第27話 治癒魔法とは、仁術なり
治癒魔法の原理については、各分野、各学界において意見が分かれている。
昔は信仰世界が神の加護・祈願の賜物と称したが、魔術世界ではそれを否定、条件プログラム説を提唱している。その条件に働きかける生体現象が、代謝となる。
代謝とは、生物の生存と機能に欠くべからざる一連の体内反応のことで、機能とは生存反応サイクル。すなわち摂取・変換・排出である。化合物の分解を伴う異化作用と、化合物の合成を伴う同化作用に大別される。
一般に、異化作用は魔導反応を放出し、同化作用は魔力反応を消費することを指す。
人に限らず生物は、食物を摂取することで、この異化作用と同化作用を行い、食べた物から生命に必要な魔導を変換、余剰や消費した魔力の廃棄物を、排出するようにできている。
治癒とは、負傷者の体内で常に起こっているこの異化作用と同化作用を促進する状態のことをさす。このことは、治癒薬という生薬や石薬の化合物を体内に取りこむことでも生じるし、詠唱呪文による術式でも可能だ。祈り、呪い、音声、幻覚によっても肉体の代謝を早めたり遅めたりすることがわかっている。
初歩の例で、よく子供同士で、すり傷をつくると「痛いの痛いの、飛んでいけー」とおまじないを唱えるが、あれも〝痛みが消える〟幻覚効果をもつ治癒
よって、正式な治癒魔法は、術式で代謝速度を上げる効果があるのは、もはや論を待たない。
ここで、失った手足を復元する再生魔法と混同されがちだが、それはまた別の話になる。
「ヴァンダー、もっと奥っ、照らして」
急にカレンの口調が鋭くなった。言われるまま魔力の透過視の範囲を広げる。
鼓膜の奥、蝸牛の中でそれを見つけてヴァンダーも息をのんだ。
ごく微細だが陶器の欠片が残っていた。
「化膿の原因は、これが鼓膜を貫いて奥に残っていたからか」
「タイム……あなた」
きょときょとと瞬きするホブゴブリンに、カレンが思わず涙ぐんだ声を出す。
「泣いてる場合じゃないぞ、カレン。だがこれは……どうする?」
「っ……大丈夫、任せて。やってみるっ」
「やってみるって、まさか耳の中に荊を突っこむ気か?」
「わが
そんな詠唱式はない。草木目は顕現させる棘蔓を加工することはできない。カレンは、魔法を制御するために自分の願望をつぶやいているに過ぎない。いや原始の魔法詠唱には
ヴァンダーの戸惑いをよそに、カレンは真摯な眼ざしで敢行する。
指先からホブゴブリンの耳に潜りこんでいく荊は唱者の意をくみ、極細の針となって耳管を奥へと進んでいく。ヴァンダーは信じられない魔法応用を目の当たりにしていた。
「なあ、あんたら急にタイムの耳で何やってるんすか?」
バジルが怪訝そうに近づいてきた。
「後で話す。ちょっと治癒魔法をかける前に下準備が必要になってな」
ふーん。気のない返事をしつつも、ホブゴブリンたちは好奇心に任せてタイムの周りに寄ってくる。
「ヴァンダー、もっと魔力透過を強めに当てられない? ここ暗くて」
「わかった。これくらいでいいか?」
「
「お、おっす」
「任せろ」
極細の荊の先が鼓膜の亀裂を潜り抜ける。すると荊の先端が二股に分かれ、
「タイム。ちょっと変な音がして、気持ち悪いかもだけど、頑張って」
「う、うん……」
わずか十五センチほどの距離を慎重に茨を抜き出す。やがて、
「よぉしゃあ取れたぁ! ふぅ、こんなの入ってて、よく無事だったわね」
親指の爪幅ほどもある針状の陶器の尖片だ。ホブゴブリンがあの司祭から日常的に何をされてきたのか想像に
「よし、カレン。あとは治癒魔法だ」
治癒術式は各属星にあり霊神も多種多様だが、いずれも詠唱が望ましい。傷の度合いを見ながら制御調整するためだ。かけすぎると代謝が進みすぎて皮膚が厚くなったり瘤になることがある。
〝智慧深き大霊神パイエオンよ
傷つきし肉体を癒やし
病みたる心神を苦痛から解放せよ〟
――
耳管内部への照射時間はごく僅かだった。
カレンはさらにタイムの側頭部にまで治癒魔法を照射し始めた。
「カレン、まて。傷の有無も確認せずに治癒魔法を当てるな」
「だって。わたしの感が正しかったら、この子たち虐待されてたのよ」
ヴァンダーは厳しい眼ざしで、頭を強くふった。
「カレン、そうじゃない。辛くてもちゃんと患部を探して、
カレンは唇を噛みしめて、うなずいた。結局、タイムの頭部には挫傷痕が新旧四つもあった。人なら立つことも危うい重傷だ。魔物だから頑丈なのだろうか。ヴァンダーもよくわからない。
そこからカレンは不安が噴出したのだろう。タイムの治癒を終えると、そばに来ていたバジル。さらにはオレガノたちも呼んで、祝福を与えるように治癒魔法を照射していった。
左手に透過視、右手に治癒魔法を同時に発動させる。無属星とはいえ、異なる術式だ。
ヴァンダーは内心で、魔族いや、キクチカレンの学習能力に舌を巻く。
「ふぅっ。よしっ、よしよしっ。これで気が、すんだ。もう、いいわよ……っ」
溢れる涙もそのままに、カレンは満足そうに破顔した。
ホブゴブリンたちは自分の頭をなでながら怪訝そうな顔をする。
「ずっとあった頭痛が、なくなった」オレガノがポツリといった。
「うん。目眩も、ない」タラゴンの単語口調は、もともとの癖らしい。
「うれしい、吐き気もおさまったよ」ディルが屈託なく微笑む。
「ありがとっす、お嬢……お嬢?」
バジルが下から覗きこむと、カレンはホブゴブリンたちを抱きしめ、泣いた。
「ごめんね。わたし、前の主人よりいい主人になってみせる、だから、ごめんね」
「なんでありがとって言ってんのに、お嬢があやまってんすか?」
バジルは指で頭をかきながら、こちらに助けを求めてくる。
ヴァンダーは両手を広げてしらばっくれた。
「あとは、お前たちの服を見繕ってこないとな。まったくうちは居候が増えるばかりだ」
後日。
この治療によって、ホブゴブリンたちの潜在能力が飛躍的に改善され、ヴァンダーが本気にならなければ、五人同時は凌げない運動能力を引き出すことになる。
〝
遠くない未来。カレイジャス王の「耳目」となる
§
ヴァンダーとて暇ではない。
西へ区画三つ離れた居住区にある
最初は慈善活動として修道院の孤児らに職業訓練の語学と簡単な算数を教えていた。徒弟につくにも読み書きができたほうが有用だからだ。すると、それを見た院長に見込まれて、修道士見習いにも慣習法や薬草学の座学を教えてくれと頼まれた。この修道院長はどうやって今の地位に就いたのだろうか、ヴァンダーは今でも不思議だった。
そのことを酒場でうっかりバルデシオに愚痴ったら、それならクレモナ修道会が設立した一般子弟向けの学校も助けてやってくれと頼まれて、しぶしぶ応じた。友情価格で。
その学校、カンボニーノ
ヴァンダーとて口で言って聞かない輩には力でねじ伏せることも
そこで、修道学校だけにやたら宗教の授業があったので、そのコマに体を鍛える「体育」という科目を追加してもらった。
軍隊の基礎訓練は剣ばかりではない。体を基礎から鍛える方法は子供にもできる。授業は二クラス六十名。課外授業で二五名に剣を教え、彼らはあり余った鬱憤を発散できるからか割と好評だ。
孤児、修道士見習い、中流子弟と三つ掛け持ちして、早朝はホブゴブリンの稽古の追加である。朝から晩まで誰かに教えることになりそうだ。さらに、
「明日からカレンにも剣を教えてやってください」
夕食の席でマーレファに家主のごとく命じられた。
「師匠がクレモナに来て、まだ一ヶ月も経ってませんが」
「その一ヶ月ない間に、カレンの一般課程修了を認めました。会話は、もう魔族語で話す必要もありませんよ」
「スィ、メネ オクポ イーオ(まかせてちょおだ~い)!」
得意げな笑みを浮かべる十五歳の少女を、ヴァンダーは呆れ顔で眺めた。
「ラミアんとこの二人は一ヶ月経っても、まだ上が三歳のままですよ?」
「当たり前です。それほど魔族の成長はこの世界で桁違いなのですよ」
魔族を基準にして成長を考えると、こっちの頭がおかしくなりそうだ。
「他の授業はどうなりました」
「語学は、宗教語も含めて三ヶ国語。数学や地勢学は広く浅い魔法学校の制度レベルでは、もう得るものはないでしょう。読書だけでよいはずです」
「薬草学は?」
「むしろそこだけ異常に学習が速くて、知識だけならあなたの足下におよびます。あとは実習ですが、休日のときにマリステラの森を散策採集させてもらえれば充分でしょう」
それで、剣。これからは王子になるための集中講義が始まるわけか。
「じゃあ、明日の夕方。
「学校っ!? 圧倒的に行きたい!」
カレンは感情を表すために覚えたての言葉を、誇大して伝える傾向にある。前の世界でもきっとそうだったのだろう。マコトも感情が高ぶると似たような表現傾向にあった記憶がある。
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