9月1日 ・


      × × ×      


 2023年9月1日。

 叔父さんは起床早々に「手番開始」と呟き、台所で麦茶を飲みながら山札を引いた。

 指先が架空のカードを拾い上げる。


「ふむ……朝飯にうどんを食べたら『精神力コマ』が1回復する、らしい」

「作ろうか? どうせ1日ヒマだし」


 僕は冷蔵庫から卵を取り出した。

 あとは冷凍うどん・ヒガシマルのうどんスープを用意すれば、とても美味しい汁物になる。


「いや。俺にはすすってる時間がない。3日も休んだからな。今日遅刻したら洒落にならん」

「ふうん」

「……申し訳ないとは思っている」


 叔父さんはワイシャツに袖を通す。 


 結果から言えば、僕の身体は現時点で男子に戻っていなかった。先ほど「始業式に行こうぜ」「レッツゴ~」と迎えに来てくれた友人たちを追い返したばかりだ。

 一応、姿見の前で男子用の学校指定ズボンを穿いてみたものの、どう見ても兄の制服を演劇のために借りている妹のようにしか見えなかった。

 あのまま登校したら大事件になる。下手したら前代未聞の怪奇現象としてニュースになり、僕は研究所送りになるかもしれない。


 結局、新学期初日から僕だけ欠席をかますことになってしまった。

 僕はため息を堪えきれない。


「はあ。せめて『ねがいカウンター』が復活してたらなあ」

「すまん」

「まさか「奇行」の『拡張』が全部消し飛んで、バニラになってしまうなんてさ」

「本当に申し訳ない」


 叔父さんは平謝りしながらも着々と出社の準備を進めている。


 バニラとは初期状態のことだ。

 一度リセットされたせいか、叔父さんの「奇行」からは全拡張が失われていた。

 それも最新の『ねがいカウンター』だけでなく『アルコールマーカー』や『休日カード』も視界に映らなくなってしまったらしい。


 今、叔父さんの手元に見えるのは『特殊カード』の山札と『精神力コマ』のみ。

 ただカードを引くことしか出来ない運ゲーに逆戻りしてしまった。


「ひょっとしなくても僕の身体を変えた『奇行変動』自体が消えてたりしないよね?」

「それは……俺にもわからん」

「叔父さん」

「本当にすまない。こうなったからには、俺の人生をかけて、お前を死ぬまで養っていくしかないとも思っている」


 突然の踏み込んだ発言に僕はビックリさせられた。

 しかしながら、よくよく考えてみれば、つまるところ一生ボードゲームの相手に困らなくなるという利点が向こうにも発生するわけで……叔父さんにあんまりデメリットないな、これ。


「悪いけどさ。前にも言ったけど、自分が元に戻るまでボードゲームの相手はしないからね」

「それはわかっている」


 叔父さんは平然と答えた。

 折り込み済みだったか。僕は思考を巡らせる。

 叔父さんの『拡張』には発生条件がある。近頃は僕と酷く揉めるたびに新たな『拡張』が生み出されてきた。

 アルコールといい休日といい、もし仮に強烈なストレスが『拡張』の発生条件であるならば……僕はパチンと指を弾いた。


「そっか。だったら追加しよっと。僕が元に戻るまで、トイレ掃除と風呂掃除の当番は叔父さんがやってね」

「なっ!?」


 それは潔癖症の叔父さんにとって空前のストレスをもたらす発言だったらしい。

 なけなしの『精神力コマ』を消費した叔父さんは、玄関扉に寄りかかるような形で倒れてしまった。


 僕は彼の傍らに立ち、せめて安眠できるように姿勢を仰向けにしてやる。

 願わくば、今のショックで強力な『拡張』が生まれますように。



(ボードゲーム叔父さんの奇行・完)

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