6-5

 その日以降、グリムの生活は少しだけ変わった。彼自身は相変わらず王城に籠もりきりだったが、そこにフェリカが加わったのだ。


 フェリカはそそっかしい性格のようで、三日に一度はグリムがいる時に部屋を掃除に来ては、注意されたことを思い出して平謝りしてきた。だがグリムは彼女を追い払おうとはせず、自分が部屋にいる状態での清掃を許可した。

 フェリカは最初当惑したようだったが、元々細かいことを気にしない性格なのだろう。すぐに慣れ、グリムが魔術書を読んでいる傍らで掃除をする日々が続いた。


 フェリカは好奇心旺盛な性格らしく、掃除の合間にグリムが読んでいる魔術書を覗き込んでは、それは何の魔法に関する本なのかと尋ねてきた。人間である彼女に魔法が理解できるはずもなかったが、それでもグリムは説明してやった。以前の彼ならば、人間に自分の時間を邪魔されることなど我慢ならなかっただろうが、フェリカが相手であれば、不思議と厭わしいとは思わなかった。


 グリムが魔法について語るたび、フェリカは貪るようにして話を聞いた。自分なりに魔法を理解しようというのか、仕事用のノートにメモを取り、不明な点を質問してきた。そうした会話もグリムは煩わしいとは思わず、彼女の疑問に逐一答えてやった。

 魔力を持たない者に魔法を教えたところで時間を徒爾にするだけ。それがわかっていながらも、グリムは彼女への講義を止めようとは思わなかった。子どものように目を輝かせて話に聞き入る彼女の姿を見ていると、荒みきった心が洗われていくような気がした。


 自分がフェリカの来訪を心待ちにしていることに気づいた時、グリムはひどく動揺した。

 崇高なる魔術師である自分が、人間風情との交流を望むなど、あり得ない――。そう思う一方で、いざ彼女が来ない日が続くと、グリムはいつにない索漠に襲われた。感情の乱高下を繰り返すたび、これでは浅ましい人間そのものではないかと自らを呪いたくなったが、それでも心を偽ることはできなかった。 




 グリムがフェリカと出会って半年が経った頃、彼は王に呼び出されて王の間に来ていた。

 玉座にはクリスティアラの初代国王が鎮座している。大柄の体躯を碧色のガウンで包み、頭部に王冠を乗せた姿はいかにも王らしかったが、グリムからすれば彼も一介の人間に過ぎず、欠片も敬意を払ってなどいなかった。


 王の命令は盗賊の討伐だった。王都周辺で猖獗を極めているため、民の安全のためにも捕縛せよと。ただし命までは奪ってはならない。グリムの魔力を以てすれば、敵を凍結し、あるいは煉獄の中で絶命させることも容易かったが、王はそのような殺戮を望まなかった。手ぬるい男よ、と内心で冷笑する。


 仕事の説明を受けたところでグリムは立ち去ろうとする。相手が国王とはいえ、人間との不毛な問答に時間を費やすつもりは端からなかった。

 だが、彼が王の間を出ようとする直前、王が声をかけてきた。


「グリムよ、お前がこの王城に来て何年になる?」


「三十年だ。それがどうした?」


「いや、お前は長年にわたって我が国に貢献している。そのことに対し、改めて謝意を示したいと思ってな」


「我は我の利益のためにここにいる。礼など不要だ」


「そう言うな。お前へのこれまでの功績を思えば、褒美を与えたいと思うのは人の道理。何か所望するものはないか?」


「我に物欲はない。所望するものなど……」


 そこで不意にフェリカの顔が浮かび、同時に得体の知れない感情が胸の内で疼いた。そんな経験は今までになく、グリムは我が身に起こった事態を把握し得なかった。


「どうした? 何か所望するものがあるなら申してみよ。わしの力の及ぶ範囲であれば望みを叶えてやろう」


 グリムは逡巡した。今、湧き上がったこの感情を言葉にしてよいものだろうか。所詮はさもしい人間も同じと嘲笑われはしないだろうか。

 しばし逡巡したものの、他に望みがあるとも思えなかった。グリムは国王の顔を真正面から見返した後、あることを口にした。

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