3月24日 ・・・・


     × × ×     


 リビングから歓声が聞こえてくる。

 高校野球・選抜大会。第1試合の時点で日曜日の甲子園球場には観客が詰めかけているみたいだ。

 おかげで僕は寝坊せずに済んだ。


 2024年3月24日。

 僕は布団から起き上がり、枕元の眼鏡を手に取る。窓の外は灰色に染まっていた。雨の匂いがする。

 身体に違和感は無い。

 僕は貧相な胸板に触れつつ、片手でふすまを開ける。


「おはよう、叔父さん。元気になったみたいだね」

「ああ。昨日寝たおかげで『精神力コマ』+1、今日の『特殊カード』を引かずに『回復』を選んだことで+2、さらに『休日カード』の効果で+1。合計4まで回復した。ははは。我ながら人間の会話ではないな」

「今さら過ぎない?」


 僕は冷蔵庫から麦茶のポットを取り出す。コップに一杯。喉が心地良い。

 叔父さんはテレビの前で手帳を広げていた。試合のスコアブックでもつけているのかな。

 少し気になって覗いてみたら、手帳には「カード」という文字が並んでいた。これは野球のスコアではない。先日の『対戦』について、叔父さんなりに理解した内容を書き記したものだ。


あお。今の俺では京極光あいつに勝てない。何故だかわかるか」

「ええと……『精神力コマ』の最大値が、あの人のほうが多いから?」

「それも一理あるが。持てる手札が違いすぎる。あっちは7枚。こっちは最大5枚だぞ。しかも、相手方は初めから『対戦』仕様だが、俺の手札は手持ちのカードが『対戦』用に変化した形だった。当然初見だ。戦略の幅、情報面で格差がありすぎる」

「そうなんだ」


 僕にはイマイチ理解できなかったが、要するに叔父さんの「奇行」は『対戦』向きではないということだろう。

 京極さんのルールに従えば「遊ぶ」こと自体は可能でも、対等な試合にはならない。


 叔父さんは架空の山札、ではなく架空のハンドルを両手で握り始める。


「例えるなら、スポーツカーと市販車が同じコースを走るようなもんだ。俺が『手札追加』の『効果カード』を頭に挿していなければ、サーキットを走っていたのは自転車だったかもしれん」

「叔父さん。そういえばさ、あのカードって頭に載せてるんじゃなかったっけ」

「ああ……すまない。あれは方便だ。お前たちが怖がるかと思ってな。実際は車のETCカードみたいにグサッと挿し込んでいる」

「言い方が生々しいなあ」


 僕は思わず自分の側頭部に触れる。

 架空とはいえ何かを挿し込まれたら、少なからず脳神経が切れてしまいそうで恐ろしい。かといって抜く方向にはならないが。


 ちなみに叔父さんは自身に複数の『効果カード』を挿しており、たまに入れ替えたりしている。会話に出てきた『手札追加』は好きなカードを5枚までストックできるものだ。他にも『気分だけ満腹になる』『唐揚げが歯に挟まりにくくなる(-20%)』などがあるらしい。

 京極さんがそうした『効果』による恩恵抜きに手札を7枚も使えるのは、どういう理屈なんだろう。


 屋根を叩く雨音が大きくなる。

 テレビに映る甲子園にしのみやは天気良さそうなのに……よく見たら一昨日の放送が流れていた。録画だった。


『打ったー!!!』


 地元代表の大阪桐蔭おおさかとういん高校側が安打を放つ。二死満塁から左中間にタイムリーヒット。

 叔父さんは少しばかり顔をほころばせつつ、手元のノートに目線を戻す。


「現状、京極光と戦えば結果は見えている。勝つならいいが、負けたらまた休日がふいになる。自分なりに研究を進め、次の『対戦』までに万全の準備を整えておきたいところだが……うぬぬ……」


 言葉が萎んでいったのは玄関から扉を叩く音が聞こえてきたからだ。

 打撃音の間隔から居住者に対する思いやりが一切感じられず、何となく来訪者の想像がついてしまう。


 僕は叔父さんに告げる。


「追い返す。もしくは居留守を決め込む」

「待て。せっかくボードゲーム同好会の後輩が来てくれたんだ。OBとして相手になってやろう」

「でも今のままだとまたボロ雑巾にされちゃうんでしょ」

「心配するな」


 叔父さんが出迎えに向かう。

 別に心配していたわけではないが、このままだと同じことの繰り返しになる。


「こんちゃー」


 玄関から201号室に入り込んできた女子大生は、こちらの姿を見つけると当然のように脱いだばかりのトレンチコートを押しつけてきた。

 お前がハンガーに掛けておけ、という黙示なのだろう。

 僕は何も言わずに意を汲んでやる。反抗したらまた『効果カード』を引き抜かれそうで怖い。


 今日の京極さんは緑色のセーターを着込んでいた。人目を惹く容姿なのは知っていたが、加えて存外に魅力的なボディラインの持ち主だったらしい。全体的に小さくて細いのに出るところが出ている。

 自分も男子高校生の端くれ。自然と目線を向けてしまった。怖いのに見てしまう。ホラー映画みたいな人だ。

 彼女自身はリビングの中央に立ったまま、同好会のOBをまっすぐに見つめている。


「さあさあ。ウチらの『対戦あそび』を始めますよ。尾藤先輩」

「申し訳ないが、あいにく『精神力コマ』の回復が追いついてなくてな。まだ4しかない」

「ウチもまだ5なんで平気っしょ。お互い手札も少ないし。一昨日より名勝負になる予感しかありませんが?」


 京極さんの細い指先が架空の山札に添えられる。こちらはやる気マンマンだ。

 叔父さんのほうはそれを抑えるようなジェスチャーを示しながら、窓際の座布団に腰を据えてみせる。


「まあ、来たばかりなんだ。少し落ち着いてだな。ここは一つ、ボードゲーム同好会らしい落とし所を探ってみないか」

「テキーラのショット対決でもするの?」

「今の現役どもは何やってんだ……名作ゲーム『カルカソンヌ』で勝負しよう。京極光、お前が勝てば『対決』に応じてやる」

「へえ。昔はそういうノリだったのね。おバカで楽しいじゃん」


 意外にも彼女は叔父さんの提案に乗り気だった。ボードゲーム同好会の部員だけに通常のゲームも好きなのかな。

 彼女はテーブルの座布団に正座し、対面の男性から黒色の駒たちを預かる。そのうちの1つをポイントボードのスタート地点に入れたあたり、未経験では無さそうだ。


「言っておくけど。ウチは同好会の『カルカソンヌ』大会で通算17勝してますから。あのアカリンより多いんです。覚悟していたほうが良いですよ」

「お前のほうが若いよな。先手で行け」

「タイマンなら50点は余裕、わかってますかぁ?」


 2人が山札からタイルを取り合っていく。

 フランス南部をモチーフにした『カルカソンヌ』の盤面は非常に美しい。四角形のタイルには説明文など一切なく、市街地・草原・道路・修道院といった地形のみが描かれている。

 互いに1枚ずつタイルを並べていき、それらの地形を完成させた者がポイントを手に入れる。地形の所有権を示す駒(労働者)には数に限りがあり、プレーヤーは慎重な判断を迫られる。

 ルール自体はすぐに誰でも理解できる。単純な絵合わせだ。しかしながら駒の運用・タイルの繋げ方・相手地形の完成妨害・草原点の特殊条件など考えることは多岐に渡り、非常に頭を使うタイプのゲームに仕上がっていた。


 現に叔父さんは「ぐう」と頭を抱えながらタイルを並べている。

 一方の対戦相手は次から次へとタイルを敷き詰め、駒を配置していく。彼女は得意気に、楽しそうに『カルカソンヌ』を遊んでいた。


「…………」


 結果は叔父さんの圧勝だった。

 105対48の大差なんて久しぶりにみたかもしれない。


 京極さんはビックリするぐらい弱かった。叔父さんの巧妙なタイル配置に地形作りを阻害され、ほとんど自前の都市を完成させられなかった。一応未完成でも半額もらえるとはいえ、これは痛い。

 そもそも常に自分の手元しか見てなかったあたり、他のゲームも強くなさそうだ。それこそ昔の小野蒼ぼくと同じように。


「俺の勝ちだな。覚えておけ。京極光。お前の前にいるのは同好会の『カルカソンヌ』大会で通算58勝の男だ」

「……舐めんな、おっさん。次はウチが勝ちますから。もう絶対に!」

「いいぞ。かかってこい」


 両者の手で卓上のタイル群が掻き回され、整然と敷き詰められていたフランスの風景が切り刻まれてしまった。

 諸行無常。世界は何度でも形作られる。


 僕は狂人たちを尻目に自室に戻る。衣類掛けにはトレンチコートと共にキャスケット帽も掛けられている。

 今回こそ2つとも持って帰ってもらおう。でないと自分の空間が女子大生のウォーク・イン・クローゼットと化してしまいそうで怖い。

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