1−6

「……ひとまず致命傷はないようで安心しました。後は……その顔の傷ですね」


 身体の傷を一通り調べた後でレイクが顔を上げた。リビラの右頬を真横に貫くように傷跡が付けられている。血はすでに止まっていたが、それでも傷は目立って痛々しかった。もし傷跡が残るようなことがあれば、自分はその盗賊を許せないだろうとレイクは思った。


「縫合の必要まではなさそうですね。ですが、念のために調べさせていただきます」


 レイクが言い、手袋を嵌めた手でリビラの右頬に触れた。それまでぼんやりと座っていたリビラがびくりとして肩を上げた。


「すみません。痛かったでしょうか?」

「あ、いえ……そうじゃないんです。ごめんなさい、続けてください」


 リビラがレイクと目を合わさずに言う。なぜか狼狽えたような表情をしていたが、レイクにはその理由がわからなかった。訝りながらも治療を再開しようと目を細めて傷を調べる。指先で触れると同時に目でも観察し、前方、斜め、真横、角度を変えながら丹念に傷を見て回る。一見些細なものに見える傷でも、化膿すればそれだけ治りが遅くなる。だから見落としがないように入念に調べなければならない。

 そう考えて傷を観察しているうちに、レイクはいつの間にか椅子から腰を浮かせて前傾姿勢になっていた。


「あの……先生? ちょっと、近いかもしれないです」


 言われてレイクは意識を戻した。リビラの顔がほんの数十センチ手前にあった。まるで接吻を交わす前のような距離。一瞬視線を絡ませた後、レイクは急いで身体ごと距離を取って椅子に腰を落とした。


「……すみません、必要なことだったとはいえ、節度のない振る舞いをしてしまいした」

「いえ、そんな……。あたしこそごめんなさい」


 リビラが気まずそうに視線を落とす。さっきからお互いに謝ってばかりだ。どうも彼女が相手だと調子が狂う。


「……調べたところ、見た目ほど深手ではないようです」レイクが壁の方に視線を向けながら言った。「軟膏を塗れば一、二週間で治るでしょう。傷跡が残ることもないと思いますよ」


「そうですか……。よかったです」


「身体の傷も同じですね。傷口の範囲は広いが、時間が経てば消えるものばかりです。あなたの身体に傷が付かなくて、本当によかった……」


 最後の言葉は意識せずに出たものだった。リビラが息を吞んでレイクを見たが、その時のレイクは遠い目をして壁の方を見つめていたので、彼女の視線には気づかなかった。


「それでは軟膏を処方しておきましょう。ご自宅に帰ってから塗布していただけますか?」


 レイクが包帯と軟膏をリビラの方に差し出す。だがリビラはなぜか受け取ろうとしなった。視線を落として包帯と軟膏を見つめた後、ちらりとレイクの方を見て続けた。


「あの……先生、できたらここで塗っていただけませんか?」


「え? ですが……」


「……ほら、この前は腕だけでしたけど、今日は全身でしょう? 背中にも傷がありますし、さすがに一人じゃ塗るの大変かなと思って……」


「それはそうですが……よろしいのですか?」


「……はい、お願いします」


 そう言ったリビラの顔にはなぜか緊張感が滲んでいるように見えた。それはレイクにも伝染したが、表情や声色には出さず、「わかりました」と言って頷いた。新しい手袋を嵌め、腕から順番に軟膏を塗っていく。手袋越しではあっても、その肌の滑らかさが伝わってきて妙に指先が強張ってしまう。リビラが呼吸をするたびに胸部がゆっくりと上気し、そのたびに自分の指先もつられて震えた。

 努めて無心を保ちながら前面への塗布を終え、次いで後ろを向かせて背中にも塗布する。うなじから始まり、それから肩甲骨へと降りていく。鎖骨だけでなく肩甲骨もくっきりと浮き上がっていて、蛍光灯の灯りの下でも妙に艶めいて見えた。


 軟膏を渇かしてから今度は身体に包帯を巻いたが、そこでも妙に緊張して普段より巻くのに苦労した。特に二の腕周りに巻く時には、手が胸部に当たらないように細心の注意を払った。おかげでひどく時間がかかってしまったが、リビラは何も言わずにレイクの手先を見つめていた。


 時々レイクが顔を上げると、じっと自分の顔を見つめている彼女と目が合い、そのたびにレイクは身体に電流が走ったような感覚に襲われた。


 いっそこのまま、一線を越えれば――。そんな衝動が湧き上がるのを感じたが、何度もかぶりを振って衝動を抑えつけた。

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