縮できるみたい」


「確信、ないんだ」


「わたしだって、初めての稲作なんだから仕方ないじゃん」


「カレン。どうして種籾をく前に、この行程が必要なんだ?」


 ヴァンダーが疑問をなげると、よくぞ聞いてくれたとカレンは琥珀色の瞳を輝かせる。


「生米をかじってみればわかると思うけど、お米って種子は、ドングリと違って外の殻だけでなく中の胚乳も固いの。だからその固いところに水分を多く含ませてあげないと芽を出そうとしない植物なわけ。だからこれは、その準備の行程」


「へー。それで、これは?」


 プランターの土を目の粗い麻布を張った木枠の上に移し、ならしていく。


「これは育苗箱いくびょうばこっていって、種から苗に育てるための箱、のつもり。ここに粗土を平坦にならして、その上に種を均等に撒き、その上から覆土っていう少し細かい土を薄く被せるの。毛布みたいにね」


「へー。リーゾの苗ってポモドーロより手間かかるんだ」


「当然。でもその苗が四、五本で一株として、収穫の時には二十本にまで増えて、五百粒の稲穂を目指すわ」


「え、一株で五百粒っ?」ノヴェッリが目を見開いた。


「ノヴェッリは、パヴィアでは一株の収穫量、どれくらいか知ってる?」


「うーん、父さんから一五〇から二〇〇前後だって聞いた気がするけど。だから値段も小麦の七倍なんだって」


 カレンはおとがいをつまんで思考に沈んだ。


「七倍か。ということは、一本の苗から茎が三本から五本くらい分かれするなら、標準的な苗の品種よね。あとは実をつけさせる土壌栄養と水、日照をなんとかするでばいいはず。ぐふふっ、これはひょっとしたらお米ビジネスチャンスかも?」


 ビジネスチャンスだろうがなんだろうが、裏手を農場にされてはたまらない。


「カレン。いっとくが、この辺の畑はどこもトウモロコシ畑だ。米を育てている農場経営者はひとりもいないぞ」


「なんでっ!?」


 カレンはもったいないと言わんばかりの驚愕を顔に出す。


 ヴァンダーは面倒くさそうに頬をかいて、


「クレモナはそういう土地柄だからとしか……これは推測だが、土地がポー川より高い場所にあるので、湿地が少ないからじゃないか。だからクレモナは小麦、トウモロコシ、畜産が盛んだ。逆に、西へ行けば低地平野がひろがり、湿地帯が多いな」


「よし、引っ越ししよう!」


「湿地に住もうとするな。どうせ試験栽培なんだろ。たとえば洗濯桶とかで賄えないのか?」


「え~、狭いよぉ~」


 ヴァンダーは取り合わなかった。種籾を選別する段階で数を減らしている、撒く種籾はそう多くない。


「ここは俺の土地だからな。お前の米栽培に興味があるから手を貸すんだ。無茶な計画は勘弁してくれ」


「う~っ。仕方ない。それで手を打つかあ」


 こいつ、自分が逃亡中で、居候の身だってことも、すっかり忘れてるんじゃないか。


「そのかわり栽培に成功したら、稲作にむいてそうな土地を市長から紹介してもらって借りてやってもいい」


「本当っ!?」


「だから成功させろよ。一株五百粒だったよな?」


 カレンはそびやかした胸をとんと拳で打った。


「まっかせなさ~い!」


 初めての米栽培のくせに、一体どこからそんな自信が湧いて出るのやら。


    §


 ところが、午後に買ってきた大ぶりの洗濯桶が到着早々、一つ潰れた。


 北の森から革兜衆レザーヘッドが猪にのって戻ってきた。


 これをさっそくヴァンダーが一撃で悲鳴もなくシメて、肉を冷やすための水を溜めるのに洗濯桶をつかった。


 カレンは頬をパンパンに膨らまして大層ご立腹だったが、目の前の食材処理が優先されることは理解していたから、不平不満は頬袋にとどまった。


 さほど大物でもないので、今回は人手を呼びに行くことはしない。


 命に感謝して、いただく。


 腹を割くと中から湯気が立ちのぼった。火傷しかねないほど熱い内蔵を取り出し、洗濯桶へ。心臓と肝臓を四等分に切り分けて血を洗い、そこに塩と胡椒をふって焚き火に乗せた厚底鍋スキレットにオリーブオイルをまわし、焼く。新鮮な内蔵を食べることは狩猟における栄誉だ。焼き担当はカレンに任せた。


 血抜きは、皮をはぎながら同時進行する。三本のナイフを火で炙って皮を丁寧に肉から切りはがしていく。血抜きがあらかた終わる頃に解体する。肉は部位に切り分けてから洗濯桶の水につけて冷やす。バジルが食材に乗って戻ってきたおかげで肉は内蔵まで新鮮そのものだ。


「旦那。この間の追手に、監視された」


 オレガノがそっとやってきて告げた。

 ヴァンダーも一瞬、肉包丁を止める。


「どの辺だ」


「ブレシアって町の東、サン・ガッロという森だと思う。まだ、あの魔王を探しているのかもしれない」


 ブレシアは、クレモナから真北にある大きな山岳都市だ。


「お前たちを見つけて興味を持ったということは、前回と同じ魔術師か」


「おそらく」


「わかった。次の狩猟は、俺も行く」


「追手を逆に追うのか」


「ああ、相手の顔が見たくなった。捕まえると問題になりそうな相手なら、泳がせる」


「わかった」


 まだ敵対こそしていないが、向こうは妙に動きの素早いゴブリンを警戒し始める頃だろう。早晩、敵になるなら情報は早いもの勝ち。相手の素性を知っておくに越したことはない。


「お嬢、内臓はレアがウマいんすから、もうそれくらいでいいっすよ」


「ええっ、ダメだって。ちゃんと火を通さないと、お腹壊すよ」


「ふっ。ゴブリンの胃袋を舐めないでほしっすね」


 その夜、バジルだけが腹痛で苦しんだという。


「げ……解せない、っす」


    §


「何やってんの……アイツら」


 外の庭からの騒がしさで目が覚めて、魔王はつぶやいた。


「ミキ。ご機嫌はいかがですか」


 お互い直接顔を合わせるのは久しぶりだ。マーレファが声をかけると、枕から見つめてくる魔王は目尻を少しだけ緩めた。


「来るの、遅いよ」


「すみませんね。生憎あいにくこちらも逃亡の身の上です。細心の注意が必要だったのですよ」


「城からズタボロで脱け出して、森でゴブリンに囲まれたとき、本気で終わった思ったわ」


「呼んだかね?」


 タイムが顔出したので、魔王は目を見開いた。


「マーレー。これ、どういうことっ?」


「彼女はホブゴブリンです。群れから自主的にはぐれたゴブリンの変異種ですよ」


「え。これがマコトのいってた、良いゴブリンってヤツ?」


「そだよぉ。オラ、悪いゴブリンじゃないよぉ」


「自分で言うんかい」魔王がゴブリンにツッコんでから、微苦笑した。「それじゃあ、窓の外でこっちに背を向けてる、あれは?」


「ヴァンダーがゴブリンたちが狩ってきた猪を解体しているところです」


「ヴァンダー……彼の魔法の素質は」


「残念ながら、あなたほどではありませんねぇ」


「ふっ、マーレーは会うと、いつも口ばっかうまいわ」


「いいえ。私はお世辞を言わないことで、ロンバルディア王から召し抱えられた魔術師ですよ」


 力なく噴き出して、サトウミキは安らかに目を閉じた。


「ミキ、私たちが見つけた時、満身創痍でしたよ。何があったのです」


 魔王サトウミキは鼻息すると、天井を見上げた。


「ヴェレス城を出た後、新沼を頼ったけど、彼も結局、翔馬と同じだった」


「……」


「あいつらこの世界で自分たちの国を造ろうってイキってる。そのくせ古い城一つも修理できない知識水準のクランのまま。お山のボスザル。井戸の牛カエルだった。反体制派貴族と王都を攻める組織に手を貸してるけど、その実、奴らに体よく利用される未来しか見えなかった」


「魔王ニーヌマケースケの協力者はわかりますか」


「シルミオーネの執政官の……名前忘れた。〝バスここだ、ちゃんと降りよーね〟?」


「バスコ・ダ・チェントゥリオーネ伯爵ですね」


「そう。そんな名前だった」


「彼は転生派でグラッグという元司教だった男の権力派閥に属している、いうなれば手駒です」


 政治に興味ないはずのマーレファはすらすらと大物官僚の特徴を挙げていく。


「司教。転生派……。あたし、新沼にそいつの晩餐会に連れて行かれてね。帰りの馬車でおしり触ってこられたから、馬車ごと橋から川に落としてやったのよ」


「ミキ。馬と御者に罪はありませんよ」


「そこは大丈夫。乗車席ボックスだけくり抜いた・・・・・から。馬車のドアが片開きなのは知らなかったけど」


「ミキは教える前から切断魔法が得意でしたよね」評価する論点はそこでいいのか。


「だってあたし、〝鋏〟の転生者だもん」


「それと〝針〟も、お忘れなく」


 マーレファの訂正に、魔王は照れくさそうに目を細めた。


「針は、マーレーが見つけてくれたヤツやん」


 ふたりの会話内容が要人殺害未遂なのに、昨日食べに行った料理店の話をしているようになごやかだ。



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