6-7
グリムの予想に反し、フェリカが自らの意思を翻すことはなかった。
宣言通りフェリカはグリムの部屋を訪れなくなり、魔法講義を受けることはおろか、掃除に来ることさえもなくなった。
最初の頃は鷹揚に構えていたグリムも、彼女の来訪がない日が続くと途端に落ち着かなくなり、読書をしても魔術の訓練をしていてもまるで身が入らなくなった。
そんな経験は初めてだったから、グリムは当惑すると同時にひどい苛立ちを覚えた。なぜ、崇高なる魔術師である我が、人間風情に煩わされねばならないのだ。
待てど暮らせどフェリカが現れる気配がなかったので、グリムはついに習慣を変えて部屋から出ることにした。彼が廊下を闊歩するたび人々は恐れをなして道を空けたが、グリムは彼らのことなど眼中になかった。彼が求めていたのはフェリカ一人だったが、フェリカは身を隠しているのか、一向にグリムの前に現れる気配がなかった。
それから早一か月が経ったある日、グリムはフェリカを探して廊下を歩いていた。
相変わらずフェリカはグリムの前に現れず、グリムの鬱積は募るばかりだった。彼女を渇望するあまり、国王に彼女を遣わすよう進言しようかとも考えたが、彼の魔術師としての矜持がそれを実行に移すことを押し留めた。魔術師である自分が人間に懇請するなど考えられない。
そもそもフェリカが自分を避けていること自体が異様なのだ。しがない使用人でしかない彼女が、魔術師の益となる機会が与えられた。彼女はそのことを名誉に思うべきであり、自らの意思で我の元に来るべきなのだ。グリムは自身が抱くその考えが、他の人間にもあるものと信じて疑わなかった。
その時、不意に物音が聞こえてグリムは足を止めた。音は廊下の端にある部屋から聞こえているらしく、半開きになった扉から中が覗けるようになっている。グリムは壁に背を付け、自分の姿が見えないようにして室内を覗き込んだ。
そこはかつて客室として使われていたが、老朽化が進んでいるため、現在は使用されていない部屋だった。グリムがそのことを知っているのは、仲違いする前のフェリカが教えてくれたからだ。掃除以外で人が部屋に入ることはないため、仕事で疲れた時にはこっそりそこで休んでいるのだとフェリカは言っていた。
今、その部屋の中にフェリカがいた。だが彼女は一人ではなかった。もう一人、若い男が一緒にいた。見窄らしい衣服を身につけていることからしてフェリカと同じ使用人だろう。グリムは当然その男の顔を知らなかった。会ったことはあるのかもしれないが、彼は元より人間など眼中になく、まして使用人など存在しないも同然だった。
フェリカとその男は部屋の真ん中で抱き合っていた。まさか見られているとは思ってもみないのか、互いに身体を弄るようにしながら唇を貪っている。腕を絡ませ、身体を密着させたその姿を見れば、色事に無縁なグリムであっても、二人が愛し合っていることは容易に察せられた。
グリムはその光景を見て身動きが取れなくなった。フェリカが、自分以外の男の愛を受け入れている。自分のことはあれほど頑なに拒んでいたのに、こんな見劣りのする、使用人風情でしかない男と、あられもない姿で抱擁と接吻を交わしている――。
それからの行動は早かった。グリムは乱暴に扉を開けて部屋に押し入った。フェリカと男がびくりと肩を上げて互いに身を離す。
「貴様ら……ここで何をしている?」
凄みを利かせて二人を睥睨する。彼の形相を見たフェリカは震え上がったが、男の方は意外にも怯えた様子を見せず、グリムの眼から彼女を隠すように立ちはだかった。
「あなたですか? 彼女を襲った魔術師というのは。今ご覧になったとおり、僕と彼女は愛し合っています。もう彼女に近づくのは止めていただけませんか?」
勇敢なる男の言動は、グリムの心に凄まじい激情の炎を燃え上がらせた。なぜ、この我が、卑しい人間などに苦言を呈されなければなるまい?
「貴様……誰に向かって口を利いているのか理解しているのか? 我はグリム。四元素の力を掌握する魔術師なり。我に楯突いたとあっては国王が黙っておらぬぞ」
「それが何です? あなたはすごい魔術師かもしれませんが、だからって女性を襲っていいことにはならないでしょう。国王様も国王様です。あなたの機嫌伺いに彼女を差し出そうとするなんて……。こんな危ない場所に彼女を置いておくわけにはいきません。僕は近いうちに彼女を連れてここを出るつもりです」
「出奔だと? 世迷い言を。貴様らのような力も知恵も持たぬ者どもに行き先があると思うのか?」
「そんなことは試してみなきゃわからないでしょう。第一あなたが何を知ってるって言うんです? ずっと部屋に引き籠もって人前に出ないで、そのくせ人を見下して乱暴で……そんなだから彼女にも嫌われるんですよ」
「何だと?」
ひくりと頬を引き攣らせて男を睨む。フェリカが制止するかのように男の腕に手を置いた。男を庇うようなその動作がグリムはまた気に入らなかった。
「我を愚弄するとは……貴様、余程の愚者か命知らずと見えるな。我の手にかかれば、貴様をこの場で凍結させることなど造作もないのだぞ?」
「そうやって僕を脅すつもりですか? 無駄ですよ。僕は魔法なんて怖くありませんからね。第一、あなたが本当に魔術師かってことも怪しいですね。人前に出ないのだって、自分が本当は魔法が使えなくて、弱いことを隠してるだけじゃないですか?」
「何だと!?」
さすがに癪に障ってグリムが声を張り上げる。フェリカが怯えた顔で身を引いたが、男は顔色を変えずに真正面からグリムを見返している。
「貴様……撤回しろ! 我は魔術師だ! それを否定することは許さぬ!」
「ならそれでもいいですけど、どっちにしてもあなたは可哀想な人だと思いますよ。自分の立場に固執して、力に任せて人を支配することしかできないんですからね。たまたま魔力が強いからみんなあなたに従ってますけど、そうでなかったら誰もあなたの味方になんてならない。誰もあなたのことを愛してなんかくれませんよ」
愛、という言葉に胸を衝かれる。愛、グリムが見下していた人間の感情の中でも、それは最も唾棄すべき感情だった。愛などという感情があるからこそ、人は心を乱され、理性を失い、欲望の奴隷となって自らを破滅させていく。
そんな人間の醜聞を耳にするたびにグリムは内心嗤笑していた。他人など所詮は自らの駒に過ぎないのに、その他人のために自らを犠牲にするなど愚の骨頂でしかない。魔術師である自分はそのような低俗な感情とは無縁であり、グリムはそのことを喜んでいた。
だのに、どうしてだろう。男が放った言葉はナイフのようにグリムの心を抉り、呪詛のように彼の脳内を蝕んでいく。
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