8月12日 ・◎


     × × ×     


 叔父さんのアパートにはドラム式の洗濯機が備え付けられている。型落ち品だが、衣類の洗濯から乾燥までボタン一つで済ませてくれる。非常にありがたい代物だ。

 2023年8月12日。

 僕は洗濯機のドラムから出てきた薄黄色の水着に動揺を隠せずにいた。


 思い出したくない。なのに記憶があふれてくる。

 悪魔の甘言に抗いきれず、美貌の女神を売店に連れて行ってしまったこと。

 心優しき女神は従者の水着も選んでくださった。あろうことか女子更衣室で着せ……着せてくれた。

 代わりに彼女の背中の紐を結ぶことになった。

 僕は断りきれなかった。脳内が茹で上がってしまいそうだった。しきりに「小野君のえっち」と苦笑された。


 プールサイドに戻ると、石生いしゅうはすぐに衆目の的になった。

 彼女に手を引かれ、僕は流れるプールに入る。回転寿司のレーンみたいだと内心で思っていた水の中では、石生が浮き輪に捉まりながら笑い、水滴を浴び、テンションが上がりすぎて片手を空に突き上げながら潜ったりしていた。

 あまりにも楽しすぎた。


 それから庄司しょうじも浮き輪片手に追いついてきて、プールサイドでは叔父さんがスマホのカメラを構えていて──今に至る。


 今思えば、何もかも石生の狙いどおりだったかもしれない。

 あいつは常にふわふわしているけど、いざという時には頭が回る。それはボードゲームの強さからもわかる。

 彼女は多分、心の底から友達ぼくたちとプールで遊びたかったのだろう。

 彼女の願いは果たされた。


あお


 背後から声をかけられる。叔父さんだ。

 僕は咄嗟に水着をカゴの中にぶち込んだ。脱衣所で女物の衣類を持ったまま佇んでいたら、家族でも変質者だと思われてしまう。


 叔父さんはスマホを持っていた。昨日帰る前に庄司のクラスメートたちと撮った写真が映っている。

 一応パーカーを羽織りながらも前のチャックを閉じておらず、水着姿を隠そうともしない昨日の小野蒼おのあおを殴り倒してやりたい。楽しそうにしやがって。全くもう。

 僕は叔父さんからスマホを手渡される。


「俺のスマホにこんな写真が入っていたら、法律に引っかかるかもしれん」

「たしかに。みんな未成年だね」

「石生さんに後で送るように依頼されている。お前が選んで送信してくれ。そうすれば『ねがいカウンター』が2つになるはずだ」


 叔父さんは昨日、石生からカメラマンになってほしいと依頼されていた。おかげで手元のスマホの中には黒歴史が何十枚も詰まっている。

 いっそ全部消してしまいたいが、僕が男子に戻るためには『ねがいカウンター』を7人分貯めなければならない。


 僕は写真を選別していく。ほとんどが楽しそうにはしゃぐ女神様を捉えていた。

 プールサードでたこ焼きを頬張り、かき氷の残り汁をストローで吸い、あざといポーズを取り、同じポーズを傍らの垢抜けない女子に取らせようとしたり、なぜか庄司と腕相撲を始めたり、3人でウォータースライダーから降りてきたところを叔父さんに撮らせていたり──本当に楽しそうで何よりだった。


 逆にカメラマンにはお疲れ様でしたと言いたくなる。現に叔父さんは『休日カード』を使用したはずなのに顔面に生気がなく、リビングでぼんやりと高校野球の放送を眺めている。

 本日分の『特殊カード』も使い物にならず捨て札にしたらしい。後で『アンドーンテッド』で遊んであげよう。


 写真の青空がオレンジ色に染まり始めると、庄司のクラスメートたちが被写体に加わっていく。

 リーダー格の田町慎吾たまちしんご朝井あさいという女子をカップルにしようという企ては成功したらしい。

 庄司曰く「首の皮一枚繋がった」「殺されずに済んだ」とのこと。

 叔父さんの写真の中にも女神様の背後で田町と女子生徒が寄り添うものがあった。めでたししめでたし……後ろのカップルには悪いが、自信たっぷりに腕を組む石生の顔つきが妙に格好良いせいで魅入みいってしまう。

 他にも僕と庄司のツーショットなど様々な写真があった。これはいらないな。


 僕は選別した写真群を自分のスマホに送り、庄司と石生とのグループラインに流しておいた。

 さっそく石生から返信が来る。


『小野君&尾藤びとうさんありがとう。明日お礼持っていくね』


 彼女が来るということは庄司も来る流れになる。こうして庄司の予定は自動的に埋まっていく。

 逆のパターンも然りで、僕が強制的に遊びに連れていかれることもある。例えば昨日のプールのように。

 日程を調整できずに断ることもあるが、こうして石生と2人きりにならないようにすることで僕たちはカップルの成立を防いでいる。

 2人がかりでないと石生とは吊り合わない、とも言える。


 自分にもいつか恋人が出来るのだろうか。

 元に戻らないかぎりどうしようもないが、せめて夢を見たいとは思った。



     × × ×     



 叔父さんの新要素『ねがいカウンター』には一定のルールがあった。


 例えば、夕方にやってきた山名やまなさんが「イサミ先輩、ピザが食べたいです」と言い出した時、叔父さんは宅配ピザを注文してくれた。

 これにより『ねがいカウンター』は3つになったが……次に山名さんが『カタン宇宙版』をやりたいと言い出し、2時間半かけて遊び終えた時にはカウンターが反応しなかった。


「1人1つみたいですねー」


 山名さんが落ちていたコマを3つ並べる。それぞれ色違いになっていて、わかりやすい。

 叔父さんはボードゲームのおかげで少し元気になっていた。


「そうだな。まあいい。次は軽く『バロニィ』でもやろう」

「ハイ最高。あお君もやるよね!」


 僕は巻き込まれてしまった。

 正直なところ長時間プレイした後は眠たくなるのだが、すでに叔父さんが3名分のボードを並べ始めていた。


 食卓に六角形ヘックスをつなげた形の世界が広がる。山名さんが愛する『バロニィ』は男爵バロンとして騎士団を率い、領地となる村を広げていくゲームだ。

 プレーヤーは村を作るたびにポイントを入手できる。ポイントをまとめて国王に上納することで爵位が一つ上がり、公爵まで陞爵しょうしゃくすれば勝利できる。

 単純に村づくりに励めばいいように思えるが、自分の村を他プレーヤーに収奪されると、手元にあるポイントの札を取られてしまう。

 それを防ぐためには騎士で守りを固める必要がある。しかし騎士を遠征させなければ新たな村を作ることもできず……絶妙なジレンマを楽しむことができるゲームだ。


 山名さんは恐ろしく強く、今回もあっという間に勢力圏を固めてしまい、後方の安全地帯で村づくりに励んだ末に完勝を飾っていた。僕は侯爵にもなれなかった。昨日は姫を守る騎士だったのに。


「……しまった。そういうことなのか」


 叔父さんが両手を合わせる。

 彼の指先は緑色の騎士コマではなく、何もないはずの食卓の端を抑えていた。


「山名にもらった『カウンター』が減った。どうも逆に俺が依頼してしまうと『カウンター』が消えてしまう仕組みらしい」

「ほええ。でしたら先輩、もう1戦するしかないのでは!?」

「おお……そうだな!」


 山名さんの人差し指に応え、叔父さんが新たな世界を作り上げていく。

 僕はまたもや巻き込まれてしまった。

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