8月13日 ・・◎◎◎◎ カラオケ


      × × ×      


 カラオケボックスは涼しい。何と言っても涼しい。

 おまけにドリンクバーもある。

 大抵は下階にあって、カラフルな階段をせこせこ歩かなければならないが、今日は部屋を出てすぐのところにディスペンサーが並んでいた。おまけにソフトクリームのサーバーまであった。


 僕は笑わずにいられない。人生に勝ってしまった気分だ。

 眉目秀麗なコーラフロートを作り上げ、僕は友達の所に戻る。両手がふさがってしまったからには部屋の扉は右肩で押し開けるしかない。


「よいしょ」

「サンキュー蒼芝あおしば


 奥まで詰めれば12人くらい入れそうな細長い空間では、庄司が独りで教科書やノートを広げていた。

 久しぶりの非日常空間が現実に引き戻される。


「庄司お前、まだそんなに課題残ってたの?」

「仕方ねえだろ。オレはお前みたくガリ勉じゃねえもん。こんなん追い詰められるまでやってられるかよ……って毎年思ってたから今年は早めに頑張ってんだよ」

「偉いじゃん」


 僕は片方のコーラフロートを『現代文』の教科書の傍らに提供してやる。

 もう片方は自分用だ。

 対面のソファに本来おわすべき美貌の歌姫は、まだ姿を見せていない。


石生いしゅうはいつ来るんだろ。庄司が天王寺てんのうじなんかに呼びつけるから、迷ってるんじゃないの」

「うるせえ。他にカラオケ空いてねえし、いつも蒼芝のテリトリーで遊ぶのもおかしいだろ。せっかくオレが予約してやったのに」

「その節はどうも」


 僕は庄司の左隣に腰を据え、エアコンの冷風をじかに浴びる。涼しすぎる。叔父さんのシャツを借りてきて良かった。

 カリカリカリ。シャーペンがノートの表面を削っていく。

 庄司は石生が来るまでに区切りの良い所まで課題を終わらせる構えだ。

 であれば。誰がマイクを持っていても問題ないはず。


 僕はカラオケ用のタブレットを引き寄せ、以前石生が熱唱していた歌を入れてみる。

 今の僕の身体なら女性ボーカルの曲でも対応できる気がしたが、どうにも歌詞が早口すぎて噛みまくってしまった。

 サビの合いの手まで完全にやってのけた石生の歌唱力に改めて脱帽するしかない。


「ふう」


 僕は卓上にマイクを戻す。勉強熱心なはずの庄司から妙な視線を感じる。振り向くと訝しげな顔が迎えてくれた。


「何だよ庄司」

「こいつ楽しそうだな……って」

「楽しくなきゃカラオケなんて誘わないじゃん」

「まあ、あと少しで男に戻るもんな。今のうちだよなあ」


 ウンウンとうなづく庄司。

 別に元に戻る前に堪能しておこうなんて発想でカラオケを企画したわけではないが、薮蛇になりそうなので僕は何も言わないでおいた。


 まあ、実際のところ以前ほど深刻な心持ちではなくなっている。

 以前は叔父さんの『特殊カード』の引き次第で全て決まる、いわば「運ゲー」だった。

 それが今回の拡張で努力が報われる仕様になった。

 簡単すぎる依頼だと『ねがいカウンター』が増えないため、赤の他人から報酬を得づらいものの(例えば駅前の道案内程度では反応しない)、お盆明けに叔父さんが出勤するようになれば……すぐに7人分貯まる、とは本人の弁だ。


 僕は他に歌えそうな曲を探してみることにした。


「今のうち……今のうちなんだよな……」


 右の方から不穏な呟きが聞こえてくる。

 何となく距離を取りつつ、僕は訊ねてみる。


「何が今のうちなんだよ」

「蒼芝、カメラに向けてピースしてくれ」

「はあ」


 僕は言われるがままに庄司の自撮りに巻き込まれる。

 写真の出来に不満があったのか、庄司は再びスマホを斜め上に持っていく。


「今度は眼鏡外してくれ。そうそう。もうちょっと笑えるか。おお良い感じ」

「マジで何がしたいのさ」

「クラスメートに自慢したいのさ。小野緑おのみどりちゃんにはオレの元カノになってもらう」

「付き合ってもいないのに元カノって……」

「じゃあ、一旦付き合ってくれ。そんで、すぐに別れたら成り立つだろ」


 僕は絶句した。

 カスみたいな口説き文句を坊っちゃん刈りのカスにぶつけられた。

 舐められている。山名さんが危惧していたことが少しだけわかった気がする。

 別に庄司の狂言に合わせてやったところで、僕自身が失うものなんて何も無いはずだが、そのために今の自分を安売りするのは「違う」。半ば冗談だからこそ余計によろしくない。


 僕はマイクに息を吹きかける。


「嫌だ。絶対に嫌だね」

「男同士で彼氏彼女になろうって話じゃねえぞ。蒼芝は名前を貸してくれるだけで良いからさあ」

「もはや詐欺師の誘い方じゃん。誰もハイって言わないっての、そんなの」

「だったら……」


 庄司はスマホをポケットに戻すと、汗ばんだ両手でこちらの左手を包み込んできた。

 突然の接触に僕はビックリしてしまう。


 相手は正面突破を試みてきた。相対する目と目の間に距離こそあれど、彼我の視線は真っ直ぐに衝突する。

 庄司の分厚い唇が言葉を紡ぎ出す。


「小野さん。好きです。オレと付き合ってください」

「おっ……お前、庄司お前バカじゃん」

「ほら一旦は受け入れてくれよ。頼む。今なら食堂の回数券を2週間……いや30日分くれてやるから」

「わ、わかった。わかったよ、もう」

「よっしゃあ!」


 庄司が力強く拳を突き上げた。

 ソファから立ち上がってもチビのままだ。


 僕は頭を抱える。実益に釣られて緑ちゃんが庄司の元カノになってしまった。我が校の食堂が美味しすぎるせいだ。

 うわあ。胸を抑える。無駄に心拍数が上がっている。腹を抑える。少し吐きそう。本気でありえない。


 傍らではさっそく庄司がスマホをいじり回している。さっきの写真をクラスメートに送りつけるつもりらしい。

 阿呆な話を既成事実にされてたまるか!

 僕が庄司の手からスマホを引き抜こうとにじり寄ったところで、個室の扉が開け放たれた。


「石生ちゃんが来たぞ〜」


 バッチリと女子っぽい服装で固めてきた姫君が、ようやく降臨なされた。今日のテーマはロングスカートとネクタイらしい。

 僕たちは慌てて距離を取る。庄司なんて部屋の奥まで飛び退いてしまい、石生に手を振りながらソファから床に転げ落ちていた。


 当の石生は笑顔のまま、僕の対面に座った。


「小野君お待たせ。二人で何の話してたの?」

「いや……別に大したことは……それよりさっき△△△△の主題歌を入れたけど、全然音程が合わなくてさ」

「ええ〜じゃあもう一回やってみよっ。あたし小野君と一緒に歌いたい!」


 彼女が嬉しそうにタブレットを触り始める。僕たちのカラオケは抜群の歌唱力を誇る彼女のワンマンショーに陥りがちだ。

 そこに乱入するような自信は持ち合わせていないが、石生にマイクを向けられてしまったら仕方ない。

 転げ落ちたままの友達を尻目に、僕はモヤモヤした気分をマイクにぶつけた。



     × × ×     



 夜を目前に控えた頃。

 僕は首を捻りながらアパートの外階段を上っていた。

 久しぶりのカラオケ会を大いに楽しめたのは良いとして。帰宅途中で肝心の「庄司を振る」という段取りを踏んでいないことに気づいてしまった。

 あのバカは忘れているかもしれないが……うむむ。

 僕は多少気落ちしながら201号室のドアノブを引いた。


 リビングでは叔父さんがトランプで遊んでいた。

 オーソドックスな独り遊びである『クロンダイク』でもやっているのかと思いきや、食卓には3枚のカードが並んでいるのみ。


「おう。戻ったかあお

「ただいま。叔父さん何やってるの?」

「今朝の『特殊カード』が面白くてな。52枚のトランプから3枚引き、それぞれの数字とスートを全て当てることが出来れば……」


 叔父さんがそこで言葉を止める。


 もしかして願いが叶うとか?

 僕は若干の期待を込めて訊ねる。


「どうなるの?」

「2000円もらえる」

「しょうもな」

「いや2000円はデカいだろ。蒼にはまだわからんかもしれないが、さっきまで山名と相談しながら……」


 叔父さんの言葉を聞き流しながら、僕はテレビのリモコンに触れる。

 公共放送によると日本列島に台風が近づいているらしい。

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