8月11日 ・・
× × ×
ついにこの時が来てしまった。
2023年8月11日。お盆休み初日。
早朝からアパートまで押しかけてきた友人たちと共に、僕はリビングの座布団に座り、叔父さんの起床を待ちわびていた。
鳴り止まない目覚まし時計。
僕は花柄のアロハシャツにサングラスといった出で立ちの同級生に訊ねる。
「
「おうよ。まだ余裕で間に合うだろ。気長に待ってようぜ」
庄司がカバンからラップに包まれたおにぎりを出してきた。ご丁寧に人数分。たまに小さな気遣いで日頃の言動を挽回してくるのが庄司流の処世術だ。
僕は指先でラップをめくる。生ぬるい米粒を噛みしめる。中身は梅干しだった。
「プールサイドではしゃぐ前に塩分取らねえとな」
「ん。ありがと」
「それとこういうのも持ってきたぞ、ほれ」
庄司が次に出してきたのはツバの大きな中折れ帽だった。
いかにも夏用の純白で、日差しを遮るのにちょうど良さそうだ。いつもの野球帽より顔を隠せるのも良い。
「あとは日焼け予防のラッシュガードだな。オレの母ちゃんにパーカータイプのやつを借りてきたから
「おい庄司。なんでどっちも女物なんだよ」
僕は手渡された品物を突き返す。
「そりゃ、あらゆる事態に備えておくのが『危機管理』ってもんだろ。新品のサンダルも買ってきてやったし、
「お前まさか元に戻れないって決めつけてんのか?」
「何のために俺たちが迎えに来たと思ってんだ。余談だが、あそこのプールは売店で水着を売ってるらしいぞ」
「しばくぞお前」
「おお怖い。一緒にプールで遊びたいだけなのになー」
庄司はわざとらしい手つきで、持ってきた品物たちをカバンに戻していく。
どれも絶妙にニーズを掴んでいるのが腹立たしい。顔と体型さえ隠せたらプールサイドを歩けるだろうと思われている。妥協してくれるだろうと。思い違いも甚だしい。絶対に行かないからな。
全くもう。叔父さんが起きる前に追い返してやろうか。
肝心の叔父さんは未だに目覚まし時計を止めていない。廊下の扉も閉じられたままだ。
「ねえ小野君」
反対側に座っていた美貌の姫君・
今日の彼女は「夏」「青空」に映える格好だった。プールというより海辺に行きそうな白色のワンピースは、肩甲骨のあたりまで伸びた黒髪と爽やかすぎるコントラストを生み出し、いつも以上に独り占めしたくなる。
睫毛が長い。唇がなまめかしい。薄手の生地がメリハリの効いた身体を柔らかく包み込んでいる。古びたアパートから外に出してあげたい。きっと宝石のように光を散らしてくれるだろう。
そんな彼女がおねだりするような目つきで、僕たちに向けてタイル柄の四角い箱を見せてきた。
「まだ時間あるんだよね。みんなで1回だけ『アズール』やりたいなー」
「俺もやる」
涼しげな格好の男性が唐突に部屋から出てくる。
叔父さんはとっくに起きていたみたいだ。傍らの石生が「
× × ×
皿の上から同じ色のタイルを拾い、余ったタイルをまた拾い、自分の手元をタイルで敷き詰めていく。
単純明快なゲームなのに「ああ」「ひぃ」と悩む声が途切れない。
僕は右隣の庄司から不要な色のタイルを押しつけられた末、ボロボロに敗北してしまった。
「いや、遊んでないで『特殊カード』引こうよ」
「おいおい。負け犬のまま終わっていいのか、
「庄司の挑発には乗らないし。早く結果を知りたいんだ。ほら、叔父さん早く」
「待ってくれ」
タイルを縦に並べまくり、圧倒的勝者となったはずの叔父さんが頭を抱えていた。
僕は何となく悟ってしまう。
外に出てこなかったのはそういうことか。もう引いちゃったんだ。多分。僕が「あれ」を告げる前に。
庄司が各自の手元にあったタイルを袋の中に流し込み、叔父さんに対するリベンジを果たそうとする。
石生は「可愛い」と床に落ちていた雪柄のタイルを褒めていた。
僕は天を仰ぐ。
別に気落ちするほどのことではない。希望が叶わない日々にも、自分の小柄で柔らかい肉体にも少し慣れてしまった。
ただ、徒労感がすごい。
パチパチと皿の上にタイルが振り分けられていく。
僕は一文字に結んでいた唇を対面の男性に向けた。
下唇をわずかに噛み、鼻腔で息を吸う。
「元に戻るまで叔父さんとはゲームしないから」
「すまん」
「もし昨日言ってたら、今朝の『特殊カード』で元の僕に戻してくれた? 明日には戻してくれる?」
「それは……」
「2学期が始まるまでに戻れるかな? ずっとこのままで、学校に行けなくなったら、どうしてくれるのさ。叔父さん。何とかしてよ。全部叔父さんのせいなんだよ」
「………………『拡張』だ」
「はあ!?」
思わず座布団から立ち上がりかけて、両側の石生と庄司に引きずり降ろされる。
対面の男性は何を思ったのか、布袋の中に戻されていたタイルを掴み取り、卓上に並べ始めた。
色とりどりのタイルが合計7つ。
何かを示している。
「これは『ねがいカウンター』だ。たった今、拡張で発生した。実物はこのあたりに表示されている」
叔父さんが食卓の端を指差した。
当然だが、僕たちには天板の木目しか見えない。
石生がこっそり耳打ちしてくる。
「ねえ小野君。尾藤さんどうしちゃったの?」
「叔父さんの「奇行」が拡張されたみたい。ボードゲームの追加要素と同じ理屈だよ。前にも言ったけど、ウチの叔父さんは半分ボードゲームだから」
「くふふ。ユニークだね」
彼女は笑い声さえも甘い。左耳がとろけそうになる。
ただ、あれをそんな前向きな横文字で片付けるのはやめてほしい。
傍らでは庄司が並べられたタイルをつまんでいた。
「おっちゃん。これ、布袋に戻していいッスか。『アズール』でリベンジしたいんで」
「待ってくれ」
叔父さんは目を伏せ、指先でトントンとこめかみを叩いてみせる。
まるでゲームの初プレイ時にルールブックを読み込む時のような仕草だった。
「……理解した。俺自身が他プレイヤーの依頼を果たすことで『ねがいカウンター』が貯まる。7人分貯まれば、俺の願いが叶う」
叔父さんがタイルを袋の中に戻していく。
今はまだ1つも貯まっていない、ということらしい。
庄司が首を傾げながら『アズール』の準備を進めている。こいつは口頭で説明するより実際やってみたほうが理解が早いタイプだ。
逆に説明したらすぐにわかってくれる石生は、元気よく手を上げた。
「はい。ランプの魔人さん。あたしの大切なお友達を男の子に戻してあげてください」
「今は不可能だ。別に魔法が使えるわけではない。普段の
「そっかー」
石生に頭を撫でられる。
彼女のおかげで、僕は『ねがいカウンター』の使い方を把握できた。
叔父さんに人助けさせることで狙いどおりの「奇行変動」を誘発できる。今まではカードの引き運次第だったが、相当能動的に
上手く立ち回れば、案外早く元に戻れるかもしれない。
僕は台所の冷蔵庫に目を向ける。
「叔父さん。大変申し訳ないけどさ。麦茶のポットを取ってきてよ」
「……あまりに簡単すぎる依頼だと『カウンター』が反応しないようだな。まあ持ってきてやるが」
ここで庄司が手を上げた。
「はい! 蒼芝とプールに行きたいです! おっちゃんの
「おい庄司、てめえ!」
僕は阿呆すぎる友達に飛びかかろうとしたが、石生に羽交い絞めで制止されてしまった。今の身体だと彼女にすら筋力で勝てない。
彼女の
さながら歯科医院の患者になったようなアングルで「一緒に行こ?」と微笑まれて、男の子である僕が拒絶できるはずがなかった。
「はい……」
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