第45話 ヴァンダーの異変
チェーザリ家夫婦殺人事件は、急展開を見せた。
デルテスタ家当主の自殺未遂によって、彼の私物からチェーザリ家前夫人マヌエラ(五代目の前妻)との蜜月を綴った日記、マヌエラの死後、チェーザリ家を呪い殺す呪詛、呪殺計画が詳細に記された手記が見つかった。
そこには魔女カルドラを処分する予定まで記され、二本線で消されていた。
計画後、手記を処分しなかったことについては、「どれもマヌエラとの思い出だ」とだけ口にしたという。
デルテスタ家当主――ダニエロ・サトゥルス・デルテスタは逮捕され、衛兵局に勾留された。
事件から二日を待たずの電撃逮捕劇で、大ゴブリン討伐に続き、またしてもフェルディナンド・バルデシオ執政官が事件解決に寄与したことで、町衆は大いに噂をはじめた。
二日後。
バルデシオが大勢の町衆をクレモナ大聖堂に集め、会見した。
この世界に新聞などの報道メディアはないようで、市中で何か騒ぎが起きたらすぐ市民が市庁舎に駆けこんでくるようだ。今回はその数が多かったらしく会見を開くことになった。
ヴァンダーから会見内容を聞いてこいと頼まれたので、わたしも参加した。
「本件、チェーザリ家にふりかかった受難の真相究明は、三十年前の同家に起きた花嫁死亡疑惑までさかのぼる。かの事件は不明な点も多く、名家同士の隠蔽、思惑が絡まり、心ない噂も飛び交い、迷宮に残されていたであろうアリアドネの糸を見落とした。だが衛兵局はあの時の教訓を忘れてはいなかった。後代へ語り継ぎ、そして昨日、彼らは三十年前の汚名を注いだ。
本件解決は、凶報から初動一五〇名を動員して証拠を集めた、衛兵たちの地道な捜査の賜物であり、私はそれら証拠の数々にひとつまみのヒラメキを足したに過ぎない。ここに事件に携わった衛兵たち一五〇名に感謝と称賛を贈りたい。――衛兵長、ここへ」
一方で、観衆からグファーレ密造団との関与についてつっこまれると、「突然、窓から飛びこんで来られて驚いた」と他人のフリを決めこんだ。
真実はティグラートが飛びこんで、ヴァンダーの剣を使い、首吊り縄を一閃のもとに断ち切ったらしい。バルデシオの到着はそこから二十分後だそうだ。
いなかったけど、いたことになったようだ。
それにしてもバルデシオの情報総括力というかアドリブがすごい。ゴブリン退治の時もそうだったけど、事件解決に魔術師が関わっていたことなんておくびにも出さない。
あの強面口達者おじさんは、こうやってヴァンダーにいくつも借りを作っているのだと思うと、なんだか
§
「兄貴……っ」
昼過ぎ。
レオナルドは青白い疲れた顔で目を見開いた。
衛兵局の玄関先で、ティグラートを始めとするグファーレ団幹部六人が黒のスーツ姿で出迎えていた。もう夏なので上着のフロックコートは着てなかった。
「みんなでオレを、父さんと母さんの敵を討ちに来たのか?」
「それを言うってことは、父さんと母さんを殺した自覚はあるんだな?」
「いや……ない、けど」
間髪を入れず、ティグラートが肉薄して思いきり弟の頬を殴りつけた。レオナルドの巨体がよろけて尻餅をついた。ティグラートは弟に馬乗りになって胸ぐらをつかんだ。
「だったら、いっちょ前に親殺しを語るなっ。家族はもう、おれとお前しか、いねぇんだぞ!」
ティグラートが立ち上がれない弟を力いっぱい抱きしめた。
「おれと血を分けた家族は、レオ。お前だけになっちまったんだよ!」
レオナルドは兄の背中に腕を回してしがみつき、声にして泣いた。
「父さんと母さんに会いにいくぞ。キオードもそこに埋めたんだ。人狼からおれを庇って死んだんだ。だから、いいよな?」
のちに、レオナルド・チェーザレを七代目とするチェーザレ家は、クレモナで初めて修道会から独立した造酒業組合を起こし、ロンバルディアにウイスキーを根付かせることになる。
そのかたわら孤児の職業支援にも力を注ぎ、チェーザレ職業訓練学校を創立する。
卒業生たちは巨大商会ジパングの人材養成を担い、三百年以上の経営発展の
なお、三百年後のジパングの会社ロゴには、〝どこにもない諸島〟を背景に〝
§
ヴァンダーは朝から、チェーザリ家夫婦殺人事件の衛兵局側の証人として出廷した。
普段は持ち歩かない柳の魔術杖をつき、呪殺の後遺霊障が抜けきらないことを審問官にことわり、レオナルドの人となりや呪殺術式を解除した手順や様子などを証言した。
審問官に呪殺のことや解呪のことをわかりやすく説明したら、意外な反応があった。
「餓狼にまつわる炎の呪紋は『汝、幸福なることを許さじ』であったな」
「どうしてそれを……っ」
「貴卿からは、そうは見えないだろうが、吾輩は魔法審問官でな。とくに呪殺を専門としている。〝餓狼系〟は解呪不可能といわれる悪質な呪術式と認識している。それを解呪し青年を呪縛から救ったのは、貴卿の功績だ。衛翼将軍閣下」
「それは……かたじけなく」
少し、いや、かなり審問官という役職を舐めていた。
魔法審問官。それも呪殺専門の審問官など聞いたことがなかった。
時代はいつの間にか、変わったらしい。
長年軍属にあって、追放後は地方に引っこんだから法務局の組織再編なんて気にしてこなかったことも落ち度ではある。あとで師匠に訊いてみたほうがいい、か……?
ふいに目の前が暗くなり、片膝をつく。
「旦那っ、ヴァンダーの旦那。大丈夫かい?」
呼ばれて顔を上げると、市庁舎の外だった。
法廷はどうなった。記憶が飛んだらしい。
声の方を見ると、馬車の御者台からパタータ売りのアベレが心配そうにこちらを返り見ていた。
「旦那、顔色悪いよ。家まで載ってくかい?」
「ああ、すまない。助かる」
そういって、荷台に倒れ込んだところまでは憶えている。また意識が飛んだ。
次に気づいたときには、見慣れた天井だ。ラミアが覗きこんでくる。
「法廷、どうだった?」
「魔法審問官だってさ。呪殺専門だそうだ。俺の知ってる審問官じゃなかった」
「ああ、マーレファが随分前に審問官の独善体質の一新を図るついでに設置したみたい。陛下の長い在位を嫌って呪殺しようとする貴族が多いから。その中で見どころのある魔術師を審問官に抜擢したの。モージ・デグルモン? だったかしら。有能だって聞いてる」
「ラミア、知ってたのか」
「大魔術師がナマグサすぎて誰も秘書をやりたがらないから、私がやってたんじゃないの」
「そうなのか。デグルモン……ボルトン人か」外国人を法務に抜擢するのは前代未聞だ。
「ええ。法廷も呪殺も、あなたたち軍部門とは別部署だから」
「いま、深夜か?」
「さっき、うさぎとポルチーノのシチューをごちそうになったわ。カレンは若いけど、料理上手ね。誰に教わったのかしら」
「師匠とサトウミキは」
「知らない。出かけてるみたいよ。カレンはさっきまで勉強してて、もう寝たみたいだけど。何か食べる?」
立ち上がろうとしたラミアの手首を、掴んだ。
「なあ……俺はあと、どのくらい生きられそうだ?」
沈黙。
「俺は〝竜憑き〟だ。もう長くないのは覚悟してる。ラミアから見て、あとどれくらいだ」
ラミアは長く沈黙を守っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「二ヶ月」
「そうか。ありがとう」
「でもヴァンダー、諦めてはだめよっ」
「邪竜を倒した名誉の見返りに[竜]を被爆して、二十年も生きられた前衛騎士は俺だけだ。マーレファ・ペトラルカのおかげだ」
「ヴァンダー」
「結局、俺はその名も師匠に返せなかった」
「え、どういうこと?」
「師匠から聞いてなかったのか。本名じゃないんだ。師匠が付けてくれた」
ラミアは息を飲む音が聞こえた。
「気づいた時には、このクレモナに立っていた。十六、七の姿だったか。この町で意識を取り戻して最初に顔を覚えたのが、バルデシオだった。十五歳の悪ガキでその頃から喧嘩は強かったが俺を気に入って友だちになってくれて、よく飯を奢ってくれた。二年くらい一緒に無茶やってた時に、師匠に出会った」
「そうだったの」
「師匠はたぶん、
「私のせいよ。彼に母の行方を頼んだ。彼は大魔術師なのに約束を守ろうとしてくれる。ヴァンダーと出会えたのもそれがあったから、かもだけど」
ヴァンダーは浅く頷き、少しだけ言葉を選んだ。
「俺は、会ったこともない薊のカルドラに、大きな借りがあると思ってる」
「馬鹿ね。そんなこと……。でも、そう。あなたの中で全部つながったのね。だから餓狼の解呪なんて無茶をやったの」
「俺は師匠と出会わなければ、この町で無価値のままだった。無茶する価値はあったと思ってる。ラミアのためだけじゃない。カルドラのために。師匠のために」
「ありがとう。だからこそ、あなたは死んじゃだめよ。母の分まで多くの人を助けなきゃ。朝まで、もう少し眠りなさい、ヴァンダー」
「そう、するよ。……姉、さ……ん」
ヴァンダーは目を閉じ、意識を闇に投じた。
額におかれた優しさを感じながら、深淵へ沈みゆく。
溶けていく意識のなかでヴァンダーは一瞬、誰かと目があった気がした。
人の目ではない。
獣の眼。しかもどこかで見たことがある。
まどろむ意識の中では
今のアイツ……誰だったんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます