第25話 高嶺の花とホブゴブリン
晩餐会では、メッツァ家当主を上座に、カステルヴェドロ=メッツァ領に点在する各町村の長たちが一堂に会した盛大なものになった。
「この地の記録に残るゴブリンの巣は四百年前だ。わが領で長らく抱え続けた病巣が先日、業火の炎によってついに根絶されたことは真に喜ばしいことだ。またそれだけの悠久の間ゴブリンによって連れ去られた領民らに鎮魂の吉報を宣言できることは、カステルヴェドロ=メッツァ領主の本懐である。ときに、ソアンツァ村カザヴォラ家」
「は、はっ!」
突然予定にない指名を受けて当主アントニオ・カザヴォラは席を起立する。
「此度の働き、大義。領主イルミナート・カステルヴェドロ=メッツァの名の下に、アヴィド・カザヴォラの不名誉を撤回し、回復せしめ、第十六代ベルモンド騎士団長の名で葬儀、刻碑することを
老アントニオは目を見開いて呆然とすると、やがて
「ははっ。ありがたき幸せ! 我が子アヴィドに成り代わり、領主様の寛大なる慈悲を賜り、感謝を述べさせていただきます」
「アヴィドは誠に不運であった。葬儀の日どりが決まり次第、オレも顔を出す」
カザヴォラ家当主は涙も拭わずに着席すると、介添えできていた長男と何度もうなずきあった。
「さて、クレモナ執政官殿。貴卿にはずいぶんな骨折りをしてもらった。感謝を述べておく。あいにく二十年先まで歳費返済が決まっていて、先に送った以上の報奨は加増できないが、何か望みがあるなら言ってみてくれ」
「しからば、お願いの儀が」
バルデシオが椅子に座ったまま体を上座に向けた。
ヴァンダーが思わず止めに身を乗り出すと、マーレファが弟子の腕を掴んだ。
バルデシオは大真面目に顔を引き締め、ひたいを軽く伏せた。
「
食堂がざわっと揺れた。
褒美に女をくれという破天荒な所望へ笑いはない、どころか老人たちは困惑をはらんだ。
それが静まると、静観注視の視線にバルデシオも気づいたらしい、顔をあげ、改めて上座を見る。
領主イルミナートは、行儀悪くテーブルに頬杖をついて、バルデシオの怪訝を手で制した。
「こいつは悪気があって言うわけじゃあねえんだ。あの女はやめておけ。理由も今からいう」
「は……はっ」
「ルクレツィアがカザヴォラ家預かりになってるのは、レッジョ家に当主婚姻の持参金名目で寄託された金が、急遽、葬儀費用名目として貸付目的が変更され、金銭債権に化けた。それが娘のルクレツィアが災害寡婦相続されたためだ。その額は金貨二万八〇〇〇だと聞いている」
「にっ、二万八〇〇〇ですとっ?」バルデシオも開いた口が塞がらない。
「おたくが驚くのも無理はねぇ。平民風情が、王族同士で輿入れする持参金に匹敵する額を娘にもたせようとしてたんだからな。最初に結婚話を蹴ったオレへの当てつけの意味もあったらしい。調べさせたらブラッツィ商会総資産の五分の三だった。あの男も娘可愛さにしても随分気張ったもんだ」
イルミナートは頬杖をついたままグラスに水を注がせて、唇を湿らせた。
「その報告を聞いた時、オレもなんの
ヴァンダーは内心で唸った。ゴブリンの巣から優先的に人骨回収を命じていた真意は、行方不明者が保有していた莫大な相続財産を確定させる証拠を集めることだったらしい。
「それは、彼女に求婚することは、レッジョ家から金銭債権を手に入れられる夫になれる、というわけですか」
「そういうことだ、友よ。だからこの件にオレは関われないから、忠告はした。おたくが高嶺の花を掴むためにちょっと肩を貸したつもりでも、レッジョ
「……」
「二年前、レッジョ家は枢機諮問議会においてアエミリア街道建設計画で懐疑派の急先鋒だったことは国内の貴族なら周知の事実だ。それが今じゃ、領都レッジャーノは国内屈指で街道の恩恵を受けてる都市の一つになった。レッジョは王太子派の家門にかけて、これ以上この若造のおかげで潤わさせていただいてる分際だって、他の家門から思われたくねぇのよ」
「恐れながら、領主様。それ以上のことは」側近がそっと口止めする。
「うん。まあ、そういうわけで、あの女がおたくの求婚を受け入れたなら、自力でレッジョ家との首縄を断ち切ってクレモナに持ち帰ればいい。オレん家からはどこからも異議はでねぇよ」
カザヴォラ家がルクレツィアを使用人のように扱っているのは、メッツァ家傘下家として、反目するレッジョ家への債権者を客扱いできないという複雑な事情があった。
それゆえにアヴィドはルクレツィアと婚約したことで、レッジョ家の金銭債権を放棄させるだけの大金が欲しかった。これがチンタ・セネーゼ豚転売事件の根っこらしい。
「とすれば、ルクレツィア・ブラッツィは金銭債権を手放す気はないか」
「当然ですね」
ヴァンダーの独白に、マーレファがダメを押す。
金貨二万八〇〇〇。利子を含めれば三万二〇〇〇まで膨れるだろう。女一人で生きていくにも充分すぎる額だ。集まってくる男たちの貴賤美醜も選りどり見どりだ。
「次々と男を惑わせる美貌は、男を唸らせる財産まで持っている。実に魔性ですねえ」
マーレファが物見高く、鼻でせせら笑った。
「んっ、このアスパラガスのソテー、美味しい!」
男装のカレンは、最初から話を聞いていないようで、食べることに夢中だ。
こうして、友バルデシオの恋路には高く厚い壁があることがわかり、その後、晩餐会は二時間ほどでお開きになった。
§
翌朝。
ヴァンダーは朝の日課で、剣の鍛錬のため木剣をもって裏の空き地に向かう。
表のドアを開けると、ゴブリンが立っていた。
驚きつつ、とっさに木剣を構えた。
「あー。大丈夫っす。オレ達、ホブゴブリンっすから」
ゴブリンが人の言葉をしゃべった。
「っていうか、ここ。ヴァンダーって人の家であってるっすよね」
「ん、ああ。あっているが。なんで、俺のうちに?」
ホブゴブリンたちは安堵の笑みを交わし合う。
「ここに住んでる、マーレファって旦那?から、次の仕事を世話してもらえるって聞いて」
聞いてない聞いてない。俺、全然聞いてないから。
「ちょ、ちょっと待っててくれ。えーと、君たちは」
「ホブゴブリンっす」
「いや、そうじゃなくて、前の仕事先は?」
「ストロッツァ司祭の使いっ走りしてたっす」
「その彼は?」
「さあ。カザヴォラ家に連れて行かれて、それっきりっすね」
人であるならば聖職者を殺すのは禁忌だ。だからといって、生かしもしてないはずだ。わが子を
すると別のホブゴブリン(多分メス)がもじもじと喋りだす。
「そんでぇ、オラ達この先どぉすんべかなあってぇ話し合ってたんだぁ。そすたら、ここの旦那?がロードにぶっ飛ばされてきたんで、急いで匿ったらなんか見どころあるって褒められてよぉ。んで、次の仕事世話してやっから、クレモナの北にパタータの花植えてる家さ探せってぇ。なぁ?」
ヴァンダーがおもむろにポーチに置かれたパタータのプランターを見下ろす。土から茎が伸びて白い花を咲かせていた。ラディッシュでさえ二十日かかるものが、パタータが一週間で花をつけるまで成長するなんて。
凶兆か?
「ちょ、ちょっと。そこで待ててくれるか。その旦那?とやらに事情を聞いてくる」
ヴァンダーは室内に駆け戻った。
「彼らを雇います」
師匠の寝起きは最凶最悪だ。無理やり起こすと本気のハンマーパンチが飛んでくる。うっかり食らって気絶しようものなら、ベッドに引きずり込まれて昼まで抱き枕にされたことは一度や二度ではない。緊急事態なので、どうにか半覚醒させて事情を話すと、先の決定が返ってきた。
「師匠、寝言は寝てからいってくださいよ!」
「んじゃあ、おやすみ」
「寝直さないでくださいっ。ホブゴブリンたちを家の前で待たせてるんですから!」
「あと五ふぅん」
「いい加減にしろ、マジではっ倒すぞ!」
「ん~? じゃあ、あなたから試験だといって、乱取り稽古をつけてあげてください」
「はあっ、なんで俺が?」
「彼らを……カレンの〝影〟に仕立てます」
「えっ、魔物を? 師匠、それ寝言ですか」
マーレファはうっすらと目を開くと、天井を見つめた。
「身なりも食事も人族にあわせ、一般常識も叩き込みます。愚かな坊主がホブゴブリンの器量をあなどり、野良犬同然にコキ使っていたのです。我々は彼らの衣食を満たしてやることで心を磨き直し、情報収集の精鋭に造り変えます」
「ですが、彼らは魔物ですよ」
「だからですよ」
「えっ?」
「彼らは幸い、まだただのホブゴブリンのままでした。カレンに彼らの〝名付け〟をさせます」
「いやしかし、ストロッツァ司祭が使っていたんでしょう?」
「名付けをされていませんでした。その証拠に、彼らと出会った時、互いを名で呼びあっていませんでした。あなたも魔術師なら、魔物への〝命名〟がどれほど重要かわかるでしょう。おそらくストロッツァ司祭も、村民の洗礼をやる立場上、魔物を使役していたと村民にわかれば聖職者の地位がないことを十二分に理解していたはずです。それを差し引いても、最初から彼らを使い捨てにするつもりだったのでしょう。愚の極みですよ」
二十年の師弟関係で、マーレファがここまで他人を蔑むのは元教皇庁枢機卿だったグラッグ伯爵くらいで、珍しいことだ。坊主が嫌いなのかも。
「カレンを彼らと引き合わせて命名式を。乱取り稽古の後、私も……行きまふぅ」
「わかりました。って、また寝るなよ!」
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