3-2

 ある日、レイクは午前中の診療が一段落したところでカルテを書いていた。いつもは診療終了時刻間際まで患者がひっきりなしに訪れるのだが、今日は珍しく落ち着いている。こんな風に余裕があるのは滅多にないことだった。


 レイクは一瞬、自分が住民から忘れ去られたのではないかと危惧したが、すぐにその考えを頭から振り払った。

 少し時間ができたくらいで不安になってどうする。昨日までは待合室に患者が溢れ返っていたし、今日の午後からも診察の予約が三件入っている。今手が空いているのは単なる偶然だ。僕が必要とされなくなったわけではない。


 冷静さを取り戻してカルテの記入を再開しようとしたところで、玄関の扉が開く音がした。新しい患者が来たのだろうか。


 レイクはペンを置いて待合室に向かおうとしたが、それより早く診察室の入口に一人の人物が現れた。


「あ、レイク先生! こんにちは! 今って大丈夫ですか?」


 そう声をかけてきたのは一人の少女だった。青い髪をおかっぱにし、白いケーブに青色のフレアスカートを合わせ、青いリボン付きの白いブーツを履いた格好をしている。

 リビラの妹のシリカだ。リビラに連れられて何度か診療所に来たことがある。確か今年で十四歳になるはずだが、小柄な体格と髪型のせいで実年齢よりも二、三歳は幼く見えた。


「やぁシリカ、君が一人で来るなんて珍しいね」


「そうなんです! 本当はお姉ちゃんと一緒に来ようと思ったんですけど、お姉ちゃんは長老のとこに行ってていなくって」


「そうか。それで、今日はどうしたんだい?」


「実は転んで怪我しちゃって。先生に診てもらおうと思ったんです」


「怪我か。どの辺りだい?」


「ここです。膝のところです」


 シリカが言って自分の右膝を指差す。膝上丈のスカートから覗く膝小僧が擦り剝けて赤くなっていた。


「ふむ……。深手ではなさそうだが、放置して化膿したら大変だ。詳しく診るからそこに掛けてくれるかい?」レイクが自分の向かいにある丸椅子を手で差し示した。


「あ、診てくれるんですか!?」


「当然だよ。君もそのために来たんだろう?」


「そうなんですけど……先生いつも忙しそうだから、膝擦り剝いたくらいじゃ無理かなって思ってたんです」


「どんな怪我でも診察を惰るつもりはないよ。何が病気の元になるかわからないからね」


「わぁ、よかった! やっぱり先生に相談してよかったです!」


 シリカがぴょこんと跳ねながら満面の笑みを浮かべる。愛らしいその表情と動作を眺めながら、レイクは自然と和んだ気持ちになっていた。


 シリカを椅子に座らせたところで、レイクは改めて傷の具合を確認した。石畳の上で転んだのだろう。傷口には細かな石の破片がいくつか入り込んでいた。

 レイクは洗面器に水を汲んできてその上で傷口を洗い流し、それから脱脂綿に消毒液を沁み込ませて消毒してやった。消毒液が染みるのか、脱脂綿を当てている間シリカはぎゅっと目を瞑っていた。


「後は化膿しないように軟膏を塗って、それから包帯を巻いておこう」レイクは言った。「軟膏は自分で塗るかい?」


「あ……えっと、どうしようかな……」シリカが顔を赤らめてもじもじする。


「恥ずかしいのなら自分で塗っても構わない。膝なら一人でも塗れるだろうからね」


「うーん。でもやっぱりお願いしてもいいですか? 私、一回先生にお薬塗ってもらいたいなぁって思ってたんです!」


「構わないが……どうしてそう思ったんだい?」


「だってお姉ちゃんはいつも塗ってもらってるじゃないですか。一人だけずるいなっていつも思ってたんです!」


 シリカが軽く頬を膨らませる。レイクはしばらく呆気に取られていたが、やがて苦笑を漏らして言った。


「……まいったな。リビラはそんなことまで君に話しているのかい?」


「お姉ちゃんが話したわけじゃないです。私にはいつも病院に行くって言うだけで、先生のことも何にも教えてくれないんです。

 でもお姉ちゃん、病院行く日になるとすごくそわそわしてるんですよ。髪の毛とかもいつもより綺麗にして。ただ診察してもらうだけならそんなことしないですよね?」


 シリカの観察眼の鋭さにレイクは舌を巻きたくなった。同時に、自分の知らないリビラのいじらしい一面を知って愛おしさが込み上げてくる。


「……そうだね。彼女がここに来る目的が診察だけではないのは事実だ」


「やっぱり! え、いつからなんですか!?」シリカが顔を輝かせる。


「二年前だ。彼女が患者としてここに来て、それから……いろいろあって交際することになった」


「わぁ、そうなんですか!? ね、詳しく聞かせてくださいよ!」


 シリカが興味津々といった様子で身を乗り出してくる。その様子を見るに、怪我の治療をしてほしいというのは診療所に来る口実で、本当はこの話を聞き出すのが目的だったのかもしれないとレイクは思った。


「……悪いが、さすがにそれは話せないよ」


「えー、何でですか? 教えてくださいよー!」シリカが足をばたつかせる。


「個人的なことだからね。知りたいならリビラに直接聞いたらどうだい?」


「お姉ちゃんは話してくれないんですもん。私にはまだ早いって言うんです」


「彼女がそう言うならなおさら僕からは話せないよ。もう少し大人になってから聞いたらどうだい?」


「あー、先生まで私のこと子ども扱いして! 私だってもう十四歳なんですよ! 立派な大人です!」


 シリカがむくれた顔で両手を振り下ろす。その言動がまさに子どもらしいのだが、レイクは口に出さず、微笑みを返すに留めておいた。

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