4月8日 ・・ ワールドイズマイン


      × × ×     


 午後8時過ぎ。玄関扉の鍵穴をほじくる音がした。

 足音が複数。叔父さんだけでなく山名やまなさんも一緒にいるらしい。

 リビングまで辿りついた彼らが開口一番に選んだ言葉は「リスク?」だった。もちろん僕たちが遊んでいたボードゲームの名前だ。


 世界地図を模したメインボード上に歩兵・騎兵・砲兵が展開している。実際には兵種など存在せず、1部隊・5部隊・10部隊を示す駒でしかないのだが、雰囲気作りに一役買っていた。

 ルール自体は単純だ。自軍部隊を敵領地に進出させる。非対称なサイコロの出目で勝敗が決まる。負けたら部隊を失う。それを好きなだけ繰り返す。

 占領地の数に応じて手番の度に新兵がもらえたり、占領時にもらえるカード次第では追加の増援を配置できたりと、細かいルールこそあるものの……目的が単純明快なだけにわかりやすいゲームだと思う。

 さあ世界征服を始めよう。


「なんだあお。お前の青軍はオーストラリアに引きこもって為す術なしじゃないか」

「仕方ないでしょ叔父さん。さっきまで庄司の赤軍にボコられてたんだから。今は味方だけどさ」


 僕は外野の声をあしらいつつ、増援の騎兵駒をタイ王国のあたりに加えておく。

 これから中東とアフリカを支配する赤軍しょうじと共同で、極東方面の京極きょうごくさん領を叩く予定だ。


 庄司の奴。わざわざアパートまで鞄を返しに来てくれたのはまあ良いとして。

 例の告白を無かったことにしたくて男の姿に戻ってから、


『勘違いさせて本当にごめん。やっぱり二度とお前の前で緑ちゃんにはならないよ。僕たち友達だろ』


 と告げたら、その後のボードゲームでやたらと目の敵にされてしまった。

 さすがに『リスク』みたく長時間かかるゲームの序盤で国家消滅ゲームオーバーの憂き目には遭いたくなかったから、苦渋の決断として庄司の条件を呑み、今の僕は以前石生に選んでもらった涼しげなワンピースに袖を通している。悲しい。


「なるほどねー。蒼君ったらそういうことしちゃうんだ」


 何となく状況を察したらしい山名さんに笑われてしまう。

 違うんです。よくよく考えたら石生の奴もグルになってたんです。庄司の赤軍がこちらに総突撃を仕掛けてくる間、石生の黄軍は欧州方面から赤軍の後方を叩けたはずなのにそうしなかったんです。

 結局ボードゲームでも人間の外見に左右されちゃって悲しいけど。本質的には勢力均衡を目指した外交の結果なんです。決して色仕掛け等ではありません。


 そうした盤外戦の影響もあり、現状の盤面は極東アジアと南米が主要戦線となっていた。京極さん対高校生連合の構図になりつつある。


 叔父さんが状況判断から勝敗予想を立ててくる。


「俺の見立てでは京極光きょうごくひかりの黒軍の勝ちだな。山名はどう思う?」

「あたしも出入禁止さんが有利だと思います。出入禁止なのに極東と南北アメリカ抑えててイケイケですよねー」

「うぐっ」


 恋人からトゲのある台詞をぶつけられ、叔父さんが狼狽する。

 たしかに約束通りに追い出すべきだが、どんな理由があろうと他者のプレイを妨げられないのが叔父さんだった。

 叔父さんは脳の半分がボードゲームだからか、自分の持ち物で遊んでもらえると心地良い気分になるらしい。


「まー冗談ですよ。例の『対戦』で倒れるならともかく。卓を囲む程度で浮気とか言ってたらイベントとか行けませんし。あとさっきまでたーっぷり甘えさせてもらえましたし? 許してあげます」

「本当か山名!? 蒼、庄司君、石生さん、京極光、それが終わったら6人で『ワイナリーの四季』やるぞ!」


 叔父さんがめちゃくちゃなことを言い出した。高校生の門限について少しくらい想像力を働かせてほしい。僕たちは明日も学校なんだから。


「たっぷり……」「甘えさせ……」


 庄司と石生は別のことに気を取られている様子だった。2人とも顔を赤らめている。僕は気にしない。そういう部分には触れないのが肉親というものだ。

 京極さんはどうでも良さそうにポテチを摘まんでいた。戦力の配分も適当っぽい。前線の守りを固める気がない。

 チャンスだ。僕は自分のターンを待ち、突撃発起位置さいぜんせんに増援を配置。すかさず京極さんの占領地を奪いに行く。

 攻めるたびにサイコロを振らなきゃいけないのが『リスク』の短所だ。ちなみに守備側も振る。それこそ『ドミニオン』のカードシャッフル以上に振りまくる。


「進めえ!」


 我が極東方面軍総勢16部隊が、波状攻撃で京極さんの黒軍を削っていく。

 やがて我が軍の先鋒がモンゴルに入った。僕は征服者として京極さんから領地カードを受け取り、さらに返す刀で日本列島を攻め落としてみせる。

 よし。あれを叫ぶ時が来た。


「極東方面軍は──世界最強ォ!」

「甘いっての」


 京極さんはモンゴルを失っても余裕を崩さない。

 続いて手番を迎えた石生にイルクーツク・カムチャツカ方面を攻め落とされ、ついに極東アジアから追い出されてしまってもなお、女子大生の端正な顔からは焦燥感を見出せなかった。


「ふふん。デカ乳もクソガキも。ちゃんと盤面見たほうが良くない?」

「で、デカ乳!?」


 いきなりピンポイントな渾名を付けられ、石生が目を丸くしていた。出会って早々に京極さんから存在を認知されているあたり石生のビジュアルりょくが窺える。僕なんて2週間もかかったのに。

 ちなみに庄司は先ほどから「ねえ」「そこの」と呼ばれていた。


 それはともかく。

 言われたとおりにメインボードを眺めてみたところ──どうも京極さんは守りづらい極東を捨て、本拠地の南北アメリカ大陸に引きこもる策をとっていたみたいだ。海を越えるだけに寄せ手は攻めづらいし、彼女にとってみれば各海峡さえ固めておけば気楽に安全圏を確保できる。

 後は大陸統一ボーナスで増援戦力を蓄えつつ、反攻のチャンスを窺うつもりだろう。

 おそらく『リスク』の定跡通りで「強い」戦略だと思うが、はたして我ら対京極大同盟こうこうせいれんごうとの3対1の人数差を埋められるかな?


 僕は頼もしい友人たちに目を向ける。

 庄司と石生はテーブルの下でスマホをいじっていた。別にゲームに飽きたわけではない。ああやってメッセージを送り合い、折り合いがついたら秘密協定を結ぶのだろう。序盤は協定が功を奏した。現在の彼らは時折互いの顔をにらみつけており、不服そうに唇を尖らせていた。

 やがて小男の方が声を荒げる。


「おい。いくらお姫様の依頼でもお断りだぞ。オレの南アジアは絶対に渡さねえ。あそこは赤軍の生命線だ」

「でもね。庄司くん。あたしとさ。アジアを分け分けしちゃったらさ。2人とも、大陸統一ボーナスがもらえないよ~?」

「たしかにアジアのボーナスは大きいけどよお。オレにアフリカだけで生きろってか。国力的に京極の姉ちゃんにやられちまうぞ。オレ、石生、蒼芝の順に各個撃破されたら……」

「メッセージ。新しいの送ったから。うひひ」


 石生は左手で口元を抑えつつ、僕の方に流し目を送ってくる。麗らかな瞳の奥には何らかの『意図』が見え隠れしていた。

 僕は慌ててポシェットからスマホを取り出してみるも、ピザ屋のメールマガジンしか届いていない。

 まさか。再び盤面に目を向ければ、すでに赤軍しょうじが彼我の国境付近に大規模な増援を配置していた。

 僕は思わず両手を合わせる。


「庄司。勘弁して。まだ終わりたくない」

「すまねえな蒼芝。オレは──お前にゲームで勝ちてえんだ。阿呆のレッテルを返上してえ。そしたら、お前のおっちゃんみたいになれるだろ!」


 手番を迎えた庄司は訳の分からないことをのたまいながら、インドを始点に東南アジア・オセアニア方面へ流れ込んでくる。

 こちらとしては青天の霹靂へきれきだった。なにせ我が軍の主力部隊は日本にいる。オーストラリア本土には少数の守備隊しか残っていない。


 恐るべき赤軍の猛攻に晒され、青軍は健闘虚しく、あっという間にオセアニア全土を奪われてしまった。

 酷すぎる。せっかく恥を忍んで女物の服に袖を通してやったのに。約束が違うじゃないか。絶対にぶっ倒してやる。


 僕は怒りのあまり、続く京極さんが無気力な手番を終えるなり、残存の極東方面軍(11部隊)と増援(1部隊)をもって庄司に逆襲戦を挑まんとモンゴル方面に転進するも──そこでゲームを終えることになった。


「小野君。ごめんね。あたしと庄司君で。世界を分割することになったの」


 石生千秋が(世界史の授業で習った)トルデシリャス条約みたいなことをほざきながら中央アジア方面から攻め込んできた。

 もはや抵抗の余地などなく、僕は全領土を失うことになった。ゲームオーバー。


 さらに石生は庄司が待ち受ける南アジア・東南アジアにも矛先を向ける。おそらく合意の上だったのだろう。中東からタイ王国にかけて赤軍の守備隊は限りなく少なく、比較的平穏に支配者の交代が行われた。


 これで石生(黄軍)が欧州・アジア両大陸を抑え、庄司がアフリカ・オセアニア両大陸を支配することになった。

 ゲームとしては正しい。プレイヤー同士で同盟を組むなら大陸ごとに分け合ったほうが効率的にボーナスを得られる。

 特にアジアの大陸統一ボーナスは「手番毎に7部隊増援」という破格の数字だ。これは国力換算なら21マス分の領地に匹敵する。ほぼ世界の半分だ。国境線が長いだけに攻め込まれやすく、大陸統一を保つのは大変だが──同盟者を信頼できるなら大丈夫だろう。本気で信頼できるなら。


 ちくしょう。

 盤面から追い出された僕の背中を帝国主義者たちが叩いてくる。


「お疲れ様~。次は石生と一緒に頑張ろうね」

「あとは共同で京極さんを叩いて、石生と頂上決戦するだけだ。すぐ終わるから適当に待っててくれ」

「そうさせてもらうよ」


 僕は自軍の駒を箱に戻し、座布団から立ち上がった。

 少々の尿意が身体をトイレに駆り立てる。


 まあ。ぶっちゃけ。ここ1年のボードゲーム生活で「裏切り・裏切られ」「嘘つき・嘘つかれ」なんて何度も繰り返してきたし、いちいち落ち込んだりしないんだけどね。

 何なら僕だって庄司や石生、時には叔父さんさえも姦計をもって罠にかけてきた。


 女子の時に用を足すのも同じことだ。友達との外出が多くなるにつれて慣れてしまった。慣れたら精神が鈍くなり恥も何も感じなくなる。

 そうして僕たちは万人誰もが目指すべき深みのある大人に近づいていくのかもしれない。

 色々あった今日この日の出来事も、いつか様々な経験を繰り返すうちに感傷の対象ではなくなるのだろうか。


 未だ鮮明に思い出せる映写室でのやり取りを反芻しつつ、いっそ叔父さんのように脳の半分がボードゲームと化したほうが「楽」なのかもしれないと思い至り、ああはなりたくないと思い返す。

 逆に庄司はどうして「叔父さんみたいになりてえ」的な台詞を吐いていたのだろう。空を飛びたいなら奇行保持者になるよりパラグライダーとか他に方法があるし。結局ボードゲームしか出来ない人なのに。


 水を流し、手を洗う。

 孤独になれる空間からリビングに戻ると、窓側の京極さんが会心のドヤ顔を拝ませてくれた。どうやら勝利したらしい。秘密指令と記されたカードを指先で楽しげにヒラヒラさせている。

 盤面を見れば、京極さんの黒軍がアフリカ大陸を制圧していた。大挙、南米から大西洋を渡ってきたみたいだ。

 庄司と石生が悔しそうにしている。


「くそっ……何だよ『北米大陸とアフリカ大陸を統一したら勝利』のカードって。たしかに秘密指令カード有りにはしたけどよぉ」

「負けちゃった~」


 女神様が抱きついてきたので全力で受け入れる。ハイ役得役得。終わり良ければ全て良し。柔らかくて心地良い。

 密かに近づいてきた庄司には「インスタのアカウント消したら慰めてやる」と告げておく。互いに色々あったけどさ。お前はまずそこから始めてほしい。


「よし……消した。消したぞ。蒼芝よぉ」

「お疲れ様」


 僕は小男の背中をさすってやりつつ、やっぱりムカつくので少し強めに叩いておく。全部お前のせいだぞ。自分のために大切に使うつもりだったのに、結果的にジェットコースターみたいな春休みにしやがって。


 ちなみに秘密指令カードとは京極さんが『拡張』で生み出した謎ルール等ではなく、『リスク』において隠し勝利条件を定めたものだ。他のプレイヤーには明かさず、こっそりと任務達成を狙っていく。

 本気で全世界征服を目指すと時間がかかりすぎるため、こうした時短ルールが設けられたらしい。


 すでに台所で酒盛りを始めていた叔父さんと山名さんが、世界の覇者に向けて惜しみなく賛辞を捧げる。


「やっぱり流れ的に京極光が勝つよな」

「明白な狙いがありそうでしたもんねえ。あたしは別の任務カードだと思ってましたけど」

「あれ見てると俺もやりたくなってきたな……いや6人分も駒が無いか。仕方ない。ここは『ワイナリーの四季』を」

「おっちゃん、オレらはそろそろ帰ります。明日も学校なもんで」


 手元の駒を片付け終えた庄司が座布団から立ち上がり、隣の部屋に放り投げていた鞄を回収に向かう。

 石生も彼に続き、衣類掛けに吊るしていたブレザーに袖を通していた。

 やがて彼らは連れ立って玄関に向かう。もう夜遅いから僕らの見送りは外廊下まで。女神様の護衛は庄司に任せる。


「また明日な。蒼芝。おっちゃんも姉ちゃんもまたよろしくッス」

「またね~」


 友達が鉄扉の外に消えていく。

 小学生の頃。当時の友達が夕方に帰ってしまうのが悲しくて、玄関先で泣いてしまったことがあった。

 今はもうあんなふうにはならない。しかし深閑の狭間に寂しさの残り香が舞い、ちょっとしたノスタルジーを覚えてしまう。

 どうせまた明日会えるのに。



     × × ×     



 リビングに戻ると、ほろ酔いの叔父さんから肩を軽く叩かれた。


「蒼。良かったな」

「えっ何が?」

「聞いたぞ。今年は石生さんと同じクラスなんだろ。庄司君も。仲良しトリオで楽しそうじゃないか」

「そうなんだよね。うん。そうなんだよ……マジで今後、どう接していけばいいんだろ……」


 リビングのテーブルでは早くも『ハゲタカのえじき』の準備が進められている。有名な競りゲームだ。山名さんと京極さんの間には会話が全くなく、今後の展開は予断を許さない。

 両者の間を取り持つ存在がテーブルに戻ってくると、さっそくカードの競売が始まった。とても盛況に。楽しげに。笑顔と悲鳴が交錯する。

 ゲームが人間を繋いでいる。


 そんな大人たちを尻目に、僕は自室の襖を閉めた。約3畳ほどの狭苦しい空間で着替えを済ませ、脱衣所の洗濯カゴに向かうことなく布団に包まる。


 明日からどうしよう。

 クラス分けのおかげで石生の村八分は回避できそうだ。もし石生が他の生徒から孤立したとしても、叔父さんがいうように仲良しトリオで楽しくやっていけばいい。やっていけばいいけどさ。あいつらの期待には応えるつもりになれない。

 ぶっちゃけ「憧れの人」だった石生も最近何か怖いし。今はお付き合いとかちょっと考えづらい。お付き合いできてもセットで庄司がついてくるならムリだし。どうしろってんだ。


 今後通達が来るであろう帰宅部生徒の奉仕義務=図書館での強制労働、文化祭・体育祭、修学旅行、来年以降の受験戦争、卒業後の進路──布団の中では悩みが尽きない。

 相談してみようか。叔父さんに。


 僕は両足で掛け布団を蹴り飛ばす。

 ちょうど『ハゲタカのえじき』の勝者が決まった頃合いを見計らって、叔父さんのワイシャツの袖口を引っ張らせてもらう。


「ちょっと来てほしいんだけど」

「なんだ急に。これからリベンジマッチなんだが」

「叔父さんに相談があるんだ」

「相談?」


 女性陣を2人きりにしたくないのか、単純に『ハゲタカのえじき』を続けたいのか、やや不承不承ながらも叔父さんは部屋までついてきてくれた。

 思えば、叔父さんが僕の部屋に入るのは夏休み以来かもしれない。

 僕は言いたくないことを省きつつ、春休み中の様々な出来事を大まかに説明させてもらった。

 面白いことに話を聞いてもらうだけでも少し楽になれた。溜まっていたものを吐き出したというか。


 さて叔父さんの反応は。


「まあ、なるようになるんじゃないか」


 残念ながら僕は相談相手を間違えたらしい。

 ついでに言うならTPOも間違えた。第一にほろ酔いの叔父さんに話すべきではなかったし、襖でへだてただけの空間で長話なんて避けるべきだった。

 いつの間にか半ば開かれていた襖の向こうから、山名さんが赤い顔を出してくる。こっちも酔ってるなあ。


「青春だねー。大いに悩みな若人よ。まだまだ先は長いんだからさ」


 どこかで聞いたようなありきたりな台詞が飛んでくる。逆に下手なことを言わないように気遣ってくれているのかもしれない。


「山名さんならどうします?」

「あたし? あたしなら、そうだねー。庄司君に別の女の子を紹介してあげるとか」


 提案の難易度が高すぎる。あいつは放送部でも教室でも女子たちからロクな扱いを受けていなかった。

 突き詰めれば良い奴だが、誰も突き詰めてくれないというか。

 そもそも僕の方も石生以外に女子の知り合いなんてほとんどいない。陰では「不気味」だとか言われているみたいだし。

 今年の教室では「3人組」以外の交遊関係を広げていけたらいいな。活路が開ける可能性がある。


「どう? 蒼君。ダブルデートとか楽しそうじゃない?」


 襖の間から山名さんが訊ねてくる。

 僕と石生、庄司と彼女によるダブルデートか。全く想像できない。


「すみません。それは無理です」

「そっかー……ふーん……」

「…………」


 訳知り顔を浮かべる山名さんの背後から、人影が近づいてくる。

 女子大生は僕の部屋に踏み入ると、衣装掛けから上着を剥ぎ取り、袖を通し始めた。


「帰るのか京極光」

「ウチはゲームやりにきただけですから。長々と失礼しました」


 叔父さんに会釈だけして、彼女はそそくさとアパートを去っていく。

 そういうスタンスを貫き通せば、またここで卓を囲めるだろう──そんな打算が、彼女の横顔から窺えたような気がした。

 あの『対戦』を禁じられた以上、徹頭徹尾自己中心的な彼女がここに来る理由なんて見当もつかないんだけど。ボードゲーム自体は同好会で遊べるだろうし。実は飲み会ばかりであんまり遊ばないのかな。

 まさか本当にゲームで遊びたいだけだったり……?


 まあいいや。自力ではどうにもならないことを悩んでいても仕方ない。

 悩みは別の悩みで吹き飛ばそう。そして布団に入り、明日に備えよう。


「叔父さん。なんか悩ましいゲームない?」

「おっ。慧眼だな蒼。たくさん悩めるのは良いボードゲームの証だからな。任せろ。最高の逸品を選んでやる」

「だったら人生は良いゲームだね」

「『人生ゲーム』か……まあ久々にやるのも楽しいだろうが……他にも……」


 叔父さんはブツクサ言いながら自室に戻ってしまう。あの部屋の押し入れにはリビングの本棚よりディープなゲームが多く眠っている。

 僕はリビングの座布団に座り、山名さんと喋りながら叔父さんの選択を待つことにする。


 一体、どんなボードゲームが出てくるのだろう。

 ほんの少しだけ、楽しみだった。




(ボードゲーム叔父さんの奇行・春休み編 完)

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ボードゲーム叔父さんの奇行 生気ちまた @naisyodazo

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