3月29日 ・・・・・・
× × ×
2024年3月29日。
朝起きると太ももの筋肉が張っていた。ほんのり痛むものの台所まで向かう分には全く支障がない。
僕はペットボトルの紅茶の残りを飲み干す。昨日の帰りに
久しぶりの
あれから僕たちはゴーカートに乗り、
ゲームコーナーで普段やらない音楽ゲームに挑んだ。
最後は全員でカラオケブースに入り、我らの歌姫が持ち前の美声を披露する様子をスマホで撮影させてもらった。かなり盛り上がった。
田町・
田町は相変わらず分け隔てなく話してくれる奴だったし。年下ということで朝井さんには可愛がってもらえた。
他の女子連中からはトイレで出くわした時に「庄司の何が良いの」「男の趣味は考えた方がいいよ」と忠告を受けてしまったが、特に返す言葉が思いつかなかった。
あいつ。みんなの前で。マイクを持って。そういや去年の夏に天王寺のカラオケで告白して OKもらったんだよな〜当時はめっちゃラブラブでさ〜なんて虚構の自慢話をぶちまけやがって。
だったらなんで別れたんだ? と田町に訊ねられたら「お、音楽性の違い」って何なんだ。1年5組の人たち、ポカンとしてたじゃないか。
庄司にはもっと考えてから喋る癖をつけてほしい。
「まあ、それについては僕も他人のことをとやかく言えないけどさ……」
僕は学校指定のカッターシャツに袖を通し、勉強机の卓上灯を点けた。
椅子に座り、メッセージアプリのトーク画面で友達の名前に触れる。
彼女には改めて謝っておきたい。昨日の会話について。文字ではなく自分の声で。
僕は電話をかける。
ちょうど相手もスマホに触れていたのか、呼出音からすぐに通話に切り替わった。
『もしもし』
「お、おはよう石生」
『おはよ〜』
彼女の甘い声に耳元がトロけてしまいそうになった。昨日のカラオケでは気迫のこもった歌声を聴かせてくれたが、どんな喉をしているのやら。
そんなことより。
「石生。今は大丈夫?」
『大丈夫。小野君ならいつでも大歓迎だよ〜。電話嬉しいな』
「うぐっ」
彼女の言葉にはいちいちドキッとさせられる。声だけだから余計に直接届いてくる。
惑わされるな。僕は勇気を振り絞る。
「ありがとう石生。そのさ。昨日の話した件なんだけど……」
『もしかして。小野君と庄司君ったら去年の夏から本気で付き合ってたり〜?』
「付き合ってない! そうじゃなくて。昨日つまんない話をしちゃったから。誰かを除け者にするとかさ。石生には謝っておきたいんだ。ごめんなさい」
なるべく言葉に力を込めた。
適当なノリで済ませたくない。
スマホからは親しみやすい笑い声が聞こえてきた。
『ひひひ。やっぱり小野君ったら優しいね。あたし全然気にしてないのに』
「本当に?」
『だって。石生には小野君と庄司君が居たら良いもん。教室で無視されても、へっちゃら』
それはそれでどうなんだろう。健全な感情ではない気がする。
そんな僕の反応が、インターネット経由で空気として伝わったのかもしれない。
石生が子供を諭すように言い聞かせてくる。
『小野君。石生は可哀想な子ではありません。心配無用です。今とっても楽しいのです。だから小野君。
僕は返答に困ってしまった。
言葉の意味合いだけを取れば、彼女の「不幸」な境遇を助けなくていいということだ。なぜなら不幸ではないから。
一方で深読みするならば。
突き放された。距離を取られた。もし苦境の彼女を支えられたならば、多少なりとも彼女の気を引けるだろうという従来の邪念を見透かされた。
『小野君?』
「あっ……ううん。何だろうね。何だろ。いっそ石生の教室に乗り込んでさ。あのクラスの奴らに、お前らいい加減にしろって。あの子を無視すんなって。バァンって椅子を蹴りあげるくらいのパフォーマンスでも、すれば良かったのかな。庄司と2人で……もう1年生は終わっちゃったけどさ……申し訳なくて……」
『あたしはそんなことより緑ちゃんと買い物に行きたい。春物の服が無さそうだもん』
「へえ!?」
『いつ行く? 今日でしょ~!!』
バチッと通話が切れた。
やがてメッセージアプリに「お昼に迎えに行くね」との連絡が入る。
僕は勉強机に突っ伏した。
あの子の思惑が読めない。直接会って話したいということなのか。春物の服をプレゼントしたら許して(?)くれるのか。
本当に緑ちゃん用の春物を選ぼうとしているのか──どうもこれが「正解」っぽい気がするから余計に石生千秋という人間がわからない。
不思議な子だ。その時の気持ちを素直に吐いているくせに、どこかはぐらかされているような気分になる。
考えれば考えるほど、ますます彼女のことが気になってしまう。
僕はカッターシャツを脱ぐことにした。
女子の姿で外出するなら下着を替えなければ。夕方に叔父さんが帰ってくるまでに買い物が終わるかな。もし間に合わなかったら……色々と困る。
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