6-9

 静まりかえった室内を貫く痛哭。その悲痛な響きは先ほどまでは幾許の痛みを感じさせたが、今はもうグリムの心が乱されることはなかった。頭が冴え渡り、自分が成すべきことが明瞭になっていく。


「……悪魔、か」


 グリムが低い声で呟いた。そのまま右手に視線を落とす。黒く血管の浮いたその手は、確かに悪魔と形容するのが相応しい。


「魔術師は人にあらず。お前がそれを悪魔と称するのならば我に異存はない。

 だが、その名を我に与えた代償として……お前には我の贄となってもらう」


 口調に只ならぬものを感じ取ったのか、フェリカがそろりと顔を上げる。グリムはその顔を無感動に見つめると、フィリップの心臓を床に投げ捨てた。フェリカが目を剥くのが見えたが、彼女が口を開くより先にグリムは意思を持って右手を伸ばした。フェリカが避ける間もなく右手は彼女の胸に食い込み、その奥にある心臓を引き摺りだそうとする。


「あ……、あああ……!」


 耳を覆いたくなるような苦悶の声が響くもグリムは顔色を変えなかった。やがてずるりと手が引き抜かれ、血を滴らせた心臓が姿を現す。心臓を抜かれたフェリカは虚ろな視線を彷徨わせていたが、やがてゆっくりと目を閉じると、フィリップの遺骸と折り重なるようにして頽れた。


 床に伏したフェリカにグリムは視線をくれ、それから右手に握った彼女の心臓を見つめた。心臓はわずかではあるが鼓動を保ち、彼女がまだ生きていることを伝えてくる。

 しばらくそのままの体勢でいた後、グリムはおもむろに彼女の心臓を自らの口に放り込んだ。珍味を味わうかのようにゆっくりと咀嚼し、やがて音を立てて飲み込む。心臓が喉元を通り過ぎた時、フェリカの呼吸は完全に停止した。


 これでいい。口腔内に残る血の味を噛み締めながら、グリムは一人頷いた。この哀れな小娘は所詮供物に過ぎぬ。その血肉を我の糧とし、我が生を永らえさせるための贄となる。卑しい人間になど、その程度しか価値はないのだ。


 床に伏す二人に一瞥をくれた後、グリムは入口に向かって歩き出した。その顔に後悔は浮かんでおらず、歪んだ口元には笑みが浮かんでいる。

 我は今、神によって新たな力を与えられた。いや、それを与えたのは悪魔だったのかもしれないが、どちらにしても同じことだ。我は選ばれた存在として、不老不死を約束された。もう鏡に映る己が姿を憂えることも、天寿を前に暗鬱とすることもない。人間の魂を奪い、それを己の命に転化することで、我は終わりのない生を生きることができる。


 そうだ。手に入らぬのなら、奪えばいい。我は悪魔。人間の魂を喰らい生きるもの。この力を以て永遠の生を享受し、最強の魔術師として君臨し続けるのだ。








 その日以来、グリムは城から姿を消した。フェリカ達の遺骸を発見した王は、その異様な状況からグリムの手による犯行と察知し、彼を重大犯罪人として指名手配した。

 だが、麾下にどれだけ手を尽くして調べさせても、彼を見つけ出すことは一向にできなかった。


 二人の遺骸は解剖に回されたが、そこにも彼の痕跡を示すものはなかった。ただ、心臓があるべき場所に不自然な空間ができているだけだ。フィリップの心臓は床に放置されたままになっていたが、発見された時にはすでに腐り始めていて、それがかつて彼の生命を刻んでいた臓器であることに気づく者はいなかった。


 グリムの失踪と時を同じくして、各地で黒き神殿が目撃されるようになった。朽ちた柱と壁を持つ不気味な神殿で、まるで冥府への入口のような暗鬱な雰囲気を漂わせていたという。

 王は調査隊を派遣したが、神殿は近づくと幽霊のように姿を消してしまった。その内部に何が潜んでいるかは、今日に至るまで明らかになっていない。


 四元素を操る魔術師、グリムはこうしてクリスティアラから姿を消した。


 彼が魔術師の帝王、グリムロードとしてこの地に蘇るのは、数年後の話である。




[闇の魔術師 了]

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氷結の魔術師 ―雫の追憶― 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara

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