3-5

 その翌週から、レイクとシリカの間でさっそく薬学の講義が始まった。


 シリカは毎回約束の十分前には診療所に到着しては、待合室の隅っこに座ってレイクの仕事が終わるのを大人しく待っていた。診察が混み合って開始が遅れても文句一つ言わず、むしろ頑張り過ぎないでくださいねと労わってくれた。だからレイクも、どれだけ多忙で疲弊しきっていたとしても、講義の時間を迎えると自然と安らいだ気持ちになることができた。


 肝心の講義についても順調に進んだ。シリカは大変熱心な生徒で、薬学に関するあらゆる知識を吸収しようと意欲を持って講義に臨んでいた。薬草の効能、調合の手順、代表的な薬の種類。覚えることは膨大にあったが、シリカは真剣な顔でレイクの講義を聞き、わからないことがあれば些細なことでも質問してきた。


 薬学に興味を持ってもらえるのはレイクとしても嬉しく、シリカの質問に一つ一つ丁寧に答えてやった。そのために講義は長時間に及び、終了予定時刻を過ぎてもまだ話し込んでいることがままあった。

 そういう時にはリビラがシリカを迎えに来て、あまり根を詰めないようにとシリカとレイク双方に軽く注意してから、シリカの手を引いて帰っていくのが常だった。


 実際に薬を調合する過程になると、シリカはますます意欲的になった。レイクが目の前で薬を作ってみせるのを興味津々な様子で眺め、彼が話した注意点などを一つ一つメモしていた。

 自分が作る段になると、メモを逐一確認しながら彼と同じ手順を踏もうとするのだが、大抵は何かが抜けていて、結果、およそ薬とは思えない毒々しい色の液体が完成するのだった。


 シリカはそのたびに落ち込み、やっぱり自分には才能がないんだと嘆いたが、そのたびにレイクは彼女の頭に手を置いてこう声をかけてやった。


「誰でも初めから上手くできるものではないよ。君に足りないのは経験だけだ。何度も練習していれば、いずれきちんとした薬が作れるようになる」


 その言葉はシリカに気力を取り戻させ、シリカはそれまで以上に熱心に勉強に取り組むようになった。


 空いた時間に一人で復習をしようと思い立ったらしく、昼と夕方の診察の合間に診療所に来ては、執務室に置いてある薬学の本を借りて待合室で読んでいた。レイクの仕事を邪魔することはなかったが、それでもレイクは気になって時々様子を見に行った。そうすると、シリカは大抵本を開きっぱなしにして眠りこけているのだった。

 そういう時にはレイクは彼女の身体をソファーに横たえ、自身の仮眠用に用意している毛布をかけてやった。




 そうした努力の甲斐あってか、シリカは少しずつまともな薬を作れるようになっていった。


 初めて調合に成功したのは飲み薬だった。疲労回復効果のある薬で、レイクも仕事が立て込んでいる時などは、自分でこの薬を調合して飲むことが多々あった。薬の色は透き通った蜂蜜色をしていて、遠目からだと紅茶のようにも見えた。シリカが同じ薬を作ると、大抵はなぜか真っ赤になっていたのだが、今回初めてレイクと同じように綺麗な蜂蜜色を作ることができ、完成した薬を見たシリカは感激で目を輝かせていた。


「わぁ! 見てください先生! 先生と同じ色のお薬が作れました!」


 小瓶に入れたできたてほやほやの薬を持ち、はしゃぎながら自分に見せびらかすシリカの様子は本当に小さい子どものようだった。レイクは微笑ましそうに目を細めて彼女の姿を見つめた。


「あぁ、君も随分と調合が上手くなったね。シリカ。最初の頃に比べると手際もよくなったようだ」


「えへへ、嬉しいです! 私、お家でも練習してるんですよ! って言っても実際に作るんじゃなくて、薬草の代わりにお野菜の切れ端とかを使って手順を確認してるだけなんですけど」


「代用品でも反復練習をするのは大事なことだよ。実際の動きを再現することで脳が手順を覚え、調合でも自然と身体が動くようになるからね」


「そうですよね! でも私、ここまでできるようになったのは先生の教え方が上手いからだと思います! 先生は本当の意味でも先生なんですね!」


「はは。そう言ってもらえると嬉しいよ。それで、完成した薬はどうする?」


「あ、えーと……どうしようかな……。あの、これって持って帰っても大丈夫ですか?」


「それは構わないが……どうせなら今ここで飲んでみたらどうだい? その薬は即効性だから、効き目を実感できると思うよ」


「そうなんですか。でも私、このお薬はお姉ちゃんに飲んでほしいんです。お姉ちゃん、最近ちょっと疲れてるみたいだから……」


 それまで朗らかだったシリカの表情が次第に曇っていく。レイクもつられて表情を険しくする。

 実際、リビラはここのところ多忙を極めている様子で、レイクと会える時間も少なくなっていた。彼女が水晶魔術師クリスタル・マジシャンとして、住民から頼られる機会が増えていたからだ。


「……そうか。最近の彼女の活躍は聞いているよ。この前も街に侵入した賊の集団を一人で撃退したらしいね」


「そうなんです! お姉ちゃん、最近はすっかり魔法が上手になったみたいで。何でしたっけ? あの、水から魔物を作る術……」


「……氷結召喚フリージング・サモン、かい?」


「そう、それです! お姉ちゃん、氷結召喚でいろんな魔物を呼べるようになったんです! 虎とか狼とか強そうな動物を召喚して、盗賊をみんなやっつけちゃうんです! 最近よく召喚してるのは一角獣で、強いだけじゃなくてとっても綺麗なんですよ!」


 その一角獣ならレイクも見たことがある。一度、リビラが子ども達にせがまれ、街で氷結召喚を行っているところに偶然出くわしたのだ。

 全身を氷で覆われたその姿は彫像のように美しく、子どもたちは目をきらきらさせて一角獣を眺めては、我先にとその背中に乗りたがっていた。一角獣と共に子ども達に囲まれたリビラの姿は幸せそうで、レイクは遠巻きにその姿を見つめながらも、なぜか心が疼くのを感じていた。


「そうか……リビラも大したものだね。ほんの一年前までは、犬や猫のような小型の魔物しか呼び出せないと嘆いていたのに……」


「お姉ちゃん、すごく頑張って練習してましたから、神様がお願いを叶えてくれたんだと思います! 私もお薬が作れるようになりましたし、頑張れば何でもできるようになるんですね!」


 シリカの言葉は無邪気なだけに、レイクの心を深々と突き刺した。顔が強張りそうになるのを懸命に堪える。

 彼女を責めてはならない。彼女はただ知らないだけなのだ。どれほど努力を重ねたところで、神に届かない願いもあるということを。

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