4月1日 ・・・・・・ ボードゲーム同好会


     × × ×     


 師団街道しだんかいどう第一軍道だいいちぐんどう

 随分といかめしい名前の道路に挟まれたキャンパス内には、赤レンガっぽい色の建物が並んでいた。

 正門前には『新入生オリエンテーション』の看板が見える。どうも新入生の初登校日だったらしい。周辺はラフな格好の若者であふれかえっていた。

 あまりの人出に庄司がおののいている。


「すげえ人数だな。どうするよ蒼芝。オレはあの中に入る勇気なんてねえぞ」

「叔父さんの話だとボードゲーム同好会はキャンパスの外にあるらしいから、外周の道路から回っていこうか」

「そうしてくれ……それにしても、そんなところまで何しに行くんだ?」

「聞き取り調査だよ」


 僕たちはキャンパスの南側に向かう。

 体育館の隣に『学友会館』という古びた建物があり、そこの4階に同好会の部室があるらしい。

 叔父さんや山名やまなさん・川畑かわばたさんたちが、数年前まで青春を謳歌していた場所だと思うと奇妙な感慨を覚えてしまう。


 やがて新入生たちに紛れながら目的地に辿りつくと……道路沿いにやたらとキラキラしたガラス張りの建物が見えてきた。

 コンクリート打ちっぱなしの音楽堂と合わせて『新学友会館』と銘打たれており、どうやら叔父さんたちの「青春の名残」は完全に取り壊されたみたいだ。


 僕はちょっぴり切ない気分になりつつ、アカデミックな雰囲気に気後れする庄司の背中を叩く。


「猫背になってるよ。堂々と行かないと」

「いや……オレらって別に新入生じゃねえし。勝手に入っていいもんなのか?」

「たしか大学は社会に開かれた施設だから多分良いんだって。OBの許可もあるんだから」

「OBって蒼芝のおっちゃんじゃねえか」

「ほら行こう」


 僕は友達の背中を押す。

 石垣の割れ目みたいな玄関口をくぐり抜け、内部階段を上がっていく。


 大学のサークル棟と言えば学生モノの漫画に出てきそうな「退廃的」「やさぐれた」イメージがあったが、新学生会館は新築だけにどこを見ても清潔感にあふれていた。

 さながら大企業のオフィスのようだ。

 各階の廊下には部員募集のポスターなど一切貼られておらず、貸し会議室(?)の扉が並んでいる。

 僕はそのうちの1つに『ボードゲーム同好会活動中』の表札を見つけた。

 常日頃から思い出話を聞かされてきただけに、何やら伝説の祠を探し当てたような気分になる。


 ここにあの人もいるんだな。

 僕は胸の高鳴りを覚えつつ、ドアノブに手をかける。


「失礼します」

「ひぇっ」


 きちんとノックしてから入ったのに奥から悲鳴が聞こえてきた。

 室内には『あらゆるアナログゲームが詰め込まれた本棚』『歴代の勧誘チラシと対戦記録で埋め尽くされた壁』『卓上に広げられたままのボード』『薄汚いソファ』などは存在せず、いかにも会議用の大テーブルと座りやすそうなチェアが並んでいる。

 卓上には見たことのあるボードゲームがいくつか持ち込まれていた。

 あれは『コンコルディア』だ。僕自身は未プレイだが叔父さん曰く相当面白いらしい。あっちはおなじみの『カタン』。航海者拡張と多人数拡張も揃っていた。


 僕は悲鳴を発した人物に訊ねる。


「お久しぶりです。ここにあるゲームって斯波しばさんのコレクションですか?」

「ど……どうしてわたしの名前を。どこかでお会いしましたか。すみません。昔から他人の顔を覚えるの苦手なんです。ごめんなさい……」


 斯波あかり。

 麗谷大学の新4回生でボードゲーム同好会の会長だという。

 去年の夏、彼女は山名さんに連行される形で叔父さんのアパートにやってきた。その時に僕とも顔を合わせている。

 もっとも当時の僕は女子の姿だったため、彼女自身は今の小野蒼ぼくを知らない。


「あの……おふたりさんは新入生ですよね。もしボードゲームに興味がおありでしたら、木曜日に新入生歓迎会しんかんがありますから、その時にまた来てもらえませんか……せっかく来ていただいたのに無駄足にさせてしまって! 大変申し訳ないんですけど、その、今日はお休みでごめんなさい……」


 衝立ついたての向こうから出てきた斯波さんは、当時の記憶と寸分の違いなく高身長だった。

 明らかに年下であろう僕たちに対して低姿勢なのも変わらない。

 同じ大学の学生で部活仲間なのに超威圧的な京極きょうごくさんとは対照的だ。そんな2人が友達だというから興味深い。

 だからこそ彼女に訊いておきたいことがあった。


 僕は部屋の奥に立ち入らせてもらう。衝立の向こうには仮眠用と思しき布団が用意されていた。


「ひぃっ!? 何なんですか。わたしに何か用でもあるんですか。男の子が2人がかりで……やめましょう。わ、わたしなんかよりもっと可愛い子が大学にはいっぱい」

「京極さんに『満漢全席』のことを教えたのは斯波さんですよね」

「まんかん……えっと。ちゅ、中華料理のフルコース……ではないですね。はい。3日間ずっと遊び続けた話ですね。以前OGの方に教えていただきまして。そのまま光ちゃんに話してしまい……はあ……」


 やはり斯波さんが情報の出所=アカリンだったらしい。

 他に心当たりが無かったから十中八九彼女だろうなとは思っていたが。そもそも名前からして近いものがあるし。


「それがどうかされました……まさか。ひかりちゃんに『満漢全席アレ』誘われました? あ、あんなのダメです。文化祭であれやってからあの子、どんどんおかしくなっちゃって……」

「見えないカードが見える、とか言い出しました?」

「そ、そうなんです! もしかして、あ、あなたも見えるんですか。この頃、見える人と夜遅くまで会ってるって光ちゃんが……」

「僕は見えないですけど、僕の叔父さんがその見える人です」

「おじさん……おじさん……つまりパパ活……おくすり系のパパ活……!?」


 斯波さんの脳内で完全に見当違いの答えが導き出されようとしている。そっちのおじさんではないし、うちの叔父さんはボードゲーム依存症の狂人だけどアルコールしかやってない。

 妄想を拗らせた彼女が然るべき機関に通報してしまう前に釈明しておこう。捜査で冤罪だと証明されても叔父さんが脳みその病院に入れられる可能性は否めない。


 ふと、傍らにいた庄司が耳打ちしてくる。


「なあ蒼芝あおしば。旅行のついでにわざわざ途中下車してまで……このヤバそうな人に会いに来たんだよな」

「いや。そうだけど、そうじゃないというか」

「だったら、あっちの美人さんが目的か?」


 彼の指差した先にはドアを開いたばかりの京極さんの姿があった。

 自然、こちらと目が合う。

 彼女からしてみれば、サークルの部室に来たら何故か知り合いがいたという感じだ。怪訝な目つきで睨まれるのも当然と言える。

 しかしながら彼女の反応はそれだけだった。


 廊下からゾロゾロと若い男たちを引き連れてきた彼女は、彼らをテーブルに座らせるなりぎこちない笑顔で「ウチとボードゲームやる人~」と右手を挙げてみせる。


「お~」


 男性陣が挙手と声で応じる。やや垢抜けない見た目からして大学デビューを果たさんとする新入生たちだろう。

 可憐な先輩女子に誘われてテンションが上がっているのか、一部の男子はしきりに「まんかんって何だろな」「うへへ」と下品な笑みを浮かべている。


 突然の来客に呆気に取られていた斯波さんだったが、京極さんが『カルカソンヌ』のルール説明を始めたあたりで正気に戻ったらしい。


「ひ、光ちゃん! 新入生の勧誘は木曜日からだって説明したよね!?」

「うっさいなあ。せっかく連れてきてやったんだからさあ、アカリンが会館事務局に明後日まで部屋借りるって申請してきなさいよ。あと宿泊の申請もよろしく」

「また男の子連れ込んで『満漢全席』するつもりなんだ……もうヤダぁ。光ちゃんがおくすりやめてくれるまで……もう部活来ないぃ……」

「おくすりって。あんたさあ……ああ。そこにじゃん」


 斯波さんにすがりつかれていた京極さんが、彼女を軽く蹴り倒したのは多分思いついたからだ。

 常人には見えないものを証明するのにピッタリな方法を。名案を。


 軽やかな足取りでこちらに近づいてくる彼女は、あまりにもドラマチックで、ひたすらに恐ろしかった。

 狂人あいての目が据わっている。逃げられない。

 あの華奢な右手の指先が、僕の側頭部に触れ──。


「…………」


 彼女の前に小さな男が立ちはだかった。

 彼我の間合いに割り込んできた彼は、何も言わずに両手を広げて「大」の字を体現し、こちらに頼もしい背中を見せてくれる。

 そして相手の動きが止まるや否や、僕の手を引いて廊下のほうへ駆けだした。


 力強い腕に引っ張られる。

 エレベーターに連れ込まれる。


「しょ、庄司?」

「いきなり張り手とかええ女だな! マジでビビったわ! おい、アレが例の女子大生だろ。そんでお前、めっちゃ恨まれてる、みたいな! わざわざそんなところにオレを連れてくるなよ! マジでチビりそうになったぞ」

「いや……別に向こうがどう思ってるとかわかんないけど……ごめん……」

「いくら美人でもアレが毎日来るのは怖いわ。とっとと駅まで逃げようぜ。伏見稲荷と東福寺でリラックスだ、リラックス」

「ありがとう」


 僕は会館を出たところで友達に頭を下げる。

 危なかった。まだ心臓がドクドク言ってる。今、ここで女の子に戻ったら吊り橋効果で大変なことになってしまうかもしれない。

 それぐらいさっきの庄司は格好良く見えてしまった。


「ありがとう」

「なんだなんだ。そんなに怖かったのか」

石生いしゅうにも庄司がめっちゃ男前だったって言っておくね」

「おお……日頃辛口な奴がマイルドになると変な感じだわ。今ならワンチャン胸とか揉ませてもらえんのかコレ」

「だから今ここには何もないっての」


 相手の照れ隠しにツッコミで応えつつ。

 僕は追っ手が来ていないことに安堵する。いざとなれば駅の改札まで全力疾走するしかないが、まだ胸の鼓動が収まっていないだけに走るのは避けたいところだ。


「ふう」


 息を吸い、息を吐く。


 何となく石生に『自撮り送って』とメッセージを送ってみたら、煌びやかなホテルのロビーでコーヒーをたしなむ美少女の写真が送信されてきた。おしとやかな格好で自信たっぷりに片目をつぶっている。

 ものすごく魅力的で可愛らしい──おっと。こういうのはちゃんと伝えておかないと。

 僕は少し悩みながらも感想を打ち込む。


「すごく可愛い」

『小野君も庄司君とツーショット送って』


 向こうから謎の注文が届いた。

 仕方ないな。深草駅のプラットホームで次の電車を待つ間、適当な写真を撮って送ると、彼女からは『小野君の顔真っ赤~』との反応が返ってきた。


 それは石生の可愛さたっぷりの写真でドキドキしたからだよ、と返しておく。

 ひとまず、そういうことにしておいてほしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る