5-11

 王都の外れにある路地の一角。ルークは今日も店台の前に腰掛け、研磨作業にいそしんでいた。親方は外出して店にいない。最近こうして店番を任される機会が増えた気がする。少しは信頼されてきたのだろうか。


 彫金は単純作業なので、ふと気づけば他のことを考えていることがある。今頭に浮かんだのはレイクのことだった。

 二週間前、自作の指輪を彼に渡した時のことを思い出す。拙いながらも心を込めて作った指輪。先生はあれを彼女に渡せただろうか。レイクのプロポーズを断る女性がいるとは思えなかったが、それでも指輪の出来が悪いせいでプロポーズが失敗したらと考えるとルークは気が気ではなかった。


 それにしても、先生の相手はいったいどんな人なんだろう。あの先生が選ぶくらいだから、きっと素敵な人に違いない。ぜひ一度会ってみたいが、先生はその人を連れてきてくれるだろうか。何ならこっちから会いに行く手もある。実際に会えばイメージも湧き、もっとその人に似合うアクセサリーを作れるようになるだろう。それでレイクとその恋人が喜んでくれるのなら、ルークにとってそれ以上の喜びはなかった。


 その時、不意にカラン、と音を立てて扉が開いた。ルークが顔を上げると、今まさに頭に浮かべていた人がそこにいた。銀縁眼鏡が似合う理知的な男性。レイクだ。


「あれ? レイク先生? どうしたんすか?」


 きょとんとしてルークは尋ねる。レイクはミストヴィルで多忙な生活を送っており、王都にはあまり来られないと言っていた。だからこんなに早く再会するとは予想外だった。


「あ、もしかしてあれっすか!? プロポーズが上手くいったから報告しに来てくれたとか!?」


 期待を込めて尋ねるも、レイクはなぜか浮かない顔をしていた。しばらくためらった様子を見せた後、おもむろにジャケットの内ポケットから何かを取り出す。見覚えのある小箱が手に握られていた。


「ルーク……。すまないが、これを返すよ」


 そう言って差し出されたのは、紛れもなくあの指輪を入れていた小箱だった。一度も取り出されなかったかのように、箱には傷一つ付いていない。


「え……。どういうことっすか? 何でこれがここに……」


「……必要なくなったんだ。少なくとも、今は」


「え……え? どういうことっすか? まさか先生、振られたんすか!?」


「いや……そうじゃない。渡せなかったんだ」


「渡せなかった? え、どういうことっすか?」


 混乱が頭を駆け巡り、つい同じ質問を繰り返してしまう。だがレイクは悄然とした顔で視線を落としており、細部を説明してくれそうにはなかった。


「とにかく……これは返しておく。ああ、代金を戻してもらう必要はないよ。僕の都合で返すだけだからね」


 押しつけるように指輪を渡されてルークは反射的に受け取った。慎重に箱を空けると、自分が作った指輪が中に収められていた。売った時から位置が変わっていないように見えるのは気のせいだろうか。


「先生……何があったんすか……?」


 答えが返ってくるとは思えなかったが、それでも尋ねずにはいられなかった。


 レイクは苦しげに顔を歪めていたが、やがて小さく息をつくと言った。


「……ルーク、君には本当にすまないと思っている。君がこの指輪を作るのにどれだけ労力を費やしてくれたか、僕も理解しているつもりだ。だけど……今はまだ、これを彼女に渡すことはできない」


「まだ……? じゃあこの先渡すかもしれないってことっすか?」


「ああ。僕としてはそうしたいと思っている。ただ、それがいつになるかはわからない。だから一度、君に預けておこうと思ったんだ。それは君の作品だからね。自由にする権利は君にある」


「はぁ……。でもいいんすか? もしまたプロポーズしたいってなった時に、指輪がないと困るんじゃないっすか?」


「それなら心配無用だ。……僕の心が決まるまでには、しばらく時間がかかるだろうからね」


「はぁ……。よくわかんないけどわかりました! 先生がその気になるまで、大事に大事にしまっときますんで!」


 勢いよく請け合うと、レイクはようやくわずかに笑みを浮かべてくれた。だけどその表情は寂しげで、滲み出る悲哀を隠しきれていなかった。


「では……僕はこれで失礼するよ。君の師匠にもよろしく言っておいてくれ」


 目を合わさずに言い、レイクが逃げるように店を去って行く。ルークは声をかけることも手を振ることもできず、哀愁を帯びたその背中を見つめるほかなかった。

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