3-11

「……では、僕はこれで失礼する。また時間がある時に診療所に来てくれ」


 後ろ髪を引かれつつもレイクが言い、リビラに背を向けて歩き出そうとする。


 リビラはじっと彼の背中を見つめていたが、やがて囁くような声で言った。


「……ねぇ、レイク。よかったら今日、このまま泊まっていかない?」


 レイクが胸を衝かれて振り返る。リビラは石畳に視線を落とし、片手で三つ編みをいじりながら言った。


「……ほら、あたし達、会うの久しぶりでしょう? こんな風にゆっくり話す時間もあんまり取れなかったし……せっかくだから……もうちょっと一緒にいたいと思ったの」


 暗闇でもわかるほどに顔を赤らめながら、リビラがちらりとレイクを見上げてくる。普段の気丈さからは想像もつかない、愛護心をそそる眼差しを向けられて抗う術があるはずもなかったが、それでもレイクは理性をかき集めて言った。


「それは……もちろん僕もそうしたいが、さすがに今日はまずいんじゃないか?」


「どうして? 仕事が残ってるの?」


「仕事はあるが、それはどうにでもなる。問題はシリカのことだ。彼女がいる場で僕が君の家に泊まるのはさすがにまずいだろう」


「部屋は別だから問題ないわ。それにあの子は眠りが深いから、一回寝たら朝まで起きないと思うわ」


「……それでもあまり褒められたことではないだろう。第一、君は僕との関係を彼女に話していないのではなかったのか?」


「ええ、あの子にはそういう話題はまだ早いと思ったから。でも途中で気づかれちゃったから、逆に開き直ってもいいかと思ったの」


「しかし……近所の目もあるだろう。僕が早朝に君の家から出るところを見られたらどうするつもりだ?」


「そうね……。でも逆にチャンスかもしれないわよ。これを機会にあたし達が付き合ってることを公表するの。そしたら診療所以外でも堂々と会えるようになるわ」


 何を言ってもリビラは強情に反論するばかりで引きそうにない。レイクはため息をつきつつも、彼女のいじらしさにどうしようもなく心がくすぐられていくのを感じていた。少しだけ逡巡を見せた後、いかにも仕方がない、といった様子で首を振って続ける。


「……やはり君の病気は深刻なようだね、リビラ。仕方がない。特別に夜間診療を許可することにしよう」


「……そう、嬉しいわ。じゃ、とりあえず中に入って。お茶でも入れるわ」


 リビラが扉を広げてレイクを中に招き入れる。そのままいそいそと台所に向かってポットのお湯を沸かし始める。


 レイクは後ろ手に扉を閉め、玄関に立ったままその様子を見つめていたが、不意に思いついた様子で言った。


「お茶もいいが……リビラ、それよりも君に頼みがあるんだ」


「あら、どんなこと?」リビラがカップを用意しながら振り返る。


「薬の調合さ。実はここ最近体調が思わしくなくてね。既存の薬を試しているんだがどれも全く効き目がない。それで新しい薬の調合を試してみたいと思ってね」


「はぁ……。でもあたし、薬学のことなんて何にも知らないわよ。シリカに頼んだ方がいいんじゃない?」


「いや、これは君にしか頼めないことなんだ。何しろ素材が特別なものだからね。他の物では替えが効かないんだよ」


 レイクがそこで言葉を切り、ゆっくりとリビラの方に近づいてくる。彼女の目の前まで来たところで立ち止まると、そっとリビラの両腕に手をかけて言った。


「この病気に医学的な病名はないが、おそらく君が罹患しているのと同じものだろう。ただ、僕の方が症状は重いようだ。何しろ……お茶を待つ時間ももどかしいほど、衝動を抑制できずにいるのだからね」


 そこまで言ったところでようやくレイクの言わんとすることに気づいたのだろう。リビラの顔がみるみる真っ赤になり、片手で口を押さえて反射的に身を引こうとする。

 だがレイクはそれを許さず、リビラを引き寄せてから耳元で囁いた。


「リビラ。君ならこの病気に効く特効薬を開発できるかもしれない。明け方まで……僕の調合に付き合ってくれるね?」


 返事を聞く間もなくレイクがリビラの唇に接吻する。舌を駆使して口唇を貪った後、次いで首、鎖骨と矛先を移しながら身体中を隈無く愛撫していく。

 窓のカーテンは開いたままだったが、今のレイクはもはや気にも留めていなかった。執拗にリビラを求めながら、自ら衝動の渦の中を突き進んでいた。


「……もう、あんたは薬じゃなくて毒だわ、レイク先生」


 唇がわずかに離れた隙に、リビラが喘ぐように呟いた。彼女もまた、自分が本当はお茶など飲みたくはなく、むしろ彼を欲していたことに気づいた。後方に手を伸ばしてコンロの火を止め、それからレイクの首に両手を回してあちこちに接吻を返す。

 シリカがこの光景を見たら何て思うだろう。さすがに刺激が強すぎるだろうか。でもその時はその時だ。あの子もいずれ大人になる。大人は時に子どもよりも奔放になるのを知るのも悪くないだろう。


 そんなことを思いながら二人は愛欲の中に身を投じていった。


 中途半端に湧かしたポットのお湯と、テーブルの上に置かれた二つのカップは、結局朝まで使われることはなかった。




[三年前 ―師弟― 了]

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