3月30日 ・・・・・・・ 対戦


     × × ×     


 2024年3月30日。

 叔父さんはお手製のフレンチトーストにかぶりつきながら、架空の山札に指先を添えていた。

 本日分の『特殊カード』を引く。

 続いて休日専用の『休日カード』をドローする。

 いつも通りのルーチンワーク。


「これで4枚。あと1枚は『唐揚げが歯に挟まりにくくなる』カードを使うとするか。今後は爪楊枝のお世話になろう」


 叔父さんは自身の側頭部から実在しない何かを引き抜いた。今日の『対戦』に使うつもりらしい。

 テレビでは7時のニュースが始まっている。あと1時間もしないうちに対戦相手きょうごくさんは乗り込んでくるだろう。


 僕は温かい紅茶で気持ちを落ち着かせつつ、テーブルの中央に広げられたノートに手を伸ばす。

 以前、叔父さんが『対戦』のルールを記したものだ。


 ボードゲームにおけるインスト──遊び方を学ぶことは程度の差こそあれ、わりと骨の折れる作業だったりする。

 プレイ済みの人に教えてもらうならまだしも、新作ボードゲームを遊ぶためにルールブックを読み込むのは相当の労力を伴う。

 そういう時は動画サイト等でプレイの様子を見ると理解が早まるのだが……今回の『対戦』みたく架空のカードではそうもいかない。


 僕は読みづらい字体に舌打ちしつつ、どうにか『対戦』のルールを読み取ろうと努力してみる。



【セットアップ】

 手札・山札・精神力コマを各々持参。

 尾藤びとう:初期手札5枚・コマ7つ

 京極:初期手札7枚・コマ9つ(不公平)


【カードの種類】

 攻撃:1~2の数字付き。

 防御:1~2の数字付き。

 呪文:特殊効果(相手が攻撃表示の時は詠唱不可)。

  一般呪文:一時的な効果、今・次回など効果範囲が限定、効果発動後に捨て札へ。

  永続呪文:場に残り続ける呪文、破壊されないかぎり永続。


【ルール】

 互いにカードを同時に出す(対決処理)。攻×攻ならそれぞれ攻撃が通り、数字の分だけ『精神力コマ』を失う。

 攻×防なら攻の数字が上回れば攻撃が通る。引き算した分だけ『精神力コマ』を失う。結果に関わらず、防御側のみ山札から1枚カードを引く。

 防×防なら互いに山札から1枚ずつカードを引く。

 呪文カードは手札が少ないほうから先に文面を読み上げ、その内容をプレイする。ただし相手が攻撃表示だった場合は詠唱不可。手札が同数だった場合は『精神力コマ』が少ないほうから詠唱する。それも同数の場合はジャンケンで決める。

 対決処理終了後、出したカードは捨て札とする(一般呪文は効果発動後に捨て札扱いとなる。永続呪文は場に残り続ける)。

 この時、手札が無くなっていたら1枚カードを引く。手札が8枚以上あった場合は7枚以下になるまでカードを捨てる。

 この流れを繰り返す。


【勝敗】

 精神力コマが無くなったら負け。同時なら引き分け。



 僕は理解を諦めることにした。

 自分自身がプレイするわけでもないし。遊ぶ様子を想像できないし。正規のゲームみたいに挿絵で説明してくれないし。

 ひとまず今日は外野から応援させてもらおう。ルールがわからなくても「かっとばせー!」と叫ぶことは出来る。



     × × ×     



 何が起きているんだ。

 そう呟いたのは叔父さんの同級生で「奇行」が目立たない男性、川畑晋太郎かわばたしんたろうさんだった。

 後輩の山名やまなさんにアパートまで連れてこられた彼は、リビングで向かい合う男女の様子に唖然としていた。


「山名。何だアレは。カードが浮いてるぞ」

「やっぱり川畑先輩には見えるんですね。ついでに実況してもらえると助かるんですけど……ほら、あたしと蒼君は「まとも」じゃないですか」

「呼びつけといてひでぇ言い草だな……」


 川畑さんは呆れつつも、彼の視界に映る様子をそのまま話してくれる。

 リビングの床には架空のカードが散らばっているらしい。これらはゲームにおける「捨て札」だろうとのこと。

 叔父さんと京極さんはそれぞれ手札を持ち、そのうちの1枚を同時に見せ合うことでゲームを進めていた。


 山名さんがうなづきながらメモを取っている。


「同時に公開する系ですね。ルール的には『ウィザーズカップ』に近い感じなのかなー」

「属性無しで強さも1・2限定だがな。絵面も単純だ。攻撃とか防御みたいな文字情報しか記されてねえ。ほぼ素人の工作だな」

「カードによって役割があるタイプですか」

「ああそうだ。攻撃カードを出すと相手にダメージが入るかわりに山札からカードをドローできねえ。防御カードなら被害を軽減できて手札も増やせるが、守り続けても勝てねえし、相手に呪文を使われる可能性がある」

「呪文って何ですか川畑先輩」

「あの女子大生の右隣で浮いてるアレだが?」

「あたしらには見えないんですって」


 川畑さん曰く、京極さんの傍らには『永続呪文』と記されたカードが浮いているそうだ。

 攻撃力+1。代わりに防御カード使用不可との記述が読み取れるという。説明を受けた限りでは守りを捨てた狂戦士バーサーカーみたいな内容だ。

 対する叔父さんは呪文(?)を出そうにも相手の攻撃が続くせいで詠唱をキャンセルされているらしい。


「ぐぬぬ。このままでは」

「これでトドメだ、おっさん!」


 防戦一方の叔父さんに対して、京極さんが会心の笑みで「攻2」と記されたカードを繰り出した(らしい)。

 先述の『永続呪文』の効果で追加ダメージが乗り、叔父さんの『精神力コマ』が3つ消し飛ぶ。


「まずい」


 川畑さんが同級生の元に駆け寄る。

 相手の猛攻を受けた叔父さんは顔面蒼白、足元から崩れてしまった。全てのコマを失ってしまったみたいだ。

 対照的に京極さんのほうは若干疲れた様子ながらも、座布団の上で仁王立ちのまま笑顔で勝ち誇っている。


「へへへ。ひゃははは。ウチの2連勝ですねえ。尾藤先輩ったら弱すぎません? こっちは風邪気味で『気力』が減ってたのにさあ。必殺の『永続呪文』コンボで鮮やかに倒された気分はいかがぁ?」

「……すまない京極光。冷蔵庫から、冷やし素麺を持ってきてくれないか」

「はあ? なんで?」


 突然のご所望に京極さんはポカンとしていた。

 すかさず山名さんが台所に向かう。冷蔵庫の中段にはコンビニでよく見る素麺とツユのセットが入っていた。

 つるつるつる。割り箸でつまんだ素麺を叔父さんの口元まで持っていくと──みるみるうちにゾンビが生気を取り戻していった。

 僕の見立てでは『精神力コマ』が2つ分くらいになっている。繁忙期の叔父さんと同じくらい疲れた状態だ。

 それでも立ち上がることは出来る。

 女子大生はニヤリと笑みを浮かべた。すごく楽しそうだった。


「再戦したいんだ、おっさん。本気でウチを倒すために回復用のカードでも脳内に仕込んでたの?」

「いや。手札を使い切る前に倒されたおかげで本日分の『休日カード』を温存できた。冷やし素麵を食べたら『精神力』が2回復する。ようやくわかったぞ。『対戦』時のカード変化の法則が」

「もう1回やろうよ。ウチは残り3、おっさんは残り2。まだ遊べるじゃん」

「来週の土曜日にまた来てくれ。その時までに最高の手札を用意しておく。今度こそお前を倒してやるぞ、京極光」

「ふうん。そう来るんだ」


 僕は見逃さなかった。ほんの一瞬だけ、京極さんの表情がくもったことを。

 彼女はまたしても何も言わずにアパートを去っていく。お礼も承諾も挨拶もなく。ガシャンと音を立てる玄関の鉄扉のほうが遥かに礼儀正しい。


 スマホの時計が午前9時を指していた。

 嵐が過ぎ去り、休日の朝早くから集まってしまった大人たちは、とりあえず何時から酒を呑むべきかと頭を悩ませている。


「どうします? あたしは先輩方に合わせますよ」

「俺としては家で『対戦』の攻略を進めたいんだが」

「ちょっとぐらいならイサミのそれに付き合ってやるぞ。バランス終わってるゲームだが、ああいうタイマン系は山名も好きだろ」

「さすが川畑先輩はよくご存じで……もう余計に腹立ちますよねー。チューハイ欲しくなってきた」


 山名さんが架空のジョッキをあおり始める。

 ある程度以上の年齢になると遊びの際にはアルコールを入れるのが当たり前になってしまうらしい。


 僕は彼らの集まりには加わらず、自分の部屋に戻る。

 結果的に庄司しょうじの助言通りになった。叔父さん自ら彼女の来訪を遠ざけた形だ。

 あの人は来週まで現れない。その間、彼女は僕らの知らないところで何をしているのだろう。どこで。誰と一緒に?

 想像を働かせると窮屈な気分になってしまう。色々考えすぎかもしれないが。


 僕は勉強机の本立てから『馬上少年過ぐ』の文庫本を取り出した。庄司から借りた歴史小説の短編集だ。

 しおりを差したあたりまでパラパラとめくり、そのまま読まずに本を閉じる。

 小説の世界に浸る気分じゃない。


 全部あの人のせいだ。

 あの日、川辺であの人に出会ってから、ずっと掻き回されてしまって。

 おかげで僕は未だに「春休みの予定」を立てられていない。

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