4月2日 ・・・・・・・
× × ×
2024年4月2日。
叔父さんは今日も元気いっぱいだった。朝食代わりに京都土産の生八つ橋を1箱分ペロリと平らげてしまったほどだ。
よほどエネルギーが有り余っているのか、背広に袖を通しながら映画音楽の『アナザー・デイ・オブ・ザ・サン』をあやふやな英語で熱唱し、フローリングの上でステップまで踏んでしまう始末。
山札からカードを引く時も全身の仕草が誇張気味になっており、同居人としては正直ウザくてたまらなかった。
「なになに。プレーヤーの『精神力コマ』を3つ支払う代わりに速読力が7倍に上がるカードだと」
「ものすごく勉強が捗りそうだね」
「
叔父さんは架空のカードを左手の手札に加える。
なかなか面白そうな内容のカードだったが、あくまで叔父さんは週末の再戦を念頭に「奇行」のプレイを進めているみたいだ。
ちなみに『精神力コマ』回復系のカードは防御用に、僕の側頭部に刺さっているような『効果カード』は呪文カードに変化するらしい。正直『対戦』関連のルールは口頭で説明されても理解できない。
僕は率直に訊いてみる。
「ねえ叔父さん。叔父さん的には『対戦』って楽しいの?」
「楽しい。血沸き肉躍る。やみつきになりそうで怖いくらいだ」
「僕にはさっぱりわからないんだけど」
「そりゃお前らは遊べない・見えない・何も賭けてないからな。
「
「昔からよく言われる。俺のほうが甘いんだよな」
叔父さんがコーヒーカップを台所まで持っていく。
彼らにしか見えない世界があるらしい。僕には想像もつかない世界が。
脳の半分がボードゲームと化した「奇行」持ちにとって、自己が生み出した結晶であるカードで争うことは、まさしく魂をぶつけ合うに等しい営為なのかもしれないが。
台所のシンクに水が流れていく。
洗剤を洗い流されたコップは水切り台のラックに掛けられ、夜まで出番を待つことになる。
僕は出社寸前の叔父さんに話しかける。
「そういえば、さ。昨日京極さんがボードゲーム同好会で人を集めて『満漢全席』をやろうとしてたよ。『対戦』の相手を増やそうとしてるみたい」
「ははは。それはご苦労だな。結果が楽しみだ」
「あの人って叔父さん以外にも知り合いいたんだね。ビックリした」
「あの容姿なら誰も放っておかないだろ……ああ。世間一般的な評価のことだからな。勘違いしてくれるな」
「僕は何も言ってないけど」
「もう出るぞ。夜は遅くなるかもしれん。また連絡する」
柔軟な手首が玄関の鉄扉を力強く押し開き、肌寒い外気の中に背広姿の男性が消えていく。
自分もそろそろ学校に行かないと。今日は放送部の自主練習日だ。
僕は学校のブレザーに袖を通しながら『アナザー・デイ・オブ・ザ・サン』を適当に歌ってみる。ステップを踏んでしまうほどテンションは上がらなかった。
× × ×
すぐに見慣れた校舎が視界に入ってくる。
僕は暗い気分になる。
出来ることなら今日、放送部には顔を出したくなかった。
「よぉ
「
なぜなら、この2人に会いたくなかったからだ。
両者共に何事も無さそうなのに。
こちらとしては昨今の出来事が度々フラッシュバックしてしまい、しきりにモヤモヤさせられてしまう。
庄司には昨日助けられたばかりだ。あの時は本当に男前だった。
物黒部長には先週ナンパ(?)されてしまった。
「あ~」
僕は全体練習の発声練習にかこつけ、体内からモヤモヤを吐き出してしまおうと試みる。
自分の中で感情の
息を吸い、息を吐く。
全体練習が終わり、個別の挨拶も早々に
ボディタッチ。男同士なんだから気にすることはない。
僕は部長の方に向き直る。以前ほど癖毛が跳ねておらず、顔面の産毛が剃られていた。清潔感が増したことで元来の素材の良さが目立つものの、やはり全体の輪郭から変人ぶりが滲み出ている。
「なんですか部長」
「いえ。ちょっとしたことなのですが。少し前に小野さんの妹君にお会いしましてね。たしか金曜日だったかと思います。そうです。前回の自主練習日でした」
「前回は所用で欠席させていただきました。すみません。以後気を付けます」
「妙ですね。小野さんだけでなく石生さんと庄司さんも休まれたのは……それはそれとして。小野さんの妹君です」
こちらが話題を変えようとしたのに、部長には
僕は唾を飲み込む。何を言われるのだろう。想定されるパターンの数だけ後ろ向きな気分になってくる。
いっそのこと後方の扉からダッシュで出てきたいくらいだ。
部長は口元をモゴモゴさせて言い
「彼女の誤解を解いてもらいたいのです」
「誤解ですか」
「あの日、ボクが近づいたのは決して不埒な思惑ではなく、ただ純粋に彼女と話してみたかっただけなんです。ナンパだなんてとんでもない。それでもし彼女を怖がらせてしまったのなら申し訳ないのですが、ボクとしては」
「わかりました。僕から妹には言っておきます」
「ああ。助かります」
こちらの対応に部長は心底安堵した様子だった。
わかりやすいなあ。僕は何とも言えない気分になる。
僕の傍らで笑っていた彼女は──なぜか唐突にこちらの肩を抱いてきた。
さらに近くで僕たちの会話に聞き耳を立てていた庄司を巻き込むと、さながらラグビーのモールを進めるような形で僕と庄司を放送室の外に押し出していく。
部長の目が届かない廊下の片隅で立ち止まった彼女は、こちらに向き直るなり右手をまっすぐに挙げ、
「
いきなり何を言い出すんだ。
僕と庄司は呆気に取られる。
「辞めたら図書館で強制労働だよ」「バイト代も出ねえんだぞ」
「そうなんだけど~。石生は緑ちゃんを部長さんに取られたくないの。あたしのほうが絶対好きだもん!」
「いや絶対に部長とは付き合わないし。というか男同士じゃん」
「小野君チョロいもん」
「それ山名さんにもよく言われるけど、部長だけは本気で無いから!」
僕は力強く否定しておく。
仮に自分が生まれつき女子だったとしても。
何となく傍らの阿呆を見てしまうが、こいつも当然ありえない。
「そう……庄司君相手だったら。石生も許しちゃうけど。そしたらあたしがガマンするだけだし……他の人が
目の前の美少女がわけのわからない理屈で珍回答を捻りだしてしまった。神がかり的な造形の双眸がギンギンにキマってしまっている。
彼女なりに現状の男男女のアンバランスな関係に思うところがあるのは知っていたが、発想が怖い上に「一生」なんてヘビィな言葉を繰り出されてしまうと、正直ちょっと引いてしまう。
庄司のほうは腹を抱えて笑ってやがるし。何なんだこいつら。
「ひゃははは。石生のそういうとこ、オレめっちゃ好きだわー」
「むっ。庄司君。あたしのことバカにしてない?」
「してねえしてねえ。一周回ってガキっぽいとは思ったが。ぶふふ。なんか生々しくて逆にキュートだわ」
「なにそれ~」
石生としては本気の申し出だったのだろう。彼女はプンスカと怒りだしてしまう。
これは拗ねちゃった彼女に思い出のミスタードーナツを献上して宥めるパターンだな。財布の中身は削られそうだが、久しぶりに等身大の彼女を見られた気がした。
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