3月27日 ・・・・・・


     × × ×     


 2024年3月27日。

 ついに彼女は早朝から押しかけてきた。


「いい加減にしてもらえません?」


 開口一番、瑞々しい唇から攻撃的な言葉が飛んでくる。

 出迎えた僕の身体を押し退け、彼女はリビングでお茶漬けを喫食する叔父さんに正面から喰ってかかった。


「ねえ。尾藤先輩。いつになったらウチらは『対戦』出来んの。毎日来てるのに全然やってくれないじゃん」

「お前が負けるからだ。悔しかったら俺を倒してみろ」

「おっさんが得意なゲームばっか選ぶせいでしょ。マジで卑怯」

「お前が選んでもいいぞ。京極光きょうごくひかり

「しゃらくさい……じゃあ『バトルライン』にします」


 京極さんはよりによって不向きそうなゲームを選んだ。

 あれは互いの出方を読み合うゲームだ。

 旗を挟んで互いにカードを出し合い、いかに相手の役より上位の役を成立させるか考えていく。

 自分のフィールドばかり見ていたら、相手の手口に呑まれてしまう。


「ぎゃーっ!!」


 案の定、京極さんは9本のうち1本しか旗を取れなかった。

 他人事ながら目を背けたくなるほどの大敗北だ。麻雀でハコテンくらうより酷い。


「気分良いな。朝から『バトルライン』。朝活に良いかもしれん」


 朝から趣味を楽しめた叔父さんは、テーブルを片付けてから、とても軽やかな足取りで会社へ向かった。

 玄関の鉄扉が閉まり、僕は苦手な女子大生と2人きりになってしまう。


「…………寝ます」


 僕は自室で二度寝を決行することにした。

 彼女と話すことなんて何もないし。相手の気分を損ねたら『効果カード』を抜かれてしまうかもしれない。今は布団に包まってやりすごそう。

 僕が何も言わずにふすまを開けると、彼女は座布団から立ち上がってきた。


「やあやあ。君さあ。叔父の客人が来てるんだから無視せずお茶くらい出しなって。ホスピタリティって大切じゃん。他に用件も無いし、もう帰るけどさ」

「い、いい加減にしてもらえません?」


 思わず言い返してしまった。さっき言われたことをそっくりそのまま。

 まずい。僕は咄嗟に両腕で側頭部を守ろうと身構えたが、意外にも彼女は逆ギレしてこなかった。

 ただただ、どうでも良さそうに僕の私室の中を眺めている。


「ウチの服がめっちゃある。そっか。ずっと預けたままだったわ」

「持って帰ってください」

「それ、全部君にあげてもいいよ。もう季節も変わってきたし。女子の時なら似合うんじゃないの」


 たしかに春の気配が強まりつつあった。来週以降は摂氏20度を越える日もあるらしい。

 だからといって女物の服をもらっても困るというか、そのままオークションアプリに投入するだけだ。


「代わりに君からも尾藤先輩に言い含めてくれない? ウチとの『対戦』を受けろって。でないとウチ、ずっとここに居ちゃうよ」


 京極さんは足元の座布団を僕の部屋に投げ入れると、そこに座り込んでしまった。もう帰るんじゃなかったのか。


 綺麗な金髪が華奢な肩に掛かっている。引き込まれそうな双眸は少しばかり眠たそうだが、やはり美しい。

 厚手のパーカーとスキニーなズボン。明らかに普段着なのに美人が着るとサマになるから興味深い。単純にスタイルが良い。

 外見の造形だけなら本当に可憐な人だ。そんな女性が自分の部屋で座り込みを敢行している。

 友達に話したら「羨ましい」「オレも一生に一度くらい女を連れ込みたい」とか呑気に言われそうだが、僕自身はただただ反応に困っていた。


 彼女を力づくで追い出せば『効果カード』を抜かれてしまう。

 叔父さんが疲れ果ててしまうような遊びなんて看過できない! と正論をぶつけても『効果カード』を抜かれてしまいかねない。


 今の僕には彼女の言に従うか、無視するか以外の選択肢が用意されていなかった。

 他人を残したまま外出するわけにもいかないし。どうしたらいいんだ。


 僕は悩んだ末に……ひとまず学校指定のジャージを脱ぐことにした。

 途端に身体が小さくなる。パジャマのズボンがダボつく。肉付きが変わる。重心も変わる。これで『カード』を抜かれても転ばずに済む。


 僕の変貌ぶりに女子大生が拍手を送ってくれた。


「やっぱすごいね。性別変わっちゃうなんてさあ。ウチもやってみたいわ。君のそれってさ、どういう仕組みなんだっけ?」

「京極さん」

「ん? なにか?」


 寒色の宝石のような双眸に捉えられる。

 僕は何も言えなくなってしまう。出ていってほしい。言ったところで年上の相手が従うとは思えず、揉み合いになっても今の自分の身体では勝てるとは考えにくい。相手は高校まで本気でスポーツをやっていたらしいし。

 さながら今の僕は蛇ににらまれた蛙だ。もうどうにもならない。


「ふうん。あれっぽいね。多分ウチとボードゲームしたい感じ? さっき『バトルライン』やってたもんねえ。いいよ。どうせ夜まで暇だし相手してあげる」

「コミュニケーションが成り立たない……」

「んん? さっきから何さ。君、ハッキリしなよ。ウチに言いたいことでもあんの?」

「迷惑なんです。朝っぱらから来られても。叔父さんには仕事があるんですよ」

「でも、おっさんは喜んでたじゃない」


 女子大生はあっけらかんとしていた。

 僕は何も言い返せない。たしかにそのとおりだった。叔父さんは、あの人はいつ・いかなる時に京極さんが来ようとも「対戦相手が来た」としか捉えていない。

 多分京極さんもそうなんだ。それぞれ自分のやりたいゲームに相手を巻き込もうとしているだけ。他意は全く無い。

 これじゃあ2人を引き裂けない。


 

     × × ×     



 京極さんとテーブルを囲む。

 叔父さんとの『対戦』に執着する彼女だが、ボードゲーム同好会の部員だけあってボードゲーム全般を好んでいた。

 彼女がやったことないというゲームをテーブルに広げていく。

 雪山のコテージ経営ゲーム『スノープランナー』。

 数日前に届いたばかりの新作だった。


 一通りのルール説明を終え、お互いのプレイを進めていくうちに、少しずつ彼女の人となりが鮮明に見えてくる。

 ものすごくワガママな人だ。ちょっとしたミスをすぐに「無かったこと」にしようとする。

 さすがに得点駒を自分勝手にこっそり進めたりすることはないが、魅力資源の「窓」変換ルールを勝手に適用し、雪資源3つを「窓」に変換しようとした時は指摘せざるを得なかった。それを許したらゲーム性が変わってしまう。


 それともう一つ。お金持ちだということもわかった。

 彼女の実家が甲信越地方のスキーリゾートにペンションを複数持っていること。いくつか他人に貸していること。彼女自身に半分相続されること。すでに2軒ぐらい手元にあるということ。

 お嬢様という雰囲気ではなく、実際お屋敷でメイドにかしずかれるような立場ではない様子だが……本人の話しぶりは完全に金持ちのそれだった。


「ウチの栂池つがいけ高原のペンションもこれくらい太客で満室になったら良いのに。スキーとかスノボやってるの中年ばっかで若い人が来なくてさあ。ちっとも先が見えないというか……君の叔父さんはそういうのやらないの?」

「終わりです。僕の勝ち、ですね」

「ふうん。じゃあ、もう1回やろっ。ちょうどウチもルールを理解できたしさ。良い練習になったし。よしよし。次こそはウチが」

「あの……そろそろ塾に行く時間なので……」

「そうなの? じゃあ仕方ないかあ。やれやれ。夕方まで待とうと思ったのにな」


 彼女は座布団から立ち上がると、卓上のボードを片付けるそぶりすら見せずにアパートを去っていった。

 また衣類を持って帰らなかった。本当に全部くれるつもりなのだろうか。


 僕は自分の小さな嘘に若干ながら心を痛めつつ、お客さんであふれる冬のコテージを片付けていく。

 1人プレイ用のゲームは数多くある。今遊んだ『スノープランナー』もソロプレイに対応している。けれども1人ぼっちでは対戦できない。


 京極さんがもし『対戦』の相手だけでなくボードゲームの対戦相手にも飢えているのなら、彼女との関係は長期化すると思われる。

 彼女の部活仲間だというアカリン氏──今回のあれこれの元凶となった方に、引き取ってもらえたりしないかな。

 僕は思考を巡らせるうちに自己嫌悪に陥る。特定の個人を除け者・はみごにしようなんて。そんなの自分がされたら悲しくて仕方ない。

 本当にどうしたらいいんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る