3月29日 ・・・・・・ 外食


     × × ×     


 夕方。僕は地下鉄堺筋線・恵美須町えびすちょう駅の改札口で待ち人を出迎えた。

 会社帰りの叔父さんとお出かけルックの山名やまなさんが、軽く手を振りながら近づいてくる。

 山名さんはさっそくこちらの格好に喰いついてきた。


「あっれー。蒼君が小洒落た感じに仕上がってる。珍しいね。あえて男の子っぽい中華風シャツとロングスカート……誰かに選んでもらったの?」

石生いしゅうの買い物に付き合わされたんです……」


 僕は両手の紙袋を山名さんに見せる。ちなみに石生は合計4袋の衣類をスーツケースに詰め込んで去っていった。

 きっかけがきっかけだけにこんなことは言うべきではないが、あいつとは二度とショッピングモールに行きたくない。いくらなんでも買い物が長すぎる。着せ替え人形扱いが4時間も続くと疲れてしまう。

 逆に色んな格好の石生の姿を拝むこともできたが……あれは脳内の内緒のフォルダに保存しておこう。庄司しょうじには自慢すらしてやらない。


 山名さんは紙袋の中を一通り見てから、こちらに目線を戻す。


「どこに行ったの? 梅田?」

八尾やおのアリオです」

「また随分遠くまで……」

「大きい街だと目立つんですよ。ウチの女神様が」

「そりゃそっか。まあ良かったね。うんうん。似合ってる似合ってる」


 彼女が寄りかかるように肩を抱いてくる。爽やかな香り。どうも女子同士の時は距離感が若干近くなるきらいがあり、ややドギマギさせられる。


 ちなみに叔父さんのほうは特に反応を示さず、目的地に向けてテクテクと階段を上っていった。

 当然だ。今の叔父さんはいつも以上にボードゲームのことしか考えていない。そうなるように僕が仕向けた。


 スーツ姿の男性が堺筋の歩道を突き進み、オタロードの生暖かい空気を切り裂いていく。精神力が満タンに近い時の叔父さんはダテじゃない。

 メイド姿の客引きを寄せ付けない早足ぶりには僕たちもついていくのがやっとだった。強烈な向かい風、普段穿かないスカート、石生に押しつけられた変なサンダルではまともに歩けない。


 僕たちがゲームショップ『イエサブ』の入口に辿りついた時には、すでに叔父さんはレジに並んでいた。お目当てのボードゲームを抱きかかえた状態で。

 どこぞの石なんとかさんとは対照的な購入速度だ。

 叔父さんのことだし、ぼくから「今日は日本橋で晩御飯食べない?」と誘われた時点で何を手に入れるのか決めていたのだろう。


 山名さんがレジのほうに近づいていった。


「それって『アクワイア』ですよね、イサミ先輩」

「ああ。古いやつが同好会の棚にあっただろ。中古で欲しかったんだが、新品が出るならちょうどいいと思ってな」

「大学の時に2、3回やってましたねー」


 2人にとって思い出の商品がビニール袋に入れられていく。

 叔父さんは早くも遊びたくてウズウズしているみたいだが、今回の主目的は外食することだ。

 行先に日本橋を選んだのは、出不精な叔父さんでも誘いやすい街だから。


 僕たちはボードゲームショップの外に出る。

 金曜日の夕方ということもあり、日本橋付近も他の繁華街と同様に飲み屋目的のサラリーマンたちの姿が散見された。

 早めに店を決めないと混みそうだ。


 叔父さんが駐車場の方向に目を向ける。


「久々にケバブでも喰うか」

「あそこって同好会で買い出しに来て以来じゃないですか?」

「懐かしいだろ。蒼は学校帰りにちょくちょく行くらしいが、大丈夫か」


 僕は両手で〇を作ってみせた。

 あそこならいつでも美味しい。石生から初めて声をかけられた時に行ったのはミスドだったが、二度目はあのトルコ料理店だった。

 学校の近くに美味しい店あるの。部活終わりに寄ろ~。だったかな。ふふふ。叔父さんたちが思い出話ばかりするせいで、僕も少し感傷に浸ってしまった。


 少し歩くと料理店の赤い看板が見えてくる。

 店の前では中東系の男性が巨大な串焼き器から肉を削ぎ落していた。ドラえもんの四次元ポケットみたいな形状の薄焼きパンに肉片が注ぎ込まれ、キャベツとソースを添えるとチキンケバブサンドが完成する。

 店員から商品を受け取った高校生はさっそくかぶりついていた。小野蒼ぼくと同じ学校のブレザー。見覚えのある栗色の癖毛。あれはもしかして。今日も放送部で自主練習やってたのか。


 僕は物黒ものくろ部長と目が合ってしまった。


「君は……小野さん!?」

「なっ、だっ、どなたでしょうかァ!?」


 思いがけず声色が跳ね上がってしまう。

 緑ちゃんのふりをしないと。演技は苦手だが──僕は一旦心を落ち着かせるために叔父さんの小さな目を見る。相変わらず小豆並みに小さい。白目がほとんど見えない。


「どうした。お前の知り合いか」

「あ、あにと同じ学校に通っている方みたいです」

「そういうことか」


 叔父さんは察してくれたみたいだ。その上で何も言わずに料理店の中に入っていった。窓付近のテーブルに座り、こちらに手招きしてくる。とっとと来いと。

 あの人。この場の最善手を「逃走」と判断したのか。


 たしかに相手に合わせてペラペラ喋ったら庄司の時みたくボロが出かねないし、適当に会釈して入店したほうが安全かもしれない。緑ちゃんと部長は赤の他人なんだから。


 僕は出入口のドアハンドルを握りつつ、ケバブソースで口元が汚れたままの物黒部長に軽く頭を下げた。


「兄がお世話になってます……では……」


 どことなく気弱で人見知りな女の子のふりをしながら、ゆっくりお店の中に入っていく。相手を視界から外し、僕は叔父さんの対面に座る。

 ふう。ドキドキした。

 まさか女子の姿であの人と会うことになるとは。


「初めまして。ボクは物黒暁人ものくろあきとと言います。君のお兄さんとは同じ部活で汗を流していまして。そのですね。わははは」


 そしてまさか平然と店内までついてくるとは。

 たしかに屋台のケバブを店内で食べる人もいるっちゃいるが。別のテーブルから椅子を拝借し、同席とは言えないがすぐ近くに座るというのは肝の据わった行為だと思う。

 そこまでして小野緑ぼくの正体を探りたいのか。


 部長は口元のソースを拭き取りつつ、こちらの顔をチラ見してくる。


「何ですか」

「いえ。お兄さんにそっくりだと思いましてね。いやはや。そうですか」


 何やら口ごもりながら、チマチマと小さな手遊びを繰り返す物黒部長。頭を掻いたり、癖毛を摘まんでみたり。

 僕は対応に困ってしまう。正体の件で訊きたいことがあるなら訊いてきたらいいのに、はにかむばかりでは「この場」が終わらない。


 こっちから下手に話しかけるわけにもいかないし。叔父さんはスマホで『大阪』『トルコ料理』とか検索してるし。今から別の店に行く気なのか。


「ナンパ?」


 山名さんが部長の背後から詰め寄る。強めの口調には若干の敵意が含まれていた。

 その一言に部長は相当ビックリしたようで、少し目を泳がせてから「違います」と答え、そのまま早足で外に出ていった。


 僕は救世主に向けて手を合わせる。


「本当に助かりました」

「見た目格好良い感じだけど、しつこそうな子だったねー。次来たらハッキリ興味ないって言ってあげたほうが良いかもよ」

「あっちが興味持ってると言いますか。別に好きとかではなくて純粋に『緑ちゃん』の正体が気になるみたいなんです」

「蒼君って友達にその手のウソついたことないの?」


 山名さんはこちらの右隣に座りつつ、やや挑発的な笑顔を向けてくる。

 その手のウソ。好意を悟られたくないからついてしまうアレ。いわゆる照れ隠し。僕にも身に覚えがある。


「……わかるっちゃわかりますけど。多分山名さんが思っているような気持ちは、部長には無いと思います。さっき会うまで、あの人は緑ちゃんのことを僕の女装姿だと疑っていましたから」

「ふふーん。まあ蒼君は石生ちあきちゃん一筋だって、言っておくくらいの予防線は張っておいたら?」

「予防線、ですか」

「こういうのは先手を打っといたほうが良いのよ。大抵のボードゲームと一緒。あっ『バトルライン』は別ね。あれは先手不利だから」


 彼女は叔父さんからメニュー表を受け取ると、近くにいた中東系の店員さんにビールを2つ注文した。

 お酒が入るならディナータイムは長引きそうだ。よしよし。これで帰宅時間が遅くなる。

 僕は本来の目的に立ち返ることで、その他のイベントを忘れることにした。



     × × ×     



 結局トルコ料理店には9時まで滞在した。

 宅飲み用のアルコールを調達するという叔父さんたちと福島ふくしま駅で別れ、僕は一足先にアパートまで戻ってくる。


 道路側の街灯が仄かに足元を照らしてくれる。

 薄暗い外階段を上がりきると、201号室の前に座り込む「彼女」の横顔が視界に入ってきた。


 やはり今夜も来ていたらしい。

 こうなるとわかっていたとはいえ、心苦しさは否めない。同時に相手の忍耐力に感心してしまう。

 夕方から今に至るまで待ち続けた彼女は、こちらに「ねえ」と声をかけてきた。


「どこ行ってたの?」

「日本橋でトルコ料理を食べていました。叔父さんと山名さんと3人で」

「そっか。なら、もうすぐ戻ってくるんでしょ」


 京極きょうごくさんは体育座りからゆっくりと立ち上がっていく。どんな状況でも画になる人だ。美しい瞳が薄暗い空間の中で浮き上がっているように見える。


 予防線。僕は山名さんの言葉を思い出す。

 先手を打っておく。


「あの……京極さん。僕の叔父さんには山名さんという大切な人がいるんです。そこにあなたのような若い女性が入り込んでしまうのは、良くないと思います」

「どうでもいいんだけど」


 彼女はつまらなそうに目つきを鋭くさせる。

 加えてポケットから何かを取り出し、僕には見えない架空のそれらを見せつけてくる。


「あのさ。ウチは『対戦』がしたいのよ。毎日カード引いてさ。使ってさ。捨ててさ。今めっちゃ良い感じの手札になってんの。だから試したくてたまんないわけ。それだけの話じゃん」

「だとしても……だとしたら今日はムリですよ」

「なんで」

「僕の叔父さん、もう飲みすぎてベロベロなんで。まともに相手できないです」

「はあ」


 こちらの説明に納得したのか、彼女はジーンズのポケットからスマホを取り出しつつ、ため息をつく。


「あっそ。じゃあ君からおっさんに言っといて。明日朝から来るから『対戦』の用意しといてって」

「京極さん」

「じゃあね」


 寂しげな足音が外階段を下りていく。

 やがて彼女の気配を感じられなくなる。


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