3月28日 ・・・・・・・ スポッツァ


      × × ×     


 2024年3月28日。

 僕は友人たちと放出はなてんのボウリング場に来ていた。

 といってもボウリングでは遊ばない予定だ。友達の庄司しょうじがあまりにも下手すぎるし、他の面子もそんなに得意ではないという。

 代わりに併設の遊戯施設で身体能力を競うことにした。


 まずは屋上のバスケットコートから。

 太陽が見えない雲空の下、僕がパスを落球し、庄司がボールを拾おうとしてあえなく転倒。

 そこを脇から田町たまちさらっていき、見事にシュートを決めてみせた。


 ベンチでは他の同級生たちに混じり、石生が柔らかい声援を送ってくれる。

 息切れした僕は彼女の隣に座らせてもらう。代わりに庄司のクラスメートがコート内に出陣していった。庄司はまだ戦場で耐えるつもりみたいだ。


「おつかれ~。さっきの田町君すごかったね……小野おの君も輝いてたよ」


 ポニーテール姿の女神様がペットボトルの天然水を下賜してくださる。さらっと甘い耳打ち付きで。

 さっきの情けないプレイのどこに輝きがあったのやら。


 所詮、僕も庄司も室内活動の放送部員だ。

 田町慎吾たまちしんごみたいな高校生活をスポーツに捧げている奴には敵わない。

 これは天賦の才能の話ではなく続けてきた努力の話で、例えば庄司のような生粋の阿呆であっても『アズール』で初見プレイの田町に負けることは……多分ないと思う。


「ちくしょう!」


 コートの片隅で坊っちゃん刈りの小男が気合を入れる。

 庄司としては石生の前で格好良い動きを見せたいはずだ。そのために遊戯施設スポッツァで遊ぼうと言いだしたのだから。

 それがどういうわけか、ボールの流れについていけず、コートの中で右往左往を強いられている。

 頑張ってるのになあ。


 かくいう僕も自分なりに頑張ってみたけど、ああいう感じで周りのプレイに振り回されてしまった。

 石生から借りた某中学の体操用ジャージは早くも汗がにじみつつあり、せっかくの良い匂いが消えかけている。


「慎吾、代わろ」

「おし」

「見ててね」


 ベンチに戻ってきた田町と入れ替わる形で朝井あさいさんがコートに立った。

 穏やかな雰囲気のおっとり系女子だ。田町とは去年のプール以来、順調に交際を続けているらしい。


 女子が混じると男子たちのプレイが緩やかになる。

 つまり庄司にとっては数少ない活躍のチャンスだったが……なぜか本人はベンチに戻ってきた。ぜえぜえと息を切らしながら。


「代わってくれぇ」

「まだ行けるだろ。今なら庄司だって」

「朝井さんとぶつかったら田町と女子連中に殺される。くそっ。こんなはずじゃなかったんだぞ。こんなはずじゃ」


 こちらからペットボトルを受け取り、チビチビと飲み始める庄司。

 僕は周りに聞こえないように小さい声で指摘する。


「お前がクラスメートを呼ぶからだろ」

ちげぇわ。インスタグラムで明日元カノたちと『スポッツァ』行くって自慢したら、なんか田町たちが俺らも行くつもりだから一緒に回ろうぜ。とか言い出すからよぉ」

「結局お前のせいじゃん」


 なげく庄司を尻目に、僕は再びバスケットコートに向かった。リベンジだ。

 石生もゆったりした足取りでついてきてくれる。


 コートでは2対3だったり、3対3の組み合わせがその場のノリで組まれており、僕と石生は朝井さんと3人組で男子たちに立ち向かうことになった。


「どうする……」

「女子相手にドン、とならねえように……」


 男子組が対応を相談している。


 朝井さんは友達の彼女。石生は怪我させたらバチが当たりそうな女子。

 そして小野緑ぼくは一応、庄司の元カノということになっている。

 悲しいかな。庄司が提示してきた食堂の食券(2週間分)プレゼントの条件に折れてしまい、僕は1学年下の女の子としてコートに立っていた。


「良いとこ見せたいね、緑ちゃん」

「はい」


 朝井さんが声をかけてくれたので答える。本当は同級生相手なのに敬語を強いられてしまう。地味に辛い。


「いくよ~」


 石生からボールが回ってきた。

 女子になった時用のコンタクトレンズのおかげでボール自体はよく見える。だが身体の感覚が追いつかない。

 どうにかボールを両手で受け取り、僕は朝井さんにパスを送る。

 彼女はゴール付近からシュートを試みたが入らず。

 落ちてきたボールを男子生徒が拾い、こちらも一気にゴールを狙ったものの……リングを揺らしただけに終わった。


 僕はベンチ近くまで転がっていったボールを回収しに向かう。

 たまには身体を動かすのも楽しい。

 ここ数日のストレスが頭から抜けていく。程々の疲労感が心地良い。

 女子の肉体でなければ、もう少し上手に動けそうなのに。


 プレイ再開。僕が投じたパスは石生の胸元まで届かず、他の男子に掠め取られてしまった。

 男子が飛び上がりながらシュートを試み、ようやくゴールのネットが揺れる。決められた。


「小野さんファイトー」


 田町がベンチから声を掛けてくれる。

 僕が手を振り返したら、田町の傍らで庄司が謎の焦りを見せていた。


 庄司は負けじと声を張り上げる。


「み、緑ちゃんは……結んだ髪の毛がピョコピョコしてて可愛いぞー!」


 阿呆じゃん。応援するにしても他に形容詞があるだろ。

 緊張で顔真っ赤にしてまで叫ぶなよ。何考えてんだあいつは。こっちまで恥ずかしくなってきた。


 すると田町も使命感に駆られたのか、恋人に向けて「由衣ゆいもピョコピョコ可愛いぞー」と叫びだした。こいつもこいつで何やってんだ。朝井さん照れてるじゃないか。


「イチャイチャするなら余所でやれー」「見せつけるなー」「くそー」


 周りの生徒たちが楽しげにチャチャを入れている。

 そういえば庄司の説明だと、田町や朝井さんたちは1年5組のお別れ会という名目でスポッツァに来ていたらしい。よほど仲の良いクラスだったのだろう。その集まりに庄司晶しょうじあきら君が誘われていなかったのはさておき。

 来月には新しいクラスが始まる。

 不幸な巡り合わせで村八分を受けていた友達も、今度こそ楽しい学校生活を送れたらいいな。願わくば僕自身もそれを近くで眺めてみたい。


 僕はコートの片隅でボールを拾っていた石生に近づく。


「石生が一番可愛いのにね」

「えへへ」


 彼女は満足そうに笑ってくれた。

 普段なら言いづらい本心も、今の身体ならサラッと告げられる。



     × × ×     



 ソフトテニス。バッティングセンター。アーチェリー。バレーボール。

 一通りの球技を楽しんだ僕たちは、屋上から室内エリアまで降りてきた。

 エレベーターの扉が開き、遊戯用の筐体きょうたいのBGMが出迎えてくれる。

 明るい室内はダーツやビリヤードなどのアクティビティで埋め尽くされていた。一部には乗り物用のサーキットが設けられており、もはやちょっとした遊園地だ。


 ゴーカートの予約時刻を待つ間、僕は友人たちを軽食コーナーに誘った。

 出店の前に自販機と休憩用の座席が並んでいる。子供の頃に家族で来た時、ここでスヤスヤと眠ってしまった記憶がある。


 僕は椅子に座り、友人たちに「例の人」の続報を伝えた。

 すなわち京極きょうごくさんについて。悪口に聞こえないように話すのに苦労したが、結局悪口になってしまったかもしれない。


 庄司は少し辛そうな顔をしていた。


「なるほどな。おっちゃんの健康のため、山名さんの恋路のためにもおっちゃんに近づく女子大生を排除したいと。急に除け者にされたら……オレなら泣いちゃうだろな……」

「ねえ庄司君。もしかして一昨日。みんなでスポッツァ行こうって石生にメッセージ送ってくれたのは」

「田町たちが行くってインスタで見たからだよ。あいつらに……クラスの一軍連中にオレのリア充ぶりを見せつけてやろうって。それの何が悪い!」

「いきなり逆ギレすんな」


 僕は思わずツッコミを入れてしまう。

 理由はともあれ、誘ってくれたおかげで楽しめてるから別に良いんだけどさ。


「お前らはオレを仲間外れにしないでくれ。ひとりぼっちにしないでくれ」

「するわけないだろ」


 すっかり気落ちした庄司を慰めてやりつつ。

 ふと、僕は自分の落ち度に気づいた。我ながら軽率すぎる。よりによって村八分の被害者の前で「仲間外れ」の算段を立ててしまうなんて。


 当の石生はいつもと変わらず、幸せそうな顔でメロンソーダに口を付けている。

 彼女が手に持つと緑色の炭酸水が特別な飲み物に見えてしまう。僕の手元のコップと中身が同じとは思えない。

 僕は厳しい反応も覚悟の上で訊ねてみる。


「あのさ……その。石生はどう思う?」

「ん~。石生的には。大切なお友達が悪者になっちゃうのはちょっとイヤかも。小野君は優しいもん。きっと心が辛くなっちゃいそう」

「そっか」


 僕は反射的にうなづいてしまった。

 軽率な思考を諭されているのに面映ゆいのは石生の言い方が上手いからだ。

 小野君は優しいもん。そんな期待に応えたくなってしまった。我ながら単純だなあ。

 そして石生は本当に……ありがたい人だ。


 彼女はメロンソーダを飲み干す。多めの氷がカラリと揺れた。


「ふう。あたしなら……石生ならその『対戦』って遊びでその人を倒しちゃう。そしたら。少なくとも次の日は来れないでしょ」

「なるほどな。オレなら出禁は可哀想だけど、やっぱ朝から来んのは止めてくれって言うわ。それとあれだな。たまにはおっちゃんに遠出してもらおうぜ。おっちゃんが毎日アパートにいるのわかってるから、女子大生もアポイントなしで寄ってくるんだろ。おっちゃんを予約制にすりゃいいんだ」

「お~庄司君もたまには頭良さげ~」

「うははは。褒める時は変に捻らずに褒めてくれ。蒼芝じゃねえんだから」


 庄司が照れながら若干怒っているが、本当に稀な事象なんだから仕方ない。

 とはいえ今回ばかりは彼の意見が参考になりそうだった。叔父さんの予約制。遠出以前にアパートの部屋自体が無人なら京極さんも居つきようがない。すぐに実現できるアイデアだけにありがたい。


 石生が言うように『対戦』で倒してしまうのも手段の一つだ。

 一度ノックダウンしてしまえば、あの人も自身の行いを反省して『対戦』を控えるようになるかもしれない。叔父さんに会いに来る理由が無くなり、結果的に関係が自然消滅する可能性も見えてくる。


 彼らのアドバイスを元に対応を練りなおそう。

 僕は胸の前で手を合わせる。


「2人ともありがとう。色々考えてみるよ」

「そ・れ・よ・りぃ~」


 おもむろに石生の右手が近づいてくる。彼女はこちらの後ろ髪に指先を絡ませ、小さく結んでいたゴムを外してきた。

 そっちがポニーテールで揃えたいと言うから恥を忍んで付けたままにしていたのに。こっちは短髪だからテールにはならずピョコピョコ揺らすのがやっとだけど。


 石生は続いて自身の後頭部に両手を回し、一本に束ねていた髪を解いていく。

 阿呆の目線が「うなじ」と張り出した胸を行き来しててダメ男すぎる。もう少しわからないようにやりなよ。評価を上げたら揺り戻しせずにはいられないタイプなのか。

 僕がハンドサインで目線を逸らすように促したら、やたらとニヤニヤされてしまった。これはもしや。


「その子ばっか見ないで私も見て! とか、ありえない妄想してんのか庄司」

「人の心を読むとは関心しねえなあ、緑ちゃん」

「言っておくけどお前の視線なんてモロバレだからな。バスケしてた時も、ちょくちょく僕のほう見てきやがって。バカじゃねえの。結局は男なんだぞ」

「それはそれ、これはこれって話でな」

「2人とも。石生の前でイチャイチャしないで。小野君はジッとしてて」


 珍しく怒られてしまった。

 僕の背もたれの後ろに立った彼女は、手提げから取り出してきたくしでこちらの髪を解いてくれる。

 そういえばスポーツ系のアミューズメントに必死だったせいで少しグチャっていた上、さっきまで汗もかいていた。


「……緑ちゃん。石生が言ったとおりに。毎日ちゃんとケアしてる?」

「緑ちゃんなんてこの世にいないよ」

「もうっ!」


 時折女の子扱いされてしまうのはしゃくだが。

 こうして異性に触れられるのは男子として少し嬉しかったりする。なかなか得られない経験だ。


 案の定、庄司が悔しそうに歯ぎしりしていた。


「ちくしょう。お前らこそ、オレの前でイチャイチャしやがって。妬ましいったらねえぞ……」

「庄司君にもしてあげられたらいいね~」

「してあげられたらじゃなくて、してくれ!」

「うふふ」


 石生が不敵な笑みを浮かべているのが、背中越しでもわかってしまう。

 同じことをしてほしかったらどうすればいいのか。庄司に考えさせるつもりなのだろう。こいつが「女の子になりてえ」とか言い出したら石生の狙いどおり。

 うーん。石生がわりとボードゲームに強い理由が少しわかった気がする。

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