4月3日 ・・・・・・


     × × ×     


 叔父さんが元気すぎる。

 夜遅くまで残業しても全然笑顔で帰ってくる。潔癖症のくせに水回りの掃除当番を平然とこなしている。

 こんなことは今までなかった。

 毎朝『精神力コマ』の2回復を選択せず、山札から引いたカードを吟味しているはずなのに。

 仕事場では相性の悪い上司・小高井こだかい部長と顔を合わせているだろうに。

 叔父さんの心身が消耗していないのは絶対におかしい。


「よほど良いことでもあったんですかね」

「さあねえ」


 2024年4月3日。夕方。

 僕は遊びに来たばかりの山名やまなさんとテーブルを囲んでいた。

 卓上には「ピラミッド」や「空中庭園」といった古代世界の著名な建造物を模したカードが並んでいる。いわゆる世界の七不思議というやつだ。

 僕たちは手元に築いた都市の生産力および経済力を用いて、これら七不思議の建設を目指す。

 その名もずばり『世界の七不思議・デュエル』というボードゲームなのだが、案外七不思議を建てなくても勝利できたりする。


 山名さんは楔形に並んだカード群から赤色の「兵舎」を選ぶと、それを捨て札にして金貨3枚を手に入れた。


「そういえばさ。あたし来月から船場せんばで営業事務やることになってさー」

「おっ……おめでとうございます。いきなりですね」

「まーね。色々見越してお金を貯めとこうかなーって。もういい年だし。手持ちがあれば、ほら。何だって建てられるじゃん」


 こちらのプレイが終わるや否や、すかさず先ほどの金貨を含めたコストで「学校」を建ててくる山名さん。

 建設済みの「薬屋」との相乗効果で進歩トークン「経済」が彼女の手に渡った。今後、僕は彼女から金貨を搾取されることになる。


 相手が緑色かがくカードを揃えてきた上に経済力でも敵わないとなれば、もはや武力に訴えるしかないか。

 僕は手持ちの生産力・金貨を総動員して七不思議「ロードス島の巨人像」を建てる。

 これで戦力的均衡が傾いた。あとはどんどん赤色せんそうカードを出していくだけだ。

 同時に彼女の科学勝利を封じる手立ても考えておく。緑色のカードは出来るだけ金貨に変えてしまえ。


「やるねー。蒼君。前にやった時により強くなったんじゃない?」

「何だかんだで叔父さんに相当鍛えられましたから。相手の動きをよく見ろって」


 互いの生産力が上がるにつれてゲームの動きが派手になってくる。拡大再生産の楽しみが小さな箱に詰まっている。

 さすが庄司しょうじに「一番好きかもしれねえ」と言わせたボードゲームだ。

 久しぶりに遊んでもハラハラドキドキさせられる。


 最終盤。対戦相手やまなさんの行動・意図を読み、武力で落としきるか、チマチマ稼いだ点数で押しきるか、考えに考えをかさねて──僕は全く別方向の答えを出してしまった。


「山名さん」

「んー」

「もしかして今、叔父さんと付き合ってたりします?」


 こちらの問いに彼女は緑色のカードで応えてきた。

 勝利を示す6種類目の科学シンボル。僕の都市は科学力で圧倒されてしまった。さながらハットゥシャのヒッタイト人に滅ぼされた諸部族の如く。


「蒼君には教えるつもりなかったんだけどなー」


 ショートヘアのお姉さんはやや困った様子で、アパートの冷蔵庫から甘酸っぱいチューハイを取り出してくる。

 さっぱりした顔つきに、ほんの少し朱色が乗っていた。



     × × ×     



 欲しくなったというより。

 取られたくなかった。

 空き缶片手に滔々とうとうと語られた内容を要約すると、お二人がお付き合いを始めたのはそんな感じの理由だったらしい。

 新たな狂人の出現に背中を押された形だが、山名さんとしては「年月」による心境の変化もあったみたいだ。


「学生の頃はさー……こう……あたしのボキャブラリーから、しっくりくる言葉が出てこないんだけども……イサミ先輩はアレだから……何というか……」

「理想が高かった、もっと玉の輿狙いだった、叔父さんのような冴えない人は相手に……」

「違う違う! 蒼君違うよ。いや別に違わないんだけど! ほら。どういう人と付き合っているか~で自分のグレードが変わるみたいな感覚あるじゃん」

「はあ」

「この年になってくると、ああいうの段々気にならなくなってきてさ。なぜかわかんないけど……何でだろねー」


 山名さんの目つきは少し寂しそうで、それでいて満足しているようにも見えた。

 彼女より一回り年下の僕には返答を用意できず、アパートには風通しの良い沈黙が流れる。


 そろそろ、もう片方の当事者が帰ってきてもおかしくない。夕飯にはお祝いを兼ねて宅配ピザでも取ってもらおう。

 叔父さんのことだ。食べ終わったらすぐに『ワイナリーの四季』あたりを始めようとするだろう。その前に自室に戻らないと──僕は脳内で想像した暖かい情景の中から気づきを得た。


「あの……もしかして居候ぼくって、お二人の邪魔になったりします?」

「ならないならないならない! 蒼君は気にしなくていいから!」


 僕の質問に山名さんは両手で「×」を作ってくれる。

 とはいえ、お付き合いを始めたばかりのカップルにとって、同じ空間に第三者がいるというのは進展の妨げでしかないはずだ。

 こちらとしても居づらい。


「僕は全然実家に帰ってもいいですよ」

「もー! だから蒼君には教えたくなかったのにー!」

狭山さやまから南海電車で通えなくもないですし」

「君を追い出すつもりはないから! ほらもう座って座って。というか、蒼君だって身体が元に戻るまではイサミ先輩の近くにいたほうが良いでしょ。山札の出方を考えるとさ」

「それはまあ、そうなんですけど」


 僕は座布団に座りなおす。

 たしかに今のまま実家に戻ると、叔父さんとの交流が減ってしまい、あの人の山札から目的のカード──僕に対する「懺悔」に由来する結果が出てこなくなるかもしれない。

 本人は否定的だが、叔父さんが山札から引いたカードは彼自身の思考や欲望と深く結びついていると見られる。

 叔父さんの「奇行」の被害者である僕が同じ部屋にいたからこそ、例の『効果カード』も生み出されたのだろう。学校に行けなくて落胆する親戚ぼくの背中を見たくなかったから。

 この理屈で言えば、なるべく叔父さんの傍にいたほうが、より都合の良いカードが出てきやすくなる。


 もっとも去年の秋以降、僕の苦境を助けてくれそうなカードは1枚も排出されていないのだが。

 最近の叔父さんは「対戦」用のカードを厳選しようと必死だし。

 久しぶりに目の前で泣いてやろうかな。全くもう。


「あたしも良い年だし。これから上手くいきそうなら先輩から指輪もらったりするかも……だけどさ。少なくとも蒼君が元に戻るまでは、何もないよ。だから今までどおり、あたしたちと楽しくゲームしてくれたら、みんなハッピーかなーって」


 山名さんは新しい缶チューハイのプルタブを引きつつ、わずかに頬を赤らめる。

 そう言ってもらえるのはありがたいのだが、逆に言うと小野蒼ぼくの性別が中途半端なままだと一生2人は結ばれないことになる。

 とんでもなく責任重大じゃないか。僕は早くもため息をつきそうになった。

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