4月8日 ・・ ドロー


     × × ×     


 福島駅から徒歩数分。

 アパートの201号室まで戻ってきた僕は、リビングに座り込んだまま割り箸片手にお茶漬けをすする女子大生と出くわした。

 目が合うものの、互いに話すことなどないらしい。

 暫しの無言を挟み、僕はふすまの奥、自分の部屋で着替えることにする。あれ。すでに足元の風通しが良いぞ。

 そういえば女子の姿のままだった。

 というか庄司しょうじから鞄を返してもらっていない。


「あの野郎」


 僕はポケットからスマホを取り出すが、画面を直視できるだけの勇気が沸いてこなかった。

 普段通りのやり取りなら女子扱いされようが、多少外見を褒められようが、軽口や冗談で済ませられた。

 しかしながら、あの流れでああも正面から告白されると言い訳がつかない。石生いしゅうという証人までいる始末。


 僕は部屋から脱衣所まで早足で向かう。

 洗面台の姿見に映る姿は、やや頬が赤い点を除けば普段通りの小野緑じぶんだった。

 こいつ。この魔性(?)の女め。大して可愛くもないくせに大切な友達、部活の先輩を狂わせやがって。憎らしい。人間関係がズタボロになっちまったぞ。


「……早急に元に戻ろう」


 僕は改めて決意を固める。

 握った拳を緩めながら脱衣所を後にすると、トイレに向かう女子大生と廊下でぶつかりそうになった。

 やはり互いに話すことなどない。

 いや、あるじゃん。


京極きょうごくさん、なんでまだここにいるんですか」

「さっき『気力』回復したから。めっさ寝てた」


 彼女はトイレに入っていく。しっかり鍵も閉めていた。

 どうやら叔父さんと山名やまなさんは昨日の『対戦』でダウンした彼女を室内に放置したまま出勤していったらしい。

 知り合いとはいえ他人を部屋に残すなんて不用心だなあ。僕は呆れてしまう。余所の家で勝手にお茶漬けを作る奴もどうかしているが。

 水の流れる音。


「君、学校では女子生徒なんだ。つーかウチの母校じゃん」

「友達から借りただけです。それより回復したならお帰りになったほうが」

「頭に挿されたカードを返さないと、だから」


 彼女は見るからに元気がなかった。萎れた花、繁忙期の叔父さんみたいだ。おそらく『精神力コマ』が1つしかない状態なのだろう。

 頭に挿された効果カードというのは例のやつだな。

 山札が残り2枚になるカード。


 ふと、僕は思いついてしまった。


「京極さん。そのカード、僕が預かりましょうか」

「なんで?」

「叔父さんって残業で遅くなる時もありますし。ずっと京極さんに居てもらうのもちょっと。あとはその。1枚引いてみたいなーって」

「別にいいけど」


 彼女は自身の側頭部を摘まむと、目には見えないものをこちらのこめかみに突き刺してくれた。

 途端に視界の片隅にカードの束が浮かび上がってくる。あと2枚。たぶん1枚引いても問題ないはず。


 僕は胸の鼓動を抑えつつ、山札からカードをドローしてみる。

 初めての「引き」は『お茶漬けを食べると精神力+1』だった。さっきのあれを見たせいだな。お腹空いてるし。


 僕は目の前の女子大生にカードを手渡す。


「差しあげますよ」

「え? ほほう。精神力って気力のことじゃんね。もう1杯くっちゃお」


 彼女は玄関ではなくリビングのほうに引き返していく。失敗した。追い出せなかった。


 自分の視界にはなおも山札が表示されている。

 これって非奇行保持者まともなひとが山札切れを起こしても大丈夫なのかな。せっかくならもう1枚引いてみたい。カードドローの内容は自分の内面に由来すると考えられる。ならば。完全な小野蒼じぶんに戻るためのカードが出てくるかもしれない。

 小野緑を消してしまえるなら試してみるだけの価値はある。


 僕はおそるおそる山札に手を伸ばしてみる。いいのか。これは叔父さんがいずれ使うつもりだったという、京極さんにとっても常人に戻れるかもしれない大切なカードなんだぞ。

 山札ゼロになったら『効果カード』自体も消えてしまわないか。


「……ん?」


 僕は目をこらす。よく見ると1枚引いたはずなのに山札は2枚のままだった。

 そりゃそうだ。『山札が残り2枚になるカード』なんだから。残り1枚になるわけがない。

 つまり引き放題ということ……?


 僕は再びカードを引こうとしたが、なぜか掴むことが出来なかった。


「あれ?」

「君さあ。当たり前でしょ。そんなん毎日1枚しか引けないっての」


 リビングでお茶漬けすすり中の京極さんが説明してくれた。


「そういえばそうでしたね……」

「ウチらは休みの日に追加で『休日カード』も引けるし、そん時なら合計でゼロになるんじゃない。どーでもいいけど。ウチは「奇行」やめるつもりないし」

「やめないんですか?」

「人生つまんないじゃん」


 せっかく特別になれたのにさ、と彼女は続ける。

 特別。男女どちらの姿にもなれるのも特別といえばそうだ。世の中には僕の境遇を羨ましがる方もいるかもしれない。

 現実的には死ぬまで高校時代のジャージを手放せなかったり、面倒だと思えることも多いのだが。

 たしかに特別だ。それこそ叔父さんや京極さん、川畑さんたちも。


「お金に困ったら自衛隊に『満漢全席』のやり方を売り込めばいいし。特殊部隊なら三日三晩ボードゲーム大会くらい余裕っしょ」


 茶碗を飲み干してから恐ろしいことを言い出す女子大生。千葉の習志野ならしの駐屯地に超能力軍団が生まれてしまう。

 その前に彼女自身が解剖されかねないが。

 お茶漬けをすすり終えた彼女は立ち上がると、玄関に向かうことなく戸棚から『宝石の煌めき』を取り出してきた。


 僕は思わず訊ねる。


「まだ帰らないんですか」

「ウチって今後出入り禁止なんだよね。要は玄関を出入りしなきゃ良いわけ。そういうこと」


 その理屈だと一生ここに居ることになってしまう。

 僕は頭を抱える。もういいや。ゲームしながら叔父さんの帰りを待とう。考えるのに疲れてしまった。いや考えるのに疲れたのに頭使うボードゲームするの? 無理じゃん。もう寝ようかな。


「まあ少し付き合ってよ、クソガキちゃん。ボードゲーム同好会の新入部員には逃げられ、大好きな『対戦』ゲームを封じられたウチにとっては、これだけが『癒し』なんだからさ」


 京極さんはあえて弱みを見せるように、やや寂しげな顔を向けてくる。相変わらず画になる女性だ。すごくズルい。

 クソガキちゃん。酷い呼び名だが、存在を認知してくれたお礼に卓を囲ませてもらおう。

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