闇の魔術師

6-1

 魔術師の存在する王国、クリスティアラでは、年に一度、王都クリスタナにて闘技大会が開かれる。そこでは魔術師を含めた腕自慢の戦士が集い、多額の賞金と王者の台座をかけて熾烈な争いを繰り広げていた。


 今、その闘技大会の場で、二人の男が相対していた。一人は前回優勝者の剣士。幾多の試合を経ていながらも手にした長剣は刃こぼれ一つなく、剣士自身もまた、戦いの疲れを感じさせない余裕を表情に滲ませていた。

 それもそのはず、彼が今向かい合っている相手は、これまで一度も闘技大会に出場したことのない無名の魔術師だったからだ。フードの付いた黒いフードを被っているせいで面立ちは全く見えず、年齢もわからない。唯一正体を指し示すのは手に握られた長い杖で、先端に付いた黒水晶が、闇を映し出すように怪しく煌めいている。


「それではこれより決勝戦を開始する。両者、構え……!」


 二人の間に立つ審判の男が高らかに告げる。剣士は武器を構えて腰を落としたが、フードの人物は微動だにしなかった。彫像のようにその場に佇んで相手を見据えている。


「開始!」


 審判の男の男が叫ぶと同時に剣士は地面を蹴って駆け出した。フードの人物が動くよりも早くその懐に斬り込もうとする。


 だが、刃がローブを切り裂こうとしたその刹那、不意に剣士は動きを止めた。足が突然石のように重くなったのだ。その場で剣を振り上げようにも、今度は手に枷が嵌められたかのように動かなくなる。

 剣士は何事かと首を左右させたが、そこでフードの人物と目が合った。顔貌を覆う漆黒のフードの奥から,血のように赤い双眸が覗く。


「……我に楯突くとは愚かな人間よ。その愚昧さを、身を以て思い知るがいい」


 地の底から響くような低い声が耳朶を捉えた次の瞬間、剣士の全身に刺すような痛みが走った。

 次の瞬間、彼の身体は末梢から氷で覆われていった。氷はどんどん面積を広げて彼の胴体にまで手を伸ばし、ついには首を伝って顔貌にまで到達した。自らが氷の彫像と化していくのを察知した剣士の顔に恐怖が浮かぶ。


「た……頼む! 助けてくれ! どうか命だけは……!」


 剣士は必死に懇願するが、フードの魔術師はやはり微動だにしない。赤い双眸は瞬きもせず、凍てつく剣士の身体を無感情のまま見つめている。

 やがて氷が剣士の口元にまで達し、彼はとうとう声を発することができなくなった。氷は鼻と目も覆い、顔の自由を奪われた男は文字通り硬直する。目を見開き、恐怖に顔を引き攣らせたその姿は、彫像らしい美しさを欠片も感じさせなかった。


 フードの人物は感情のこもらない目で凍りついた剣士を見つめていたが、やがて興味をなくしたように視線を落とすと、手にしていた杖を軽く一振りした。途端に氷に亀裂が走り、間もなく氷片となって砕け散る。差し込む日光が氷片を溶かした時には、そこに捕らわれた剣士の姿は跡形もなく消えていた。


 誰も、声を発する者はなかった。観客も、審判の男も、目の前の事態に理解が追いつかずに絶句している。

 最初に我に返ったのは審判の男で、彼は自分の役目を果たすべく大声を張り上げた。


「そ……そこまで! 決勝戦を制したのはグリム! 大会初出場の無名の魔術師が、前回優勝者のゴードンを破ったぞおぉ!」


 審判の男の声につられて興奮が戻ったのか、客席から湧き上がるような歓声が起こる。グリム、グリム、と誰もが彼の名前を呼び、新たな王者の誕生を歓迎している。


 だが、当の魔術師――グリムは声援にも少しも興味を惹かれた様子はなく、自身の魔力を宿した黒水晶を見つめているだけだった。

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