8月20日~21日
× × ×
【8月20日 ・・・・・◎◎◎◎】
2023年8月20日。
お盆休み最終日の『特殊カード』は甲子園に行けば近頃無くしたものが見つかる、というものだった。
叔父さんは『アズール』の赤色タイルを探すために西宮市へ旅立った。本人は否定していたが、よほど高校野球を現地観戦したかったとみえる。
一方の僕は勉強机に向かいながら一日中「母さんが来たらどうしよう」と怯えていた。
昼過ぎにチャイムが鳴った時など心臓が飛び出そうになった。
僕は出迎えた玄関先で思いっきりため息をついてしまった。
「庄司さあ。ビビらせんなよ」
「何が?」
疑問符を浮かべる友達をリビングに招き入れ、僕は昨日の話をした。
庄司には自分の危機感が伝わらなかった。いつもの呆けた顔でお土産の『きびだんご』を食べるばかり。
「おいおい今さら家族バレくらいでビビんなって
「母さんに恥ずかしい姿を見せたくねえの。庄司だって中学の文化祭で女装メイドになった時、おばさんから逃げ回ってたじゃん」
「あれと今のお前を比べんなよ……そうだ。むしろお前から向こうに会いに行ってさ。女物の服が要るんだ、お小遣いくれ~! っておねだりするのはどうだ。その金で一緒にユニバでも行こうぜ」
友達から悪の錬金術を伝授された。
僕は呆れるしかなかった。おかげで母さんの件がどうでもよくなってくる。
「庄司は能天気でいいなあ」
「オレな。人生一度でいいから女の子と遊園地デートしてみたかったんだよ。出来れば制服で。石生に借りられねえかな」
「誰が行くか。というか、普通にあいつと行けば良いじゃん」
「今なら両手に花でユニバを回れるのか……」
庄司は脳が腐っていた。
飢えた狼というよりゾンビに近い。相手が女性であれば誰でもよく、それこそ僕でも良いらしい。
僕は恐竜アトラクションの待機列に並ぶ女子高生姿の自分を想像してしまう。似合わない格好で恥ずかしいが、以前ほど辛い気持ちにならないのはプールの時よりマシだから。嫌な慣れ方だった。
「ところで
庄司に咎められる。
あんなメッセージとは一昨日送ったもののことだ。
元カノになってほしいと言われたが、肝心の「振る」という段取りを済ませていなかったので、念のために振っておいた。
僕は男だから、お前の彼女にはなれない。当たり前の内容を端的にまとめてメッセージにした。
それでも庄司としてはショックだったらしい。
「台無しだなんて大げさだな。要するに現状確認じゃん。僕たちが友達同士で、その……そういうのになるわけないし」
「あークソッ。こんなオレでも、ほんのひと時でも恋人がいたってのに。オレは何もできなかったんだよな。キスもハグも。やっぱユニバデートしようぜ、今のうちにさあ」
「今の聞いて『ハイ』って言うわけねえだろ」
「
庄司が心底辛そうに項垂れていた。9回裏二死満塁の大チャンスで見逃し三振をやらかした時の打者みたいな顔になっていた。
恐ろしいことに気持ち悪い・生理的に受けつけないを通り越して、ただただ滑稽に見えてしまう。
飢えた狼やゾンビどころか、もはや餓死した犬同然だった。
僕は刺激を与えない程度に慰めてやった。きなこ味のきびだんごに爪楊枝を刺して、友達の唇に突っ込んだ。
「オレの元カノが甘い……好きになっちゃう……」
「冗談も程々にしとけ。お前が愛してやまないのはお姫様だろ」
「そうなんだよなあ。オレでは釣り合いがなあ」
坊っちゃん刈りの小男が机に伏せる。
大切な友達の話だった。
不幸な
教室の代表者たちに囲まれ、みんなから好意を寄せられ、誰もが羨むような青春を送っていてもおかしくなかった。
少し変わり者だが、心優しい。すごく良い子だ。
何よりあれほどの美人をSNS以外で見たことがない。
元カノになってもらうとしてもリアリティがなさすぎる。なぜなら自分とは釣り合いが取れないからだ。
「だからオレたち2人で、あいつ1人で、ちょうど良いのかもしれねえけど……オレも青春してえ……」
「庄司は
「わかってる。今という時がどれだけ貴重か、自分でもわかってるし親からもめっちゃ言われる。今が人生で一番楽しいだろって。そうだよ。オレはお前や石生と友達になれて、一緒にいてくれて、心の底から良かったと思ってる。でもな。蒼芝も男ならわかるだろ。もう高校生なんだぞ。やっぱり彼女のおっぱい揉みてえじゃん……夏だしさぁ……」
庄司の悲痛な嘆きが夏の青空に消えていった。
僕は腕を組んだ。
僕たちには石生と二人きりにならないルールがあったが、こいつとも1対1で会うのはやめることにした。今しばらくは。
【8月21日 ・・・・・・・◎◎◎◎】
お盆休みが終わった。
叔父さんは連日の『休日カード』とボードゲーム祭りで『精神力コマ』を限界値まで回復させていた。
「おはよう蒼。味噌汁作っておいたぞ。まだ温かいはずだ」
「ありがとう」
僕は茶碗に注がれた味噌汁を受け取る。木綿豆腐と白ネギが入っていた。
くたびれていない時の叔父さんは別人のように輝いている。
気力充実、元気溌剌。洗面台で髭も剃る。
「よし。食べ終わったら出社するまで『バトルライン』に付き合ってくれ」
いつもより早起きできる分、朝の時間にも余裕がある。
僕は味噌汁をすすりつつ、左手で拒否を示した。
「寝起きにそんな脳みそフル回転するようなゲームできるわけないでしょ、叔父さん」
「なら『ロストシティ』にするか」
「あれも計算がキツいし。ところで今日の『特殊カード』は?」
「行き帰りで野良猫を見かけたら日付が変わるまで握力が3倍になるらしい」
僕は強引に話を変えたが、叔父さんは早くもカードのシャッフルを始めていた。元気すぎるのも困りものだ。
折りたたみのボードが卓上に展開される。『ロストシティ』は全5色の古代都市に繋がる道を伸ばしていくゲームだ。道路カードの数字が合計20点以上でなければポイントが得られず、初めから探検しないという選択を選んだほうが結果的にお得だったりする。
道路カードは数字が小さい順に繰り出す必要があり、相手が出したカードの数字を見ながら判断していくことになる。ちなみに同じカードは存在しない。
「むむっ……強くなったな。まさか手札に青色の8・9・10を隠し持っていたとは。名前の力か」
「そんなわけないでしょ。叔父さんが無謀な旅に出るのを待ってたのさ」
「おかげで大損害だ。わはは」
叔父さんが楽しげに笑う。
僕は久しぶりに勝利を収めた。悩みどころの多いゲームだけに上手くいくと気持ちいい。
「よし。一気に脳が冴えた。少し早いが行ってくる。社内の雑用が俺を待っているからな」
「行ってらっしゃい」
「蒼は果報を待っててくれ。もしかすると今日中に『ねがいカウンター』が貯まるかもしれん」
「まあ、ちょっと期待してるよ」
玄関の鉄扉がガチャリと音を立てた。
僕は叔父さんを見送った後、脱衣所に向かい、洗面台の鏡の前に立つ。
今日で「この女」ともお別れになるかもしれない。初めて会った時より、ほんの少しだけ髪が伸びていた。
見納めだとしたら1枚くらい写真を撮っておこうか。名残惜しいとも寂しいとも何か違う、上手く言い表せない感情が静かに沸いてきた。
元に戻ったらブラトップを捨てよう。来月の始業式をいつもの自分で迎えよう。
何もなかったかのように教室に入ろう。
当たり前の生活を取り戻そう。
僕は下着をめくり上げて今しか味わえない感覚を揉み締めつつ、もう一人の自分に別れを済ませた。
やがて夜がやってくる。
叔父さんは会社で『ねがいカウンター』を1人分しか貯められなかった。
社会というのは持ちつ持たれつ、互いに支え合うことで成り立っているんだ、と言い訳していた。
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