8月13日 ・・◎◎◎


     × × ×     


 2023年8月13日。

 叔父さんは盆休みを満喫していた。


手番ターン開始」


 午前11時に起床する。洗面所で歯を磨く。髭を剃らない。

 リビングの座布団に座り、高校野球の「徳島商業対智弁」の試合を観ながらインスタントの味噌汁をすする。

 ぼくの視線に気づいてか、おもむろに右手の指で寿司を握るようなポーズを取る。山札に手を添えている。


「今朝の『特殊カード』は……これは難しい。後で相談しよう。次に『休日カード』だが、休肝日を取ることで『精神力コマ』が2回復するのか。面白い冗談だな」


 叔父さんは早くも缶ビールを開けていた。

 盆休みと正月しか味わえない贅沢だと言うが、昼間から酔っ払いの相手なんてやってられない。


 僕はふすまの向こうに逃げる。友達が来るまで自室にこもろう。たまには一人きりになりたい。

 しかし僕の部屋の布団ではスウェット姿の女性が仰向けになったままで、何やら楽しそうな夢を見ているようだった。


「あがっ……川畑かわばた先輩、ここで右半分のサイコロとか止めてくだ……やっぱり、あたしのティラノちゃんどこにも……川流れ……」


 山名さんは夢の中でもジレンマに囚われていた。何のゲームなんだ。

 彼女が叔父さんのアパートに泊まるのは初めてではない。ただし以前は同じくボードゲーム同好会出身だという男女を連れてきていた(あの時は狭苦しくて辛かった)。

 さすがに未婚の女性が独りきりで男性の家に泊まりに来る、というシチュエーションは避けていたみたいだ。

 なのに今回は独りだった。僕は考えを巡らせる。思考の行きつく先は自分の肉体だった。もう男性だけの家ではなくなってしまった。


「んんっ。ちょっと寒いなー」


 山名さんが布団から起き上がってくる。エアコンを効かせすぎたというよりは、彼女が掛け布団を蹴飛ばしたせいだ。


「おはようあお君。イサミ先輩は起きてる?」

「叔父さんなら缶ビール開けてます」

「マジかー。あの人より早く起きるつもりだったのに……ねえ、すぐそこにいるんだよね。襖の向こう」


 彼女の声がささやくようなものに変わる。

 僕がうなづくと、彼女はボサボサのショートヘアを指先できながら、口元をモゴモゴさせた。


「ううん。寝起きの顔、先輩に見られたくないなー」

「山名さんって叔父さんのこと、気にしているんですね」

「え……あ、今のはそういうのじゃないんだよ。身だしなみ。そういうのじゃなくても、やっぱり舐められたくないの」


 山名さんは目をパッチリ見開いて、若干恥ずかしそうに声を殺して答えてくれる。

 舐められたくない。

 僕にはわかるようでわからない考え方だったが、モゴモゴしている山名さんを助けてあげたいとは思った。

 約3時間後には僕の友達もやってきてしまう。


 ここは『アレ』の出番だな。

 僕は襖の向こうに話しかける。


「ねえ、叔父さん。申し訳ないけどスーパーで半田素麺はんだそうめんとツユを買ってきてくれない?」

「今、試合が良いところなんだが」

「これで『ねがいカウンター』が貯まるでしょ。早く僕を元に戻してほしいんだけど」

「ぬう」


 リビングから廊下に向かう足音がした。やがて玄関の鉄扉が擦れた音を鳴らす。

 上手くいった。ありがとう叔父さん。後で『カルカソンヌ』でも付き合うよ。


「ありがとね」


 山名さんは普段通りのさっぱりした笑みを浮かべ、僕の頭を撫でてから洗面台に向かっていった。

 彼女が横たわっていた来客用の布団には香水とアルコールの匂いが混じり合い、僕自身は気にならないが友達には嗅がせたくない感じだった。


 僕は短パンのポケットからスマホを取り出し、友達とのグループラインに「今日カラオケ行かない?」と打ち込んだ。



     × × ×     



 駅前のビッグエコーは中高生でいっぱいになっていた。将棋会館近くのジャンカラも同様だった。


 僕は一旦アパートに戻り、タンクトップの上から叔父さんのワイシャツに袖を通した。

 先日のプール以来、我ながら外出に尻込みすることはなくなった。ただ他者からジロジロ見られるのは気分が良くない。ああいう所に入れなくなる。


 プールの時は庄司のパーカーに助けられた。

 ああいう身体の輪郭シルエットを隠せるような、大きめの服が叔父さんの部屋には数多く転がっている。

 壁に掛けられた「大阪近鉄」の紺色の野球帽を被り、僕はカラオケ探しの旅に出る。


「行ってらっしゃい。蒼君その服、可愛いね」

「か、かわ……!?」


 まだアパートにいた山名さんの口から出てきた予想外の言葉。

 僕は足元が崩れそうになった。

 慌てて洗面台の前に立つ。出来るだけ目立たないようにつくろってきた。実際、鏡に映る姿は石生いしゅうみたくキラキラしているわけではなく、そのままの今の小野蒼ぼくだった。


 鏡面に山名さんが加わる。


「うんうん。ボーイッシュで似合ってるよー」

「元々ボーイですし……」

「イサミ先輩のシャツが良い感じにブカブカで合ってるよね。短パンで日焼けした生足見せつけてて、短髪と帽子もスポーティだし、眼鏡は外したほうが似合うと思うけど、十分健康的で可愛い可愛い……あっ。ごめん蒼君。気を遣えてなかったかも」

「全部脱ぎます……」

「待って待って!」


 シャツを脱ごうとしたら山名さんに止められてしまう。

 両肩を掴まれ、脱衣所の壁に身体を押しつけられてしまった。今の肉体だと山名さんにも負けてしまうのか。 

 当の彼女は目を伏せて、ぶつぶつと考えごとをしている。


「……あたしなら仮に男になっても、子供になっても、おばちゃんになっても、あえてダサい服を着ようとは思わない。その時、似合う服を探す」

「似合う服……」

「そのほうがテンション上がるから。あお君もあと少しで戻れるなら、今のうちに似合う格好しておきなよ。またとない機会でしょ」

「でも恥ずかしいですよ」

「そだな……君はイサミ先輩みたいになりたいの?」


 僕の胸にグサッと短剣が突き刺さった。

 当然ながら比喩表現だが、それくらいのインパクトがあった。


 僕の叔父さんは「奇行」が目立つ。そう「奇行」が目立つだけで、ボードゲーム以外の全般において努力や手入れを怠る傾向がある。

 プロスポーツ選手ならストイックという誉め言葉も活きてくるが、あの人は一般人だ。単純にボードゲーム以外の全てを本質的に捨てている。狂人の類だ。


 ああなりたいのか。

 僕は胸の短剣を引き抜いた。


「無理です。僕はあんな風にはなれません。あそこまで何かに没頭できないです」

「だよね。だったら……似合う格好、似合うと思える格好を選ぶくらいの余裕、持っておきなよ」


 山名さんに右頬を撫でられる。

 彼女には「奇行」がない。かつてボードゲーム同好会の『満漢全席』という耐久イベントを8時間で抜けたことで、まともな人生を送れている。

 だから彼女の生き方は参考に出来る。


 僕は悩んだ末、似合うと言われた格好で外出することにした。

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