3-9

「ふわぁ……。なんか話してるうちに眠くなってきちゃいました。今何時ですか?」


 シリカが欠伸をしながら尋ねる。レイクは壁の時計を見た。時刻は夜の十時五十分過ぎ。随分と話し込んでしまったようだ。


「もう十一時前だ。遅くまで引き留めてしまって悪かったね。さすがにこの時間に一人で帰らせるわけにはいかないから送っていくよ」


「大丈夫ですよ! 家はすぐそこですし、ずっと先生に付き合ってもらうのも悪いですもん!」


「そうはいかないよ。君の身に何かあったらリビラに申し訳が立たない」


「でも……」


「ほら、言っている間に支度をするんだ。あまり遅くなったらリビラに叱られてしまうよ」


「……はぁい」


 シリカが渋々といった様子で荷物を取りに行く。レイクはその間に白衣を脱いでクローゼットにコートを取りに行った。




 深夜近いこともあって外は人通りが少なく、街灯があっても辺りは濃厚な闇に包まれていた。

 ミストヴィルに盗賊が現れるのは大抵が昼間で、夜に住民が暴漢に襲われたという話は聞いたことがない。それでも万が一ということがあるため、レイクはシリカとはぐれないよう、リビラがよくしていたように彼女の手を引いて夜道を歩いた。

 シリカは大人しく手を握り返してきた。レイクの大きい手の中にシリカの手はすっぽりと収まり、まるで子どもを連れて歩いているような気分だった。


 歩きながらもシリカは怖々とした様子で辺りを見回している。きっと暗がりが怖いのだろう。こんな夜道を今まで一人で帰らせていたことにレイクは申し訳なさを感じ、今度からリビラが迎えに来られない時には、必ずシリカを送り届けようと決めた。


 十分ほど歩いたところでシリカの家に着いた。レイクが扉をノックするとすぐに中から駆けてくる音がして、扉が開いてリビラが姿を現した。帰宅したばかりなのか、夜だというのにいつものコート姿のままだ。


「あ、レイク! ごめん、今診療所に行こうと思ってたとこで……シリカは?」


 息せき切った様子でリビラが尋ねてくる。妹の帰りが遅いことを心配していたのだろう、顔に狼狽が浮かんでいる。


「ここにいる。いつもより遅くなってしまったから送ることにしたんだ」


 レイクが視線を落とし、リビラも釣られて下を見る。姉と目が合うとシリカはぱっと顔を輝かせた。


「お姉ちゃん! ただいま! あのね、今日レイク先生のとこで塗り薬作ったんだよ!」


「塗り薬?」


「そう! ほら、これ見て!」


 シリカが容器に入った軟膏を両手で差し出す。リビラはそれを受け取って眺めた後、納得したように頷いて言った。


「そう。調合に夢中になりすぎてこんなに遅くなったってわけね。頑張るのはいいけど適当なとこで切り上げないと、あんたがいつまでも帰ってこないから心配してたのよ?」


「うん、ごめんね。お薬作るのって楽しいから、つい時間忘れちゃうんだ!」


「自分一人で楽しむだけならいいけど、人のことも考えなくちゃダメよ? 遅くなったらその分レイクが困るんだから」


「でも……今日遅くなったのは、先生とお話ししてたからで……」


「言い訳しないの。第一あんた、ここのとこずっとレイクのとこに入り浸ってるでしょ? レイクが優しいからってあんまり甘えちゃダメよ」


 叱られるような格好になってシリカがしゅんと視線を落とす。見かねてレイクが口を挟んだ。


「リビラ。シリカをあまり怒らないでやってくれ。彼女がこれほど遅くまで頑張っているのは君のためなんだよ」


「あたしの?」


「ああ。君が盗賊との戦闘で怪我をした際、自分の薬で治してあげたいと言ってね。彼女が連日僕のところに来ているのも、怪我に効く軟膏の調合に取り組んでいたからなんだよ」


 うつむいているシリカの肩にレイクがそっと手を乗せる。リビラは彼と妹の顔を交互に見つめた後、シリカの方を向いて尋ねた。


「……そう。それじゃもしかして、あんたが薬学を学びたいって言ったのはあたしのためなの? あたしがいつ怪我してもいいように、自分で薬を作れるようになろうって?」


 シリカが無言で頷いた。リビラは軽くため息をつくと、腰を屈めてシリカと視線を合わせた。


「そう……。事情も知らないのに怒っちゃってごめんね。あたし、本当はずっと心配してたのよ。最近あんたはずっと難しい本読んでて、夜も遅くまで起きてるじゃない? だから無理してるんじゃないかって気になってたの。それでさっきみたいに叱っちゃって……。せっかくあたしのために頑張ってくれたのにごめんね」


「ううん……。私もごめん。自分が頑張るばっかりで、お姉ちゃんに心配かけてること全然気づかなかったから……。

 それにレイク先生にも甘えてたかも。先生だって忙しいのわかってるのに付き合わせちゃって……」


「そうね。……まぁ、レイクにはあたしも時々甘えさせてもらってるからあんまり人のことは言えないんだけど……。とりあえず今度からはもうちょっと早く帰ってきなさい。頑張り過ぎてあんたが倒れたら意味ないんだからね?」


「うん、ごめんね。レイク先生も、いろいろと教えてもらってありがとうございました!」シリカがレイクに向き直って頭を下げる。

「先生に教えてもらったおかげでお薬の作り方も覚えられましたし、これからは一人で調合ができるようにしますね!」


「そうかい。なら薬学講義は今日で一旦終了にしよう。でも、何かわからないことや知りたいことがあればいつでも来てくれて構わないよ」


「はい! またよろしくお願いします!」


 シリカがにっこり笑ってもう一度頭を下げる。元気を取り戻したその姿を見てレイクもふっと笑みを浮かべた。この愛らしい少女には、沈んだ顔よりも笑顔の方が似合う。

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