6-4

 鬱屈とした気分を晴らそうとグリムは書棚に向かった。魔術書を読んで精神を集中させようと考えたのだ。

 だが、部屋にある魔術書はどれも擦り切れるほどに読んでいて、内容は全て頭に入っている。これでは気分転換になりそうもない。新しい魔術書を購入すべきだろうか。そう考えてグリムは入り口に置いてある書箱の方に向かった。


 その時、急に扉が開かれ、グリムは身体をぶつけて床に尻餅をついた。怪我をすることはなかったが、それでも鬱屈とした気持ちも相俟って怒りが沸いた。


「何をする! 部屋に立ち入るときは合図をしろと教えていたではないか!?」


 眦を吊り上げて侵入者を睥睨する。他人が部屋に出入りすることはやむを得なかったが、それでも自分の時間を邪魔されることは我慢ならなかった。


「も、申し訳ございません……! 人がいるとは知らなかったもので……!」


 高い声が振ってきたのはその時だ。グリムは床に座り込んだままその人間を見上げた。若い女で、長い黒髪を後頭部で一つに束ねている。顔に化粧気はなく、粗末な衣服の上にエプロンを身につけている。新しい召使いだろうか。


「貴様……何者だ?」グリムが立ち上がりながら尋ねる。


「あ、も、申し遅れました……。私は小間使いのフェリカという者でございます」女が頭を下げながら言った。

「本日よりこの王城でお世話になることになりまして。さっそくお掃除を申しつけられたものですから、順番に回っていたところでございます」


「私室の清掃は、我が不在の時にするよう申しつけていたはずだが?」


「そ、それは存じておりませんでした。何分今日が初めての仕事なもので……。不躾なことをしてしまい申し訳ございません」


 フェリカが恐縮しながら何度も頭を下げる。彼女の低姿勢な態度を見てグリムの怒りも幾分和らいだ。


「もうよい。我は多忙の身。早くこの場を立ち去るがよい」

「はい……。申し訳ございません」


 フェリカは項垂れて部屋を出て行こうとしたが、そこで書棚に並んだ魔術書に目を留めた。視線を滑らせて凝視した後、グリムの方を見て尋ねる。


「あの……失礼なことをお尋ねしますが、あなた様は魔術師でいらっしゃるのですか?」


「いかにも。我が名はグリム。四元素の力を掌握する魔術師である」


「まぁ……。では、国王様の側近である魔術師というのはあなたのことですの?」


「左様。だが我は王に仕えているのではない。双方の利害が一致したゆえに協力しているまでだ」


「そうでしたの……。でも魔法をお使いになるなんてすごいですわ。噂に聞いただけですけれど、何もないところから火を出したり、風を起こしたりなさるのでしょう?」


「うむ。一介の魔術師であれば一元素しか使役できぬが、我は四元素全てを掌握する。そのため、炎と風を同時に生じさせることも可能だ」


「まぁ……なんて素晴らしいんでしょう。それだけの力をお持ちだなんて、グリム様は優秀な魔術師でいらっしゃいますのね」


 両手を胸の前で組み合わせたフェリカが賞賛の眼差しで見つめてくる。畏怖されることはあれど賛美されることに慣れていないグリムは、何となく居心地の悪い思いがした。


「それよりも、ここで長居していてよいのか? 確か清掃の途中だと聞いたが」

「あっ、そうでした! 早く戻らないと叱られてしまいます!」


 フェリカがぱちんと両手を合わせ、スカートをたくし上げて慌ただしく扉の方に駆けていく。そのまま扉を潜ろうとしたところで立ち止まり、「本日は大変失礼いたしました!」と言って勢いよく頭を下げた。グリムが言葉を返す間もなくフェリカは扉を開けて出て行く。嵐のように現れては去っていった彼女の姿を、グリムは呆気に取られて見つめた。


 奇妙な女だ。まず抱いた印象がそれだった。これまでグリムと関わった者は、魔力の強さに恐れをなして逃げ出すか、不遜な態度に悪態をつくかのいずれかで、好意的な反応を示す者は一人もいなかった。

 だけど、フェリカの態度は彼らとは全く違っていて、心からの賛美と尊敬を持ってグリムに接してくれた。


 フェリカのその態度は、グリムの心に知らず凪をもたらしていた。渇き切った心の砂漠に、一滴の雫がもたらされたかのような感覚。それは彼の心を支配していた虚無を拭い去り、無聊な人生に一条の光をもたらす灯火となったのだった。

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