4月4日~5日


     × × ×     


【4月4日 ・・・・】


 2024年4月4日。

 昨日は付き合ったばかりの恋人とハッスル──環状線の終電ギリギリまで『ワイナリーの四季』でワイン造りに励んでいたためか、今朝の叔父さんの横顔には少しばかり疲れが見て取れた。

 それでも会社には行かなければならない。叔父さんはスーツ姿で座布団に座り、インスタントのコーンスープに息を吹きかけていた。


 僕は欠伸をこらえつつ、冷蔵庫の側面に掛けられたカレンダーに目を向ける。もう木曜日だ。週明けには早くも始業式が待ち受けている。

 何なら明日も放送部員として入学式の支援業務に駆り出されるから、自分に残された自由時間は限られつつある。


 結局、僕は春休みを上手に活かせなかった──もちろん友達と遊びに行けたのは良かったが、何かしらの成果を手にすることは出来なかった。

 自己投資。研鑽。自分自身の人生に突きつけられた「宿題」を後回しにしてしまったようで、時計を見るたびに漠然とした焦りを覚えてしまう。


 僕は勢いよく麦茶を飲み干す。

 将来の夢。物心ついた頃から、誰かに問われるたびに返答に窮してきた。やりたいことなんて何もない。だったら選択肢は広げておこうね、と両親に諭されるまま、学校では真面目に勉強してきた。

 おかげで今も成績は悪くない。

 まだ将来の夢は見つかっていないが。


 僕は何となく、身近な人に訊ねてみる。


「ねえ。叔父さんは将来の夢とかあった?」

「むむむ」


 叔父さんの目つきが鋭くなる。

 多分答えに困っているわけではなく、山札から引いたカードの扱いに悩んでいるのだろう。

 架空のカードを指先で弄りながら、しきりに首を捻っている。


「どうしたの。一ヶ月ランニングを続けないとになるカードがまた出た?」

「違う。使いどころを考えないといけないカードが出てきてな。うむむ。やはり山札は俺の心と結びついているのか……だが、まだ使うわけにはいかん」

「恋人にフラれそうになっても1回だけ回避できる、みたいな?」

「あいつから告白してきたのにもうフラれるなら、もはやドッキリの類だろ……待て。なんで蒼がその件を知っているんだ」


 叔父さんの小豆みたいな目がキョトンとしている。一応、白目もあるらしい。


「なんでって山名やまなさんが教えてくれたし。それより何のカードだったの?」

「ある意味、俺の宿願が叶うかもしれない『効果カード』だ」


 トントン、と叔父さんは自身の側頭部を指先で小突いてみせる。

 あそこに挿入することで何かしらの効果を享受できるカード。

 一時的ではない持続効果。ということは。


「まさか完全にボードゲームと化してしまう、わけじゃないよね」

「そんなことしたら俺自身がゲームで遊べなくなるだろうが。一応、説明してやってもいいが……まだ使うつもりはないからな」


 叔父さんは架空のカードを手札に加えると、小さな声で文面を読み上げてくれた。

 それはたしかに今すぐ使うわけにはいかない、とても悩ましい内容のカードだった。



     × × ×     



【4月5日 ・・・・・・】


 2024年4月5日。入学式。

 幼気いたいけな新入生たちが大ホールの座席に詰め込まれていた。

 体型に合わない大きめの制服には未来の息吹が吹き込まれている。今はまだ中身が詰まっておらず、みんな水族館のペンギンみたいな立ち姿だ。


 ああいうブレザーの袖がダボついた女子って可愛いよな、と傍らの阿呆から同意を求められ、僕は小声で「春の季語だよね」と返しておく。

 彼ら・彼女らを見ると微笑ましい気分になる。去年の今頃は僕たちもあんな感じだったのに。


庄司しょうじさん。しょうもない話をしない」

「あ、すいません部長」

「せめて無声化してください。ボクたちは式典の「黒子」なんですからね」

「へいへい」


 放送部の元締め・物黒ものくろ部長に叱られた阿呆は、面倒くさそうにスポットライトを壇上に向ける。


 今日の放送部ぼくたちは大ホール後方の映写室から壇上の演出全般を担っていた。

 暗色の壁紙に囲まれた映写室には照明・音響関係の機材が並んでおり、各部員は事前の手筈通りに作業を進めていく。


 歓迎演奏会と称して吹奏楽部が景気の良い音楽を披露し、司会の教頭先生が新入生たちに拍手を促したら、すかさず司会席にスポットライトを当てる。

 来賓として地元選出の市会議員や保護者会の父兄が紹介されるたびにスポットライトを当てる。


 在校生代表の生徒会長、総責任者たる校長先生が挨拶している間はマイクの音量調節に神経を尖らせ、同時に各所のスピーカーからクラシックのBGMを垂れ流す。


「庄司さん。そのCDは松任谷由実まつとうやゆみの『卒業写真』です」

「うわっ!? あっぶねえ!」

「そんなもの入学式で流したら新入生に笑われ、先生方にどやされますよ」

「すいません部長、マジで助かりました!」

「だから話す時は無声化こごえにしてください。いい加減にしないと本当に放送部を辞めてもらうことになりますからね」

「マジで気をつけるッス」


 庄司はヘラヘラと笑いながら別のCDを機材に挿し込んだ。穏やかな弦楽器の音色が天井のスピーカーから流れてくる。

 欠伸をこらえている間に校長先生の挨拶が終わり、新入生と保護者の方々がぞろぞろと大ホールから退出していく。


 僕たちの役目も終わりが見えてきた。後は壇上の片付けと映写室の原状回復を済ませるだけだ。


 自分も男子生徒の宿命として力仕事を担うべく、新3年生の先輩方とステージ脇の仮設スピーカーの回収に向かう。

 あれは2人がかりで持ち上げないと指先が鬱血うっけつしてしまう。一種の凶器だ。一足先に出て行った庄司には任せられない。


「小野さん」


 映写室を出ようとしたら物黒部長に呼び止められた。


「何でしょう」

「スピーカーを部室まで運んだら、また映写室ここに戻ってきてもらえますか。少しお話したいことがあります」


 彼の後ろではスポットライトを定位置に戻す石生いしゅうの姿が見える。他の女子部員と楽しげに笑い合っており、こちらに加勢してくれる気配は見られない。

 僕は内心で気合を入れ直す。苦手な上司にアポイントメントを求められた程度で友達に助けを求めていたら社会では生きていけないぞ。多分。


「わかりました」

「では、お気をつけて」


 以前なら部長の口からそんな心配の言葉が飛んでくることは無かった。

 僕はいただいた気遣いを飲み込めないまま、大ホールの作業用階段を降りていく。


 途中、本校舎との渡り廊下に差しかかった辺りで新入生たちの待機列と出くわした。大人数だけにまだホールからけきっていないみたいだ。

 入学早々の長話にやや疲れた様子の彼・彼女たちが「わあっ」と息を漏らしたのは、可憐という表現には収まりきらないほど華のある女子生徒が近くを通りがかったからだ。


「映写室片付いちゃった。一緒に運ぼっ」


 石生千秋いしゅうちあきは元気いっぱいの笑顔を振りまき、小野蒼ぼくを指差しながら早足で追い抜いていった。一つくくりの後ろ髪が軽やかに揺れている。彼女の向かう先は大ホールの舞台裏。スピーカーの搬出を手伝うつもりらしい。

 あの滑らかな指先を鬱血うっけつさせるわけにはいかない。

 僕は脇目も振らずに彼女を追いかけた。

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