2-3

 診察室にリビラを案内し、背を向ける格好で彼女を座らせてからレイクは傷の具合を確かめた。首の傷は見た目こそ痛々しかったが重傷ではないようで、何よりもその事実に安堵する。


「思ったよりも浅手だな。これなら一週間もあれば完治するだろう」レイクが傷口から手を離しながら言った。


「あら、そう? 結構目立つだから心配だったんだけど、大したことないんだ?」


「ああ。だが浅手といっても傷は傷だ。放置していればそれだけ治りは遅くなる。跡を残さないためにも軟膏を塗っておいた方がいいだろうな」


「そう。じゃあ塗ってくれる? 首の後ろなんて自分じゃ見えないもの」


 リビラが首にかかった三つ編みをどけながら言う。ほっそりとした首筋とうなじが剥き出しになり、レイクは思わず唾を飲み込んだ。


「……君も要求が多くなってきたな、リビラ。初対面の時はもう少し控えめだったように思うんだが」


「そりゃそうよ。だってあの時はあんたのこともよく知らなかったし、男の人に薬を塗ってもらうのも恥ずかしかったもの」リビラが悪びれもせずに言った。


「今は恥ずかしくないのか?」


「そうね。ちょっとは恥ずかしいけど……レイク先生が相手ならいいわ」


 リビラが悪戯っぽく言って笑いかけてくる。レイクは苦笑しながらも軟膏を取りに行った。席に付いて手袋を嵌め、傷跡に右手で軟膏を塗り込む。指先がリビラのうなじに触れ、肌の上を滑っていく。


 その動作をしているうちに、レイクは一年前のことを思い出していた。

 盗賊との戦闘で傷を負った彼女が診療所に来たあの日。あの日もレイクはリビラの身体に軟膏を塗った。腕、肩、背中、頬。手袋越しに彼女の肌の柔らかさに触れては、込み上げる色情を堪えるのに全神経を使っていた。もっと彼女に触れたい、手袋越しではなく、指先で直に肌を触れ合わせたいと、何度願ったことだろう。


 だけど、それは叶わぬ願いだった。当時の自分と彼女は名実ともに医師と患者の関係で、一線を越えることなど許されなかった。だからレイクは終始慎ましく、あくまで医師として彼女に接しようと徹した。

 だが、今は――。


 気がつくとレイクの指先は傷跡を通り過ぎ、リビラの顔の辺りまで来ていた。頬を何度か優しく撫でた後、顎のラインに沿うように下ろしていき、さらに首の前面から鎖骨にかけてゆっくりと指を滑らせていく。空いた左手はいつの間にか彼女の身体に回されていたが、リビラは振り払おうとはしなかった。レイクの指が自分の上を動くたびに小さく吐息を漏らし、肌が熱を帯びていく。


 そしてレイクも、指先から伝わるリビラの熱を感じているうちに自分も熱くなってきて、そのうち手袋を脱ぎ捨てて改めて彼女の肌に指を這わせた。鎖骨をなぞり、さらに胸部へ。それでもまだ足りずに今度は彼女の後頭部に接吻する。髪からうなじ、身体を前に回して唇へ。以前は触れることを許されなかった部分にも、今なら遠慮なく踏み込むことができた。


 そうして際限のない愛撫を続けた後、ようやくレイクは我に返ってリビラを解放した。いつの間にか向かい合う格好になっていた二人は無言のまま見つめ合った。

 そこに熱情の名残が浮かんでいるのを見て、レイクは今一度彼女を搔き抱きたい衝動に駆られたが、辛うじて残っていた医師としての理性を総動員して色情を追い払った。


「……もう、レイク先生ったら悪い人ね。自分の患者に手を出すなんて。医者の職業倫理はどこに行ったのかしら?」


 リビラが乱れた髪を直しながら苦笑を漏らす。責めるような口調とは裏腹にその表情は綻んでいた。だからレイクも冗談めかして答えた。


「君の場合はこの治療法が有効なんだよ。君の病気に薬は効かないようだからね」


「病気、ね。まぁ確かにそうかも。だってあたし、レイク先生のこと考えたら胸の辺りが痛くなるんだもの。こういう病気、医学的に何て言うのかしら?」


「正式な病名はないよ。世俗的には『恋の病』とでも呼ぶのかもしれないが」


「あらそう。つまり先生は患者を病気にしちゃったってわけ。お医者さんは病気を治すのが仕事じゃなかったの?」


「もちろんそうさ。だからこうして治療をしているんだろう?」


「ふふっ……。そう、じゃ、当分通院は必要ってことね」


 こんな甘やかな会話をするのも密会の楽しみの一つだった。お互い時間に余裕がある身ではなく、予定が合わなければ一、二週間会えないことも珍しくなかったが、だからこそこうして会えた日には、思う存分愛欲の海に溺れることができるのだった。

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