3月31日 ・・・・・


     × × ×     


 2024年3月31日。

 これといって何もない日だった。

 宅配便のお兄さん以外に鉄扉を叩く者は現れず、昨日までの喧噪ぶりが嘘のように感じられた。


 叔父さんによると山名やまなさんは二日酔い、川畑かわばたさんも家族サービスで自宅から出られないらしい。

 昨日は夜遅くまで呑んでいたからなあ。


 当の叔父さんはアルコールマーカーを「泥酔」まで進めたわりには元気そうだった。

 僕の部屋まで鼻歌が聞こえてくるあたり、何か良いことがあったのかもしれない。曲目は先日終わったばかりのアニメのオープニングだった。


 僕自身は手持ちのゲーム機で余暇を楽しんだ。

 ここにいると叔父さんのボードゲーム・コレクションで遊んでしまいがちだが、友達の家に行く時は『マリオカート』等のテレビゲームで対戦することも多い。

 某女神様が異様に強いため、毎度苦戦続きではあるものの……何やかんやでワイワイ楽しめるから偉大なソフトだ。

 そんなゲームもやりすぎると目が乾き、喉も渇いてくる。


 僕は通信対戦を切り上げ、台所に向かった。

 途中、叔父さんが例のノートを見せびらかしてきた。


あお

「ノートがどうしたのさ」

「わからないか。ようやく『対戦』の攻略法を捻り出せた。これで京極光あいつに勝てる」

「良かったね」


 僕は食器棚みずやからガラスのコップを取り出した。

 麦茶を注ぐ。ついでに部屋の主の分も注ぐ。居候歴が長くなると無意識に気配りができてしまう。


「はいどうぞ」

「…………」


 叔父さんはコップを渡されても口をつけることなく、何故か人差し指を向けてきた。丹波の黒豆のような両目がこちらの様子を窺っている。

 僕は困惑を隠せない。


「僕の顔に何か付いてる? ニキビ?」

「やはりお前とは『対戦』できないか」

「当たり前じゃん」

「奇行持ちの川畑とはできたからな。一応試してみた。お前の顔には何も付いてないぞ。目鼻だけだ」

「口と耳も付いてるけど……えっ!? 川畑さんと『対戦』できたの!?」

「ああ。どうやら俺自身も『対戦』の拡張を得てしまったらしい。はなはだ不本意だがな」


 そう言いながらも叔父さんの口元には不敵な笑みが浮かんでいた。


 他者の拡張を手に入れる。これまで進められてきた「奇行」の研究史(?)においては画期的な新発見だが、今思えば過去にも兆候は見られた。

 京極さんが小野蒼ぼくの側頭部からカードを引き抜けたのは、おそらく彼女自身がその場で『効果カード』の拡張を入手したからだ。

 他者の拡張に触れたことで拡張が伝播する。荒唐無稽な事象に理屈を求めても仕方ないが、どういうルールなのか気になってしまう。拡張自体は強烈なストレスが原因だったはずだし。


 僕は叔父さんに訊ねてみた。


「ねえ。それって京極さんの病気がうつった感じ?」

「違うな。自分が持ってない『ドミニオン』の拡張カードセットが目の前にあったら、欲しくなるだろ」

「やっぱり『対戦』が欲しかったんだ。何が不本意なのさ」

「いずれ辞めるつもりのゲームが面白くなったら困るだろうが。俺も三十路寸前だ。将来を考えないと色々まずい年なんだよ」


 奇行の持ち主は至極真っ当な台詞を吐きつつ、背後の戸棚から『スノープランナー』の箱を引き出してくる。

 夕飯まで付き合えということだろう。


 僕が渋々ながら叔父さんの対面に座ろうとしたところで……ポケットのスマホが存在感を出してきた。

 通話をタップすることで小刻みな振動を抑える。画面には友達の名前が表示されていた。


「もしもし」

『おう蒼芝あおしば。今週どっかで京都行かね?』


 庄司の気の抜けた声が右耳の鼓膜を叩いてくる。

 僕は一旦自室に戻り、勉強机の卓上カレンダーを眺めてみた。今週も空白ばかり並んでいた。


「別にいいけど」

『おっしゃ。じゃあ火曜日にしようぜ』

「そこは放送部の自主きょうせい練習日じゃん。今度こそ休んだらクビになりかねないって」

『そしたら明日だな。善は急げってな。石生いしゅうも誘ってみるわ!』


 相手はこちらの反応を待たずに電話を切ってしまった。

 何となく向こうから暇人だと思われてそうで腹立たしい。事実だが。


 しばらくすると当の石生から着信があった。

 何だろう。僕はボード上の労働者サイコロを山頂に立たせつつ、通話に応える。


「もしもし」

『小野君。明日はいつも傍に架空の石生がいると思って。京都観光楽しんでね~……うう~』

「つまり行けないことってことか」

『ごめんなさい。お父さんと会う日なんだ~。久しぶりなの』


 心底申し訳なさそうな彼女に対し、僕は努めて声色を明るくした。


「石生が謝ることじゃないよ。別に京都行きなんて日を改めればいいじゃん」

『ううん。あたし母方の実家が中京区の円町えんまちなんだけど。先週行ったばかりだから。みんなで行くなら他の場所がいいかも』

「わかった。また誘わせてね」

『うん』


 彼女の快諾に安心感を覚えつつ、僕は通話を切る。


 スマホの画面を見ると通話中に庄司からメッセージが届いていた。忙しいな。


『石生ムリだとよ。どうする?』

「僕らだけで遊ぶなら京都よりも……いや。たしかアレって京都だったよね?」


 僕は返信を打ち込む前に、目の前で暇そうにしている男性に訊ねてみた。世の中にはネットで調べるより叔父さんに訊いたほうが早いこともある。


「蒼、主語が無いとわからんぞ」

麗谷れいこく大学。叔父さんの母校だよ」

「麗大か。まあ深草ふかくさの方なら京都市の一部ではあるな。一応、洛中にも小さなキャンパスがあるといえばあるんだが。急に何の話だ。お前の成績ならウチの大学よりも」

「ありがとう」


 僕は京都観光の話に乗ることにした。

 頼りにならない庄司おともを引き連れて。


 あの人と会うために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る