3月25日 ・・・・・ 自主練習


     × × ×     


 僕たちの学校には勤労奉仕制度がある。

 本当はもう少し柔らかい名称なのだが、どちらにしろ生徒の自由を剥奪する仕組みだ。

 部活に入らない生徒は問答無用で学園施設の雑用や清掃当番に回されてしまう。中でも併設の図書館では中高合わせて100名以上の生徒が週3回の奉仕を強いられている。

 部活を続けるか。給料の出ないアルバイトに精を出すか。

 普通なら前者を選ぶところだが、何事も思いどおりになるとは限らない。例えば怪我や人間関係、部長の意向等で退部に追い込まれてしまえば、明日から図書館の床掃除が待っている。


「オレらは物黒ものくろ部長に金玉を握られた状態なんだよなあ……」


 2024年3月25日。早朝。

 庄司しょうじは本校舎の昇降口で品行方正とは言いがたい表現を用いた。

 思わず笑ってしまいそうになったが、周りには他の部活の生徒も来ている。僕は一応、忠告しておく。


「庄司、女子の前ではやめとけ」

「おっと失礼。レディはレディとして扱わねえとな」


 坊っちゃん刈りのチビ助が、こちらに手の平を差し出してくる。放送室までエスコートしてくれるらしい。

 思いっきり叩いてやったら「いてえ!?」と良い反応を見せてくれた。


 今日は放送部の自主練習の日だ。

 庄司が言うように、僕たちは部長に金玉もとい生殺与奪せいさつよだつの権を握られている。

 自主練習に参加することで「やる気」を示さなければならない。はたして、これが自主と言えるのだろうか。


 早朝の部室には早くも数名の部員が集まっていた。その中には当然、石生いしゅうの姿も見える。

 彼女は同級生の間に混ざり、屈託のない笑みを浮かべている。何の話をしているのやら。

 ふと、庄司がこちらに身を寄せてくる。耳打ち。


蒼芝あおしばならわかってくれると思うんだが」

「何が?」

「ほら。石生が他の奴らと笑ってると……なんつうかこう……寝取られたような気分になるよな……」


 虚しい話だった。朝っぱらから何を言ってるんだか。

 僕は反論させてもらう。


「なるわけないだろ。むしろ幸せなことじゃん。教室では村八分にされたけど、部室には話し相手がいる。良いことだろ。バカじゃねえの」

「バカなのはお前だ。蒼芝。どう考えてもオレらより、あっちで喋ってる藤瀬ふじせとか鈴木すずきみてえな男子のほうがイケてるっていうか……うぇっ。もう悲しくなってきた……」


 元々小柄な庄司がみるみる小さくなっていく。ついにはフローリングにしゃがみ込み、頭を抱えて丸まってしまった。

 雨が続くと、低気圧も相まって思考が後ろ向きになる人も多いというが、こいつの場合は自信が無さすぎる。

 そりゃ石生みたいな超級の女神様と一緒にいたら、僕だって彼我の釣り合いに悩む時もあるけどさ。

 あいつはあいつで、わりと僕たちを好いているから大丈夫だと思う。それこそ天使みたいなつらしながら極めて自分勝手な「仲良し計画プラン」を練っているくらいには。


「小野さん。庄司さん。出入口を塞がないでいただけますか。発声練習を始めたいのですが」


 いつの間にか背後に栗毛パーマの先輩が立っていた。部長だ。

 僕と庄司は慌てて放送室の中央に向かう。石生と合流し、みんなで輪になって普段通りの練習メニューを進めていく。


 まずは基礎練習から。

 肺活量の向上を目指して「あー」と肺の酸素が途切れるまで声を出し続ける。腹式呼吸の練習も兼ねており、練習中には部長が各部員の腹部をチェックして回る。

 シャツ越しとはいえ、お腹を凝視された女子たちは苦笑いするか、わかりやすく嫌そうな顔を見せていた。


「植田さんはもう少し頑張りましょう。お腹が膨らんでいません」

「はい」

「小野さんは相変わらず下手ですね。練習が足りていませんよ」

「はい」


 れっきとした指導なのだが、物黒部長の好感度は日々下がり続けている。


 続いて滑舌の練習が始まる。壁に貼られた「あえいうえおあお」の文字列をあ行からわ行まで唱和し、濁音(が行など)・半濁音(ぱ行)も同様にこなしていく。

 さらに「あめんぼあかいな」「寿限無」など全体練習が続き、部長の気分次第で休憩が入る。


 休憩以降は個別練習だ。今日は自主練習日なので参加・不参加は自由となる。

 庄司たちとアナウンス大会用の原稿を読み合わせてもいいが、雨が強くなるとイヤだし、早めに帰らせてもらおう。


 僕は物黒部長の元に向かう。

 間近で見ると女子から好かれそうな雰囲気なのに、垢抜けた外見からにじみ出る若干の変人っぽさが「残念」というか。癖が強い人だ。


「部長」

「これ……ポカリスエットです」


 今日は薬屋マオマオのモノマネを見せてくださった。何故だか妙に上手い。やっぱり推理モノがお好きなのかな。

 後ろについてきていた庄司がツッコミを入れる。


「ポカリスエットのペットボトル持ってんだから、そりゃポカリスエットでしょうよ」

「ははあ。庄司さんにはそう見えるのですね。そいつはまた滑稽こっけいなことで」

「何言ってんスか?」

「……洒落が過ぎましたね。小野さん、何か御用ですか」


 急に素面しらふになった部長は、庄司の存在を視界から外すかのように片目をつぶってくる。

 ウィンクではないはずだ。

 僕が正直に「雨が強くなる前に帰りたいです」と伝えると、相手は露骨に嫌そうな顔を見せてきた。


部長ボクに練習不足を指摘されていながら、平然と退室したいと。やる気を感じられませんね」

「今日は正式な部活ではないですし……」

「であれば……そうですね。小野さんのご家族からお尻を叩いてもらいましょうか。差し当たり、妹さんの連絡先を教えていただけますか?」

「えっ?」「おいコラァ!」「ああもう!」


 予想外の要求にビックリしていたら、背後から庄司と石生が止めに入ってきた。

 僕には妹なんていない。緑ちゃんは非実在少女だ。部長はそれをわかっているのか、今度こそ確かめるつもりなのか。

 どちらにしろ不当な要求だった。ハラスメントにあたるかもしれない。


 庄司が小さな身体で頭一つほど大きい相手ぶちょうに喰ってかかる。


「テメェ、この前から蒼芝にやたらちょっかいかけやがって。何がしてえんだ。言いがかりつけて退部させようってんなら、オレらが……」

「庄司さんには関係のない話でしょう」

「蒼芝は大親友だ。緑ちゃんは元カノだ。立派な関係者だろうが」

「元カノですか。ははは。では妹さんは現在フリーなのですね。それなら、やはり関係ないのでは?」

「ふ、復縁の気配があるんだよ!」


 えよ、そんなもん。

 僕は思わず庄司を叩きそうになったが、僕のためにやってくれていることなのでグッと堪える。

 傍らで石生が目を丸くしているのも気になる。あんなの庄司の軽口だから。頼むから信じないでほしい。


 一方の部長は困惑したような表情を浮かべていた。親指の爪を噛みそうになりながらも寸でのところで抑えている。


「ぬう。まだまだわかりませんね、これは……より推測を重ねていかねば。やはり小野さんは面白い」

「もう帰っていいですか」

「自宅で自主練習を続けるならかまいません。ああそうそう。妹さんによろしくとお伝えください」


 僕は部長の依頼には応えず、友人たちと部室を後にする。

 面倒くさい。どうしてこうも興味を持たれてしまったのやら。もう自主練習には参加したくないが、たまには顔を出さないと退部クビになってしまう。

 どうしたものかな。



     × × ×     



 雨の中を帰宅したら、叔父さんと山名やまなさんと京極きょうごくさんが3人でテーブルを囲んでいた。

 ボードゲーム同好会のOB・OG・現役部員の交流。微笑ましいはずなのに微妙にピリピリしているのは、山名さんが不満を隠しきれていないからだ。

 叔父さんと京極さんは奇行が目立つ。それゆえにどこか共感できる部分があるのか、出会って数日なのに「通じ合っている」ようにも見える。


「ちくしょう! おっさん、湖の辺りで領地を分断しやがって! ああもう。許しませんよ次こそは! ウチの騎士団で叩きのめしてやろうじゃん!」

「何度でも相手してやる。かかってこい京極光」

「…………」


 盤面を見るかぎり『バロニィ』の勝者は山名さん(公爵)。次点が叔父さん(侯爵)で最下位が女子大生(伯爵)だった。

 なのに女子大生は叔父さんしか見ていない。


 これは由々しきことだ。僕としてはあんな怖い人より山名さんのほうが何十倍も好きだし、彼女が望むなら是非叔父さんのお相手になってもらいたいと内心では願っていたりする。

 だが、このままだと良くない流れになりかねない。

 何とかしないと。


 僕は自室の衣装掛けに掛けられたキャスケット帽・トレンチコート・小豆色のマフラーを尻目に、脳内で春休みの目標を定めた。

 京極光あのひとを出禁にする。

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